『東洋哲学の構造―エラノス会議講演集 』


DSC_0083ここ数年、澤井義次先生をリーダーとする共訳者の方々とともに、井筒俊彦(1914-1993)の英語講演訳出に取り組んでおりましたが、このたび、訳書が出版されました。

『東洋哲学の構造―エラノス会議講演集 』
井筒俊彦(著);
澤井義次(監訳);
金子奈央(訳);
古勝隆一(訳);
西村玲(訳)

単行本: 552ページ
出版社: 慶應義塾大学出版会 (2019/3/23)
言語: 日本語
ISBN-10: 476642459X
ISBN-13: 978-4766424591
発売日: 2019/3/23

ネット書店に載っていた広告から内容を引用しておきます。

井筒を世界に知らしめた伝説の〈エラノス会議〉。老荘思想から禅仏教、華厳、儒教、水墨画、俳句、シャマニズムまで、東洋の思想を縦横無尽に語った全12回の講演録。『意識と本質』へと連なる思索の跡、待望の邦訳!【商品解説】

最重要の「東洋哲学論」、待望の翻訳。井筒哲学の全体像における「空白」を埋め、『意識と本質』へと至る階梯を明らかにする。本書は、東洋哲学に詳しくない海外の知識人向けの講演に基づくため、文体は非常に読みやすくなっている。【本の内容】

1 老荘思想における絶対的なものと完全な人間
2 禅仏教における自己の構造
3 禅仏教における意味と無意味
4 東アジアの芸術と哲学における色彩の排除
5 禅仏教における内部と外部
6 儒教の形而上学におけるリアリティの時間的次元と非時間的次元
7 素朴実在論と儒教哲学
8 『易経』マンダラと儒教の形而上学
9 禅仏教における時間のフィールド構造
10 イマージュとイマージュ不在のあいだ――東アジアの思惟方法
11 存在論的な事象の連鎖――仏教の存在観
12 天空の飛遊――神話創造と形而上学
解説 澤井義次
監訳者あとがき
参考文献
索 引

「『意識と本質』へと連なる思索の跡」という出版社のコピーは、なかなか秀逸だと思います。『意識と本質』では、中国思想に関する分析が十分にはなされていませんが、実は、そのもととなっているのが、この「エラノス会議」における議論なのです。

なお、「本書は、東洋哲学に詳しくない海外の知識人向けの講演に基づくため、文体は非常に読みやすくなっている」とありますが、実は井筒氏の英文はそれほど読みやすいものではなく、訳出にも苦労したのですが、なるべく分かりやすく、講演のかたちに近づけて訳そうという澤井先生の方針のもと、何とか読みやすくなったのではないかと思っております。

『意識と本質』の愛読者の方には、ぜひお手にとって読んでいただきたいものと願っております。

https://amzn.to/2HAWcD1

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岡井慎吾『柿堂存稿』


柿堂存稿封面松崎慊堂(1771-1844)の伝記として充実しているものに二種あり、第一は岡井慎吾「熊本に於ける慊堂先生」(『柿堂存稿』、有七絶堂、1935年、所収)、第二は鈴木瑞枝『松崎慊堂—その生涯と彼をめぐる人びと』(研文出版、2002年)です。

後者の鈴木氏は、前者を評して次のようにいっています。

ここで予め告白しておくが、この第一章に使われているさまざまな資料その他については、この岡井氏の「熊本に於ける慊堂先生」という1931年に発表された論文に負う所が大きい。……当時、岡井氏は熊本にあった旧制五高の教授であったところから、慊堂の生地に入って踏査をしたり、さまざまな資料等も実見し、慊堂と縁のある人たち(異父姉たつの子孫たち)に会ったりもしてこれを書き上げた。しかしその後、数多の歳月が経ち、その頃の人は亡くなり、またそのゆかりの人に会おうとしても所在不明で、この論考に使われている資料も、どこかに散逸してしまって現在見られないものがある。それなりに手を尽くして努力してみたのだが、少年時代の資料に関する限り、岡井氏のこの本に頼るより仕方ないようである。(p. 11)

岡井慎吾(1872-1945)は、『玉篇の研究』(東洋文庫、1933年)などで知られる碩学ですが、彼が時間をかけて調べて書いた、慊堂に関するこの伝記も実に読み応えのあるものです。

