微旨を表出すること


吉川先生の近著『顔真卿伝』を読んでいたところ、陳垣『通鑑胡注表微』に言及がありました。

前世紀の中国史学界を代表する学者の一人である陳垣氏の『通鑑胡注表微』は、南宋の遺民として元朝の統治下に生きた胡三省の鬱屈した心情を読みとり、かかる胡三省の心情に、抗日戦争期に日本が支配する淪陥区となった北京で生活をつづける陳垣氏の心情が重ねあわされている名著なのだが、……(『顔真卿伝』、p. 81)

陳垣(1880-1971)がこの書物にこめた気持ちは、その自序(「小引」)から読みとることができます。すなわち、世の人々は胡三省の『資治通鑑』注釈を単なる「音訓の学」と思い込み、まともに彼の思いに向き合わず、地理に長じた学者と認識するばかり。それゆえ、陳垣は「その微旨あるは、並びに表して之を出だす」、つまり胡三省が注に込めた見えがたい思い(微)を目に見えるかたちにする(表)ことを思い立った、というわけなのです。これが書名に含まれる「表微」の意味です。

ところで、吉川先生が論じていらっしゃる胡三省注の一節は、「史の云う所の如くんば、則ち河北の二十四郡、惟(た)だ張興のみ以て義士と言う可き耳(のみ)」という一条であり、胡三省の顔真卿に対する「微意」を、吉川先生はここに読みとります。

私はこれを読んで背筋が寒くなりました。ここにも、陳垣が言及してない胡三省の微旨があるのか、と。確かに、顔真卿やその子孫を蘇らせてこの胡三省注を読ませたならば、ひどく気分を害するのではないか、と思えてきたのです。

書いてあることを理解するのはそう難しいことではありません。書かれていないことを読みとるところが、流石、吉川先生です。

これ以外にも本書を通読して、もう一箇所、背筋が寒くなる思いをしたのですが、それは言わぬが花、というものでしょう。

 

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『顔真卿伝』


吉川忠夫先生が新しい本をお書きになっていることは、存じていたのですが、その新著を昨日、一冊送っていただきました。

吉川忠夫
顔真卿伝―時事はただ天のみぞ知る
法蔵館
ISBN-10: 4831877239
ISBN-13: 978-4831877239
2019/1/10発売

出版社のサイトから、目次を転載します。

はじめに

一章 輝かしい家系とその生い立ち 書生門戸/節義の伝統/書芸術の伝統/父惟貞/幼少時代

二章 官界デビュー 青雲の志/張旭/硬骨の官として

三章 安史の乱 羯胡安禄山/気驕りて上都を凌ぐ/漁陽の鼙鼓(へいこ)、地を動(どよも)して来たる /平原太守として/青年李㟧の献策/危機迫る/平原を去る/行在所へ

四章 息を吹き返す唐王朝 長安帰還/「祭姪文稿」と「祭伯文稿」/「争坐位帖」

五章 撫州刺史時代 「麻姑山仙壇記」/「魏夫人仙壇碑」/「華姑仙壇碑」/「李含光碑」 /仏教とのかかわり/「蔡明遠帖」と「八関斎会報徳記」

六章 湖州刺史時代 『韻海鏡源』/皎然/「李左相の石樽」聯句/陸羽/張志和

七章 壮絶な最期 「李太保に与うる帖」/『礼儀集』/盧杞の姦策/李希烈のもとで /「蔡州帖」/泉下に眠る顔真卿

終章 書と人 後世における顔真卿評/書をもって自らに命(な)づくることなかれ

あとがき

参考文献

図版一覧

顔真卿年譜

本書の構想について、吉川先生は「あとがき」に次のようにお書きになっています。

これまでに曲がりなりにも顔之推と顔師古のことをあつかう文章を発表してきた私には、琅邪の顔氏の栄光の掉尾を飾る顔真卿について、その一部分を伝える文章を発表したことはあるものの、その全体像を描いてみたいとの想いがかねてからあり、気分の赴くままに書きつぎ書きためて本書の原型となるようなものを筐底に蓄えていたのであった。そしてそれを旧著『王羲之ー六朝貴族の世界』の姉妹編としたい考えもないではなかったのだが、図らずも法蔵館編集部の今西智久さんから何か著書を編んでみないかとの誘いがあり、かくして本書の刊行がとんとん拍子に実現の運びとなったのである。

なるほど、長年にわたる構想の一環なのですね。先生の想いが形になったことを喜んでおります。さっそく読み始めました。正月にじっくり拝読しようと思います。

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引用はどこまでか?