「熊本に於ける慊堂先生」は、岡井氏の文集である『柿堂存稿』に収められていますが、同書は、有七絶堂というところから刊行されています。しかし、耳慣れない名前です。

鈴木氏は「おそらくは自費出版であろう」と書いています。「柿堂」は書名に含まれていることから岡井氏の号と知られますが、「有七絶堂」の方はどうでしょうか。幸い、『柿堂存稿』に「有七絶堂記」の一文(漢文)が収められており、その事情を知ることができます。書き下し文でその冒頭をお示ししましょう。

柿に七絶有るは、『酉陽雑俎』に見ゆ。余、郷に在るの日、屋北に柿樹有るに因りて、自ら柿堂と号し、また吾が読書の処に命じて有七絶堂と云う。(p. 294)

いわば岡井氏の号が柿堂で、書斎の室号が有七絶堂です。岡井氏は福井の鯖江の出身だそうですが、その郷里の家に柿の木があったことにちなんだ命名で、「柿には七つの素晴らしい長所がある」という『酉陽雑俎』の記述によって柿堂と有七絶堂は結びつけられています。

俗謂:柿樹有七絶。一,夀;二,多陰;三,無鳥巢;四,無蟲;五,霜葉可翫;六,嘉實;七,落葉肥大。(『酉陽雜俎』卷十七)

自費出版というより、むしろ自家出版といえましょうか。むかしの中国では家刻ということがよくありました。

流布も少なく、なかなか入手しがたい本ですが、興味をそそられる一冊です。

 

 

拙著『目録学の誕生』が刊行されます


ISBN978-4-653-04376-8久しぶりに単著を出せる運びとなりました。『目録学の誕生』というタイトルで、勤務先の名を冠した「京大人文研東方学叢書」というシリーズが臨川書店から刊行されていますが、その第6冊です。

コラムなどは楽しんで書きました(以前このブログに書いたことをまとめ直したものも少しだけあります)。広くお読みいただきたいと願っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

刊行は、本年3月上旬の予定です。以下のリンクから予約いただければ幸いです。

https://amzn.to/2I9xsDz

『目録学の誕生−劉向が生んだ書物文化』 京大人文研東方学叢書 6
古勝隆一著
臨川書店、2019年3月
四六判・上製・紙カバー装・帯付 総268頁
本体3,000円+税
ISBN978-4-653-04376-8

人にとって書物とは何か。なぜ、書物は必要なのか

書物をぬきにして中国文化を語ることはできない。その書物は、どのように書かれ、整理され、系統立てられ、そして伝承されてきたのだろうか。前漢にはじまる皇室の図書事業は、やがて独立した「書物の学問」=「目録学」に発展し、過去から未来へと学問をつなぐ知の集積がはじまっていく。目録学の始祖とされる劉向(りゅうきょう)は、何を考え、何を成し遂げたのか。原資料と先行研究を幅広く渉猟し、目録学の誕生史を描き出す。

 

以下、目次を掲出します。

・はじめに

・序章 目録と目録学
第一節 校書と分類の関係
第二節 目録と書目
第三節 「校讐」の起源―校正の始まりについての一試論
第四節 中国学術の全体像を俯瞰する
第五節 「儒」の位置
□コラム 目録学と校讐学

・第一章 劉向目録学のインパクト
第一節 二劉の学の大きさ
第二節 書目の背後にあるのは「学術」である
第三節 術をめぐって
第四節 官職と書物
第五節 『漢書』芸文志の序文を読む
第六節 「大序」は誰の文章か
□コラム 書物と国家

・第二章 目録学前史―戦国時代から前漢時代における学術と学派
第一節 諸子を批判する諸子
第二節 批判精神の発露―『荀子』非十二子篇
第三節 道術の衰え―『荘子』天下篇
第四節 学派内部の分裂をめぐって―『韓非子』顕学篇
第五節 司馬談の学術観
□コラム 荀子は子思と孟子を批判したのか

・第三章 前漢時代の皇帝と学問
第一節 焚書のダメージ
第二節 漢初の学問好尚の変化
第三節 武帝と儒教
第四節 ポスト武帝時代から前漢末にいたる学問好尚
第五節 前漢における六芸の位置
第六節 漢室と神仙思想
第七節 前漢における図書蒐集の歴史
□コラム 芸をめぐって

・第四章 劉向の家系と学問
第一節 『史記』楚元王世家と『漢書』楚元王伝
第二節 劉向の祖先、楚の元王
第三節 劉交の子孫たち
第四節 劉向の曽祖父・祖父・父
第五節 劉向の生涯
第六節 毀誉褒貶を生んだ劉歆の生き方
□コラム 劉安と劉向

・第五章 『別録』と『七略』
第一節 『別録』と『七略』
第二節 『七略別録』とは何だろう
第三節 『別録』『七略』のその後
第四節 『別録』『七略』の輯本
第五節 姚振宗輯本の登場
第六節 『別録』『七略』に著録された書物
第七節 劉氏校書と『漢書』芸文志
□コラム 姚振宗とその著作

・第六章 校書の様相
第一節 校書を担ったのは誰なのか
第二節 校書の記録―「荀子書録」を例として
第三節 校書の実態―『戦国策』の場合
第四節 序録に見える「中書」
第五節 校書はどこで行われたのか
□コラム 天禄閣から飛び降りた楊雄

・第七章 『七略』の六分類
第一節 なぜ「七」略なのに「六」分類なのか
第二節 『七略』の六分類
第三節 輯略について
第四節 六分類の体系性をめぐって
□コラム 数術略なのか術数略なのか

・第八章 ポスト劉向時代の目録学
第一節 劉向らの校書は無力だったのか
第二節 劉向らが校讐した本の運命
第三節 劉向らの校書結果の影響
第四節 四部分類の誕生
第五節 現代にも残るその影響力
□コラム 劉向的分類を乗り越えることの難しさ

・第九章 劉向の学を広め深めた学者たち―鄭樵・章学誠・余嘉錫
第一節 鄭樵の学術観―理想の学術分類を目指して
第二節 章学誠の見た劉向―目録学の理念
第三節 余嘉錫の目録学―近代に劉向を伝える
第四節 目録学は本当に劉向が始めたのか
□コラム 「言公」の読みづらさ

・終章 書物はなぜ必要なのか
第一節 書物は聖人が遺した糟粕なのか
第二節 劉向の思い
第三節 書物肯定と否定のはざま

主要資料・参考文献一覧/あとがき/図版出典一覧/関連年表/索引

微旨を表出すること


吉川先生の近著『顔真卿伝』を読んでいたところ、陳垣『通鑑胡注表微』に言及がありました。

前世紀の中国史学界を代表する学者の一人である陳垣氏の『通鑑胡注表微』は、南宋の遺民として元朝の統治下に生きた胡三省の鬱屈した心情を読みとり、かかる胡三省の心情に、抗日戦争期に日本が支配する淪陥区となった北京で生活をつづける陳垣氏の心情が重ねあわされている名著なのだが、……(『顔真卿伝』、p. 81)

陳垣(1880-1971)がこの書物にこめた気持ちは、その自序(「小引」)から読みとることができます。すなわち、世の人々は胡三省の『資治通鑑』注釈を単なる「音訓の学」と思い込み、まともに彼の思いに向き合わず、地理に長じた学者と認識するばかり。それゆえ、陳垣は「その微旨あるは、並びに表して之を出だす」、つまり胡三省が注に込めた見えがたい思い(微)を目に見えるかたちにする(表)ことを思い立った、というわけなのです。これが書名に含まれる「表微」の意味です。

ところで、吉川先生が論じていらっしゃる胡三省注の一節は、「史の云う所の如くんば、則ち河北の二十四郡、惟(た)だ張興のみ以て義士と言う可き耳(のみ)」という一条であり、胡三省の顔真卿に対する「微意」を、吉川先生はここに読みとります。

私はこれを読んで背筋が寒くなりました。ここにも、陳垣が言及してない胡三省の微旨があるのか、と。確かに、顔真卿やその子孫を蘇らせてこの胡三省注を読ませたならば、ひどく気分を害するのではないか、と思えてきたのです。

書いてあることを理解するのはそう難しいことではありません。書かれていないことを読みとるところが、流石、吉川先生です。

これ以外にも本書を通読して、もう一箇所、背筋が寒くなる思いをしたのですが、それは言わぬが花、というものでしょう。

 

『顔真卿伝』


吉川忠夫先生が新しい本をお書きになっていることは、存じていたのですが、その新著を昨日、一冊送っていただきました。

吉川忠夫
顔真卿伝―時事はただ天のみぞ知る
法蔵館
ISBN-10: 4831877239
ISBN-13: 978-4831877239
2019/1/10発売