中国の文言文には、もともと符号が少ないという性質があります(金文には重文符号が使われることがあり、簡帛にはその他にL字や●などは見えるものの)。句読点もほとんど打たれず、ましてや引用符号などありません。

ところが困ったことに、書物によっては大量の引用文が存在します。引用の開始は「曰」「云」などのマーカーにより、比較的簡単に判別できますが、その引用がどこまで続くのかがかなり頭の痛い問題であることは、文言文をお読みになる方はみなご存じでしょう。

中華書局の「十三經清人注疏」の一冊として、昨年、郝懿行(1757-1825)の『爾雅義疏』が整理・出版されました(王其和・吳慶峰・張金霞點校)。出版自体、大変に有意義なことで、喜んで購入したのですが、読んでいると、引用符の位置が気になってしまいました。

『爾雅義疏』中之三、の「釋樂弟七」の部分に、以下の引用があり、この点校本は以下のような標点を施しています。

《一切經音義》六引《世本》云:“伶倫作樂。周衰樂壞,遭秦絕學,古樂淪亡。漢興,武帝時河間獻王作《樂記》,劉向所校廿三篇,《樂器》弟十三。今《禮記》所取才止十一,合為一篇。其餘十二篇,《別錄》存其名,其文則闕焉。”(『爾雅義疏』p.535)

『世本』は『漢書』藝文志に見える古書ですが、後に失われ、我々はその全貌をうかがうことができません。しかし「伶倫作樂」の文はさておき、「周衰樂壞」以下の部分は、どうも『世本』の本文らしく見えませんし、また唐代の『一切經音義』らしくもありません。玄應『一切經音義』卷六および慧琳『一切經音義』卷二十七を調べてみると果たしてこれは、郝懿行の文でした(内容的には王應麟『漢書藝文志攷證』の説をなぞった記述です)。

また同じ篇には以下のようにあります。

邢疏引《世本》曰:“庖犧氏作五十弦,黃帝使素女鼓瑟,哀不自勝,乃破為二十五弦,二均聲。《禮圖》舊云:‘雅瑟長八尺一寸,廣一尺八寸,二十三弦,其常用者十九弦。頌瑟長七尺二寸,廣尺八寸,二十五弦,盡用之。’”(『爾雅義疏』p.536)

「《禮圖》舊云」以下の部分をも『世本』の引用とみなしていますが、これも不適切で、その部分は邢昺の疏を引用したものです(郝懿行の文章も不完全ではありますが)。なお、「其二均聲」の「其」は、阮元刻本の邢昺『爾雅注疏』では「具」に作っており、「其」とするのは郝懿行の考えで改めたものか、もしくは底本の誤刻でしょう。

いずれにせよ、書物に引用された文を判定するのはなかなか難儀なことですが、これらはちょっとした確認によって防ぐことができる誤りであったので、少し残念に思った次第です。

 

 

文政から天保へ


文政十三年、年も押し迫った十二月十六日に改元があり、天保元年となりました。西暦で言うと、1831年1月29日のことです。

文政十三年には天災が多く発生しました。いわゆる文政京都地震も、この年の七月(旧暦)に起こり、それを受けての改元のようです。

さて、松崎慊堂(まつざき・こうどう、1771-1844)『慊堂日暦』を読んでいたところ、同年十二月六日の記事に、こうありました。

京師の地震は、俗間に伝えて改元の事となす。過月七日、京師はまた大いに震い、相伝えて天保、或いは正文と改元すと云う。(『慊堂日暦』3、平凡社、東洋文庫、p.118)

なんと、改元が公表される前に、新元号のことをあらかじめ知っていたというのですから、驚きます。十六日の記事には次のようにあります。

林公〔林述斎〕は有司をして歳儀を賜わしめ、長公〔林檉宇〕は別に博多煉酒及び醢を饋り、且つ今日天保と改元せることを報ず。果たして六日に聞けるところの如し。(同上、p.121)

林檉宇は、大学頭(だいがくのかみ)の林述斎の子にして、松崎慊堂の教え子。当時、幕府の儒官であったので、改元のことを松崎慊堂よりそれを早く知り(『大日本史料』99編に「庚子、幕府、改元を告示す」とあり、これが十六日に当たります)、それを十六日、お歳暮を贈るついでに慊堂に教えてよこしてくれたのでしょう。

六日に「天保、或いは正文と改元す」と慊堂に伝えたのが誰なのか、それは分かりませんが、慊堂の早耳はなかなかのものです。もちろん、慊堂が江戸に住んでいて、しかも権力とかなり近いところにいたからこそ得られた情報なのでしょうが。