出版社のサイトから、目次を転載します。

はじめに

一章 輝かしい家系とその生い立ち 書生門戸/節義の伝統/書芸術の伝統/父惟貞/幼少時代

二章 官界デビュー 青雲の志/張旭/硬骨の官として

三章 安史の乱 羯胡安禄山/気驕りて上都を凌ぐ/漁陽の鼙鼓(へいこ)、地を動(どよも)して来たる /平原太守として/青年李㟧の献策/危機迫る/平原を去る/行在所へ

四章 息を吹き返す唐王朝 長安帰還/「祭姪文稿」と「祭伯文稿」/「争坐位帖」

五章 撫州刺史時代 「麻姑山仙壇記」/「魏夫人仙壇碑」/「華姑仙壇碑」/「李含光碑」 /仏教とのかかわり/「蔡明遠帖」と「八関斎会報徳記」

六章 湖州刺史時代 『韻海鏡源』/皎然/「李左相の石樽」聯句/陸羽/張志和

七章 壮絶な最期 「李太保に与うる帖」/『礼儀集』/盧杞の姦策/李希烈のもとで /「蔡州帖」/泉下に眠る顔真卿

終章 書と人 後世における顔真卿評/書をもって自らに命(な)づくることなかれ

あとがき

参考文献

図版一覧

顔真卿年譜

本書の構想について、吉川先生は「あとがき」に次のようにお書きになっています。

これまでに曲がりなりにも顔之推と顔師古のことをあつかう文章を発表してきた私には、琅邪の顔氏の栄光の掉尾を飾る顔真卿について、その一部分を伝える文章を発表したことはあるものの、その全体像を描いてみたいとの想いがかねてからあり、気分の赴くままに書きつぎ書きためて本書の原型となるようなものを筐底に蓄えていたのであった。そしてそれを旧著『王羲之ー六朝貴族の世界』の姉妹編としたい考えもないではなかったのだが、図らずも法蔵館編集部の今西智久さんから何か著書を編んでみないかとの誘いがあり、かくして本書の刊行がとんとん拍子に実現の運びとなったのである。

なるほど、長年にわたる構想の一環なのですね。先生の想いが形になったことを喜んでおります。さっそく読み始めました。正月にじっくり拝読しようと思います。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/4831877239/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=xuetui-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4831877239&linkId=a832fd540443792e9962b036ba4bf0fe

 

引用はどこまでか?


中国の文言文には、もともと符号が少ないという性質があります(金文には重文符号が使われることがあり、簡帛にはその他にL字や●などは見えるものの)。句読点もほとんど打たれず、ましてや引用符号などありません。

ところが困ったことに、書物によっては大量の引用文が存在します。引用の開始は「曰」「云」などのマーカーにより、比較的簡単に判別できますが、その引用がどこまで続くのかがかなり頭の痛い問題であることは、文言文をお読みになる方はみなご存じでしょう。

中華書局の「十三經清人注疏」の一冊として、昨年、郝懿行(1757-1825)の『爾雅義疏』が整理・出版されました(王其和・吳慶峰・張金霞點校)。出版自体、大変に有意義なことで、喜んで購入したのですが、読んでいると、引用符の位置が気になってしまいました。

『爾雅義疏』中之三、の「釋樂弟七」の部分に、以下の引用があり、この点校本は以下のような標点を施しています。

《一切經音義》六引《世本》云:“伶倫作樂。周衰樂壞,遭秦絕學,古樂淪亡。漢興,武帝時河間獻王作《樂記》,劉向所校廿三篇,《樂器》弟十三。今《禮記》所取才止十一,合為一篇。其餘十二篇,《別錄》存其名,其文則闕焉。”(『爾雅義疏』p.535)

『世本』は『漢書』藝文志に見える古書ですが、後に失われ、我々はその全貌をうかがうことができません。しかし「伶倫作樂」の文はさておき、「周衰樂壞」以下の部分は、どうも『世本』の本文らしく見えませんし、また唐代の『一切經音義』らしくもありません。玄應『一切經音義』卷六および慧琳『一切經音義』卷二十七を調べてみると果たしてこれは、郝懿行の文でした(内容的には王應麟『漢書藝文志攷證』の説をなぞった記述です)。

また同じ篇には以下のようにあります。

邢疏引《世本》曰:“庖犧氏作五十弦,黃帝使素女鼓瑟,哀不自勝,乃破為二十五弦,二均聲。《禮圖》舊云:‘雅瑟長八尺一寸,廣一尺八寸,二十三弦,其常用者十九弦。頌瑟長七尺二寸,廣尺八寸,二十五弦,盡用之。’”(『爾雅義疏』p.536)