いまと違って、ニュースも新聞もなかった江戸時代、人々はどのように改元を知ったのか。『慊堂日暦』の記事は、その実例のひとつです。間もなく平成最後の年を迎える一日本人として、ふとこの改元の日記に目を止めたのでした。

『中国古典学への招待』


中国文献学を支える「目録学」について、近年、いくつか訳書・概説書が出ていますが、2年前に重要な一冊が、中国語から日本語に訳出されました。

中国古典学への招待:目録学入門

程千帆・徐有富著 ; 向嶋成美・大橋賢一・樋口泰裕・渡邉大訳

研文出版 2016.9 研文選書, 125

原著は、程千帆・徐有富両氏による『校讎広義目録編』(斉魯書社、1988年)です。この書物は、中国の目録学研究の中でも最も重要な著作のひとつであり、その日本語訳が出たことの意義は、甚大だと思います。

目録学を学ぶ者として、もちろん同書を読んでいたのですが、こうして日本語で読ませてもらうと、また違った喜びがあります。訳文はさすがに高水準です。

この著作の優れた点は、中国目録学の伝統を踏まえ、しかも清末の姚振宗(1942-1906)の目録学、民国の余嘉錫(1884-1956)『目録学発微』、姚名達(1905-1942)の研究、そして著者らの恩師である汪辟疆(1887-1966)『目録学研究』が、実にバランスよく汲み取られている、非常にうまくできた一冊であると、日本語訳を読んで感じました。さすがに南京大学の大学者、程千帆(1913-2000)の学を伝えるもので、基本をすべておさえていながらも、情報量がとても多く、充実しています。

近代の学者である梁啓超や姚名達を視野に入れたばかりでなく、文革期以降の図書館に対しての見通しも持ち合わせた一書です。

注釈や索引はもちろん、附録類も入念に作られています。中国の文献学に関心をお持ちの方におすすめしたいと思います。嘉瀬達男兄と内山直樹兄と私が力を合して訳出した余嘉錫の二著作(『古書通例』と『目録学発微』)とともにお読みいただければ!

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『正史宋元版之研究』


songyuanban尾崎康先生の『正史宋元版の研究』(汲古書院、1989年)が、中国の正史について最も確かな版本学的研究であることは、いまさら言うまでもありませんが、この大業績が中国語に訳出されました。

正史宋元版之研究
(日) 尾崎康著 ; 喬秀岩, 王鏗編譯
中華書局 2018年

この中国語版、単なる日本語版の翻訳ではありません。本書を読むと分かる通り、尾崎先生は日本語版をお出しになった後も精力的に調査を続けられており、北京の国家図書館、北京大学図書館、上海図書館、復旦大学図書館などの蔵書をお調べになって、それぞれ成果をまとめていらっしゃいます。このたびの中国語版には、それらの成果が全面的に盛り込まれており、さらに充実した増訂版となっています。

本書は、橋本秀美氏のご尽力によって成ったものとの由、同氏「漢訳増訂版編後記」に記されております。この編輯自体も、それ自体たいへんなお仕事です。

汲古書院版をすでにお持ちの方も、ぜひこの素晴らしい学術成果を、新たに一冊お求め下さい。

『正史宋元版之研究』 の続きを読む

みすず版『漢文研究法』刊誤


最近、このブログの記事「平凡社東洋文庫版『漢文研究法』」の中で、「みすず版の瑕疵を数十箇所ほど訂正することができたのは、小さな喜びでした」と書いたところ、それを見て「どこをどう変更したのか」と声をかけてくれた友人がありました。

一冊買ってくれればすむものを、とも思いましたが、みすず版に訂正を加えて長く愛用したいということかも知れません。そういう需要もわずかながらあるのでしょう。以下、メモしておきます。左がみすず版、右が東洋文庫版で、問題のある字に色をつけてあります。

・p. 9「Qu sais-je?」→p. 19「Que sais-je?」

・p. 19「『千頃堂書目』三十二卷」→p. 30 「『千頃堂書目』三十二巻」

・p. 29「清邵懿撰」→p. 41 「清邵懿撰」

・p. 38「Toung Pao」→p. 51「T’oung Pao」

・p. 45「祖孝徴名(斑)」→p. 58「祖孝徴(名珽)」

・p. 48「北堂書引書索引」→p. 60「北堂書引書索引」

・p. 53 「太平廣記篇目及引引得」→p. 66「太平廣記篇目及引引得」

・p. 66「the Ching Period」→p. 81「the Ching Period」

・p. 70「陳德」→p. 86「陳徳(ルビ:うん)」

・p. 70「彭作」→p. 86「彭作

・p. 70「何崧」→p. 86「何崧

・p. 74「勵龢」→p.90 「勵龢」

・p.78「直隷等處(4)管巡撫事」→p.94 「(4)直隷等処管巡撫事」

・p. 84「古叢書」→p. 100「古叢書」

・p. 86「文豐出版社」→p. 102「文豊出版社」

・p. 93「文仲」→p. 111 「文仲」

・p. 93「読為位」→p. 111 「読為位」

・p. 98「通志讎略」→p. 115「通志讎略」

・p. 107「皮」→p. 125「皮

・p. 108「草木蟲魚疏」→p.125 「草木虫魚疏」

・p. 111「正」→p. 129「正

・p. 112 「劉」→p. 130「留、劉」

・p. 114「毛亨」→p. 132「毛亨伝 鄭玄箋

・p. 114 「馬辰」→p. 132 「馬辰」

・p. 114「毛詩稽古」→p. 132「毛詩稽古

・p. 122「古文尚書疏證」→p.141 「尚書古文疏証」

・p. 122「高宗日」→p. 141「高宗日」

・p. 123「王齡」→p. 142「王齢」

・p. 142「蓋禮記非醇經世問多六國秦漢人之所記」→p.163 「蓋礼記非醇経、其間多六国秦漢人之所記」

・p. 143「澔注」→p.164 「澔注」

・p. 145「子夏之徒不能贊一」→p. 166「子夏之徒不能賛一

・p. 163「虧()」→p. 184「虧()」

以上、本文に関する32条ほど、ここに列記しました。それ以外にも、狩野直禎氏の解説に引く本文を訂正し、また索引の誤字や不具合を訂正してあります。

(*平凡社東洋文庫版の購入は下記のリンクからお願いします。)

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僧祐のいわゆる「漢文」をめぐって


今回取り上げたいのは、「漢文」といっても文章の方ではなく、漢字のことです。「文」には字の意味もありますので、漢字のことを「漢文」と表現できるわけなのですが、これは中国ではいつ頃から用いられた語なのでしょうか。

そもそも、朝代が交替を繰り返す中国において、自分たちの文化を「漢」と意識することがいつにはじまるか、という問題にも関わります。

最近、吉川幸次郎「中国人と外国語—「出三蔵記集」と劉勰」(『吉川幸次郎全集』25、1986年)を読んだところ、中国が仏教の受容した時代のことに関わり、次のように書かれていました。

仏典の原語はサンスクリットであり、重訳の場合も、西アジアの諸語である。それを中国語にうつすという作業が、二世紀の後漢あるいは三世紀の三国以後、数百年にわたって大量に行われた。……大量の翻訳は、中国語以外の言語に対する知識と意識とを、著しく高めた。(p. 387)

そのうえで、様々な文字に対する興味深い認識が『出三蔵記集』にあることを次のように指摘します。

六世紀の名僧、釈僧祐の「出三蔵記集」は、そのころまでの仏典漢訳の歴史の記録である。それに次のようなくだりがある。いわく、世界には三種の文字がある。一、梵文、左から右への横書き。二、佉楼、右から左へ横書きする西アジアの文字。そうして第三が蒼頡、すなわち上から下へと縦書きの漢字。(同上)

その文章は、同書巻一の「胡漢譯經音義同異記」に見え、「造書之主(文字を作った人物)」が三人いたと述べる部分なのですが、原文を引用しましょう。

昔造書之主凡有三人:長名曰梵,其書右行;次曰佉樓,其書左行;少者蒼頡,其書下行。梵及佉樓居于天竺,黃史蒼頡在於中夏。(『出三藏記集』、中華書局、中國佛教典籍選刊、1995年、p. 12)

吉川幸次郎の文にはあらわれていませんが、梵が年長、佉楼がそれにつぎ、そして蒼頡が年少であるというように見立てています。

また、僧祐は「梵文」と「漢文」とを対にして用いており、「梵文」の「半字」「満字」を次のように説明しています。

半字為體,如漢文「言」字;滿字為體,如漢文「諸」字。以「者」配「言」方成「諸」字。「諸」字兩合,即滿之例也;「言」字單立,即半之類也。半字雖單,為字根本,緣有半字,得成滿字。譬凡夫始於無明,得成常住,故因字製義,以譬涅槃。梵文義奧,皆此類也。(同上、p. 12)