「《禮圖》舊云」以下の部分をも『世本』の引用とみなしていますが、これも不適切で、その部分は邢昺の疏を引用したものです(郝懿行の文章も不完全ではありますが)。なお、「其二均聲」の「其」は、阮元刻本の邢昺『爾雅注疏』では「具」に作っており、「其」とするのは郝懿行の考えで改めたものか、もしくは底本の誤刻でしょう。

いずれにせよ、書物に引用された文を判定するのはなかなか難儀なことですが、これらはちょっとした確認によって防ぐことができる誤りであったので、少し残念に思った次第です。

 

 

文政から天保へ


文政十三年、年も押し迫った十二月十六日に改元があり、天保元年となりました。西暦で言うと、1831年1月29日のことです。

文政十三年には天災が多く発生しました。いわゆる文政京都地震も、この年の七月(旧暦)に起こり、それを受けての改元のようです。

さて、松崎慊堂(まつざき・こうどう、1771-1844)『慊堂日暦』を読んでいたところ、同年十二月六日の記事に、こうありました。

京師の地震は、俗間に伝えて改元の事となす。過月七日、京師はまた大いに震い、相伝えて天保、或いは正文と改元すと云う。(『慊堂日暦』3、平凡社、東洋文庫、p.118)

なんと、改元が公表される前に、新元号のことをあらかじめ知っていたというのですから、驚きます。十六日の記事には次のようにあります。

林公〔林述斎〕は有司をして歳儀を賜わしめ、長公〔林檉宇〕は別に博多煉酒及び醢を饋り、且つ今日天保と改元せることを報ず。果たして六日に聞けるところの如し。(同上、p.121)

林檉宇は、大学頭(だいがくのかみ)の林述斎の子にして、松崎慊堂の教え子。当時、幕府の儒官であったので、改元のことを松崎慊堂よりそれを早く知り(『大日本史料』99編に「庚子、幕府、改元を告示す」とあり、これが十六日に当たります)、それを十六日、お歳暮を贈るついでに慊堂に教えてよこしてくれたのでしょう。

六日に「天保、或いは正文と改元す」と慊堂に伝えたのが誰なのか、それは分かりませんが、慊堂の早耳はなかなかのものです。もちろん、慊堂が江戸に住んでいて、しかも権力とかなり近いところにいたからこそ得られた情報なのでしょうが。

いまと違って、ニュースも新聞もなかった江戸時代、人々はどのように改元を知ったのか。『慊堂日暦』の記事は、その実例のひとつです。間もなく平成最後の年を迎える一日本人として、ふとこの改元の日記に目を止めたのでした。

『中国古典学への招待』


中国文献学を支える「目録学」について、近年、いくつか訳書・概説書が出ていますが、2年前に重要な一冊が、中国語から日本語に訳出されました。

中国古典学への招待:目録学入門

程千帆・徐有富著 ; 向嶋成美・大橋賢一・樋口泰裕・渡邉大訳

研文出版 2016.9 研文選書, 125

原著は、程千帆・徐有富両氏による『校讎広義目録編』(斉魯書社、1988年)です。この書物は、中国の目録学研究の中でも最も重要な著作のひとつであり、その日本語訳が出たことの意義は、甚大だと思います。

目録学を学ぶ者として、もちろん同書を読んでいたのですが、こうして日本語で読ませてもらうと、また違った喜びがあります。訳文はさすがに高水準です。

この著作の優れた点は、中国目録学の伝統を踏まえ、しかも清末の姚振宗(1942-1906)の目録学、民国の余嘉錫(1884-1956)『目録学発微』、姚名達(1905-1942)の研究、そして著者らの恩師である汪辟疆(1887-1966)『目録学研究』が、実にバランスよく汲み取られている、非常にうまくできた一冊であると、日本語訳を読んで感じました。さすがに南京大学の大学者、程千帆(1913-2000)の学を伝えるもので、基本をすべておさえていながらも、情報量がとても多く、充実しています。

近代の学者である梁啓超や姚名達を視野に入れたばかりでなく、文革期以降の図書館に対しての見通しも持ち合わせた一書です。

注釈や索引はもちろん、附録類も入念に作られています。中国の文献学に関心をお持ちの方におすすめしたいと思います。嘉瀬達男兄と内山直樹兄と私が力を合して訳出した余嘉錫の二著作(『古書通例』と『目録学発微』)とともにお読みいただければ!