「半字」「満字」については、知識を欠く私にはよく理解できないのですが、ともかく、「梵文」に対して「漢文」の語が用いられていることには興味をひかれます。

中国の文字しか知らなかった古代の人々は、そもそも、それが多様な文字のうちの一種であるという認識を、当然持っていなかったことでしょう。彼らの文字が、他の文字との関係において相対化された時、はじめて「漢文」の語が生まれたのではないか。そのように考えれば、中国の南北朝時代に「漢文」の語が登場したことの意味は大きいはずです。

 

平凡社東洋文庫版『漢文研究法』


狩野直喜『漢文研究法』(みすず書房、1979年)については、このブログでもたびたび取り上げてきたところで、私のみならず、漢籍に関心を持つ人々に愛読者の多い一書であると思います。

昨年のことでしたか、平凡社の編集者、直井祐二氏から、同書を平凡社東洋文庫の一冊として復刻したい旨、お話をうかがいました。みすず版が長らく版元品切れとなっていたため、直井氏が狩野直禎先生のご遺族と相談の上、実現した話とうかがいました。

少々お手伝いなどをして、その東洋文庫版が近日中に出版される運びとなりました。

漢文研究法—中国学入門講義
内藤湖南と並ぶ京大東洋学の創始者、狩野直喜が約百年前におこなった一般向け講義。文学・史学・哲学・地理等を総合する中国学入門。
狩野 直喜 著 狩野 直禎 校訂
シリーズ・巻次 東洋文庫 890
出版年月 2018/07
ISBN 9784582808902
Cコード・NDCコード 0100 NDC 020.22
判型・ページ数 B6変 240ページ

kanbun狩野先生の学問を心から敬愛する者として、このお手伝いをさせていただけたことは、まことにありがたいことでした。

校正中は、学問の浅さからこの名著にとんでもない誤りを出しはしないかと日々畏れる毎日でした。みすず版の瑕疵を数十箇所ほど訂正することができたのは、小さな喜びでしたが、その一方で私のせいで別の誤りを出していないかどうか、心配はあります。本が刷り上がった今となっては、読者の皆様に点検していただくほかありません。

なお、みすず版で狩野直禎先生をはじめとする方々が付けられた補注は、一部改めたのを除き、ほぼそのまま録してあります。21世紀にふさわしい新たな補注を付け直すことができなかったのは残念といえば残念なのですが、その仕事はよりふさわしい方々にお任せしたいと思います。

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『「読む」技術』


中国古典を「読む」ことは私にとって大切なことで、人生と切っても切れません。「読む」ことが万人にとって大切だとは少しも思いませんし、ましてや、中国古典を読むことが必要だとも思いませんが、少なくとも自分自身の生にとっては不可欠です。その行為を通じて、何か、私の求める人類の叡智に触れたい。そう願っています。

そして、この「読む」という行為が、ある意味においては一種の「技術」である、ということも、経験的に理解してきたつもりです。「技術」であるからこそ、そこに意識を向けて修錬することで、「読み」を向上させることができる。そしてこの「技術」は、単純な一種類のものではなく、大小含め数多くの技術を組み合わせたものである。そのようなことも、中国古典を読む経験を通じて知っています。

『「読む」技術』という本があると聞き、読んでみようという気になりました。

石黒圭『「読む」技術ー速読・精読・味読の力をつける』
光文社 2010.3 光文社新書

この本は、私の知らない様々な学説にのっとって読書技術を以下のように整理しています(本書、p. 53)。

  • 話題ストラテジー(速読) 知識で理解を加速する力
  • 取捨選択ストラテジー(速読) 要点を的確に見ぬく力
  • 視覚化ストラテジー(味読) 映像を鮮明に思い描く力
  • 予測ストラテジー(味読) 次の展開にドキドキする力
  • 文脈ストラテジー(味読) 表現を滑らかに紡いで読む力
  • 行間ストラテジー(精読)  隠れた意味を読み解く力
  • 解釈ストラテジー(精読) 文に新たな価値を付与する力
  • 記憶ストラテジー(精読) 情報を脳内に定着させる力

なるほど、こういう具合に整理することができるのか、と思わされました。ひとつひとつの「ストラテジー」については、このように説明されれば思い当たるところがあり、ほぼ日常的に実践している読み方です。

それぞれの読書技術に関して、近現代の日本語の文章を豊富に例示しており、こういった例を通して身を以て理解できるように工夫されています。よい本です。

中国古典の例を挙げて、同じような手引きを作ることもできそうです。どなたかよい「読み手」が書いてくだされば、学生に役立つのではないでしょう。

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中国古典に親しむ

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