https://amzn.to/2Nkambt (『中国古典学への招待』)

https://amzn.to/2NfOjTg (『古書通例』)

https://amzn.to/2NknZaJ (『目録学発微』)

『正史宋元版之研究』


songyuanban尾崎康先生の『正史宋元版の研究』(汲古書院、1989年)が、中国の正史について最も確かな版本学的研究であることは、いまさら言うまでもありませんが、この大業績が中国語に訳出されました。

正史宋元版之研究
(日) 尾崎康著 ; 喬秀岩, 王鏗編譯
中華書局 2018年

この中国語版、単なる日本語版の翻訳ではありません。本書を読むと分かる通り、尾崎先生は日本語版をお出しになった後も精力的に調査を続けられており、北京の国家図書館、北京大学図書館、上海図書館、復旦大学図書館などの蔵書をお調べになって、それぞれ成果をまとめていらっしゃいます。このたびの中国語版には、それらの成果が全面的に盛り込まれており、さらに充実した増訂版となっています。

本書は、橋本秀美氏のご尽力によって成ったものとの由、同氏「漢訳増訂版編後記」に記されております。この編輯自体も、それ自体たいへんなお仕事です。

汲古書院版をすでにお持ちの方も、ぜひこの素晴らしい学術成果を、新たに一冊お求め下さい。

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みすず版『漢文研究法』刊誤


最近、このブログの記事「平凡社東洋文庫版『漢文研究法』」の中で、「みすず版の瑕疵を数十箇所ほど訂正することができたのは、小さな喜びでした」と書いたところ、それを見て「どこをどう変更したのか」と声をかけてくれた友人がありました。

一冊買ってくれればすむものを、とも思いましたが、みすず版に訂正を加えて長く愛用したいということかも知れません。そういう需要もわずかながらあるのでしょう。以下、メモしておきます。左がみすず版、右が東洋文庫版で、問題のある字に色をつけてあります。

・p. 9「Qu sais-je?」→p. 19「Que sais-je?」

・p. 19「『千頃堂書目』三十二卷」→p. 30 「『千頃堂書目』三十二巻」

・p. 29「清邵懿撰」→p. 41 「清邵懿撰」

・p. 38「Toung Pao」→p. 51「T’oung Pao」

・p. 45「祖孝徴名(斑)」→p. 58「祖孝徴(名珽)」

・p. 48「北堂書引書索引」→p. 60「北堂書引書索引」

・p. 53 「太平廣記篇目及引引得」→p. 66「太平廣記篇目及引引得」

・p. 66「the Ching Period」→p. 81「the Ching Period」

・p. 70「陳德」→p. 86「陳徳(ルビ:うん)」

・p. 70「彭作」→p. 86「彭作

・p. 70「何崧」→p. 86「何崧

・p. 74「勵龢」→p.90 「勵龢」

・p.78「直隷等處(4)管巡撫事」→p.94 「(4)直隷等処管巡撫事」

・p. 84「古叢書」→p. 100「古叢書」

・p. 86「文豐出版社」→p. 102「文豊出版社」

・p. 93「文仲」→p. 111 「文仲」

・p. 93「読為位」→p. 111 「読為位」

・p. 98「通志讎略」→p. 115「通志讎略」

・p. 107「皮」→p. 125「皮

・p. 108「草木蟲魚疏」→p.125 「草木虫魚疏」

・p. 111「正」→p. 129「正

・p. 112 「劉」→p. 130「留、劉」

・p. 114「毛亨」→p. 132「毛亨伝 鄭玄箋

・p. 114 「馬辰」→p. 132 「馬辰」

・p. 114「毛詩稽古」→p. 132「毛詩稽古

・p. 122「古文尚書疏證」→p.141 「尚書古文疏証」

・p. 122「高宗日」→p. 141「高宗日」

・p. 123「王齡」→p. 142「王齢」

・p. 142「蓋禮記非醇經世問多六國秦漢人之所記」→p.163 「蓋礼記非醇経、其間多六国秦漢人之所記」

・p. 143「澔注」→p.164 「澔注」

・p. 145「子夏之徒不能贊一」→p. 166「子夏之徒不能賛一

・p. 163「虧()」→p. 184「虧()」

以上、本文に関する32条ほど、ここに列記しました。それ以外にも、狩野直禎氏の解説に引く本文を訂正し、また索引の誤字や不具合を訂正してあります。

(*平凡社東洋文庫版の購入は下記のリンクからお願いします。)

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中国古典に親しむ

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