目録学について


内藤湖南(1866-1934)という偉い学者が、次のように言っています。

目録學は支那には古くからあるが、日本には今もつて無い。これは目録といつても、單に書物の帳面づけをするといふやうな簡單なことではない。支那の目録學にはもつと深い意味がある。これを知らないと、書物の分類も解題もできない。のみならず、今日實際に當つて、色々のものを見るのに困る場合が多い。日本の目録には、意味のないことが多い。かの佐村氏の「國書解題」などでも、箇々の書の特質を標出し得ずして、何れの書にも同樣の解題をしてあるやうな處があつて、解題の意味をなさぬものがあるが如きである。(「支那目録學」、『内藤湖南全集』巻12、筑摩書房、1970年所収)

内藤湖南のみならず、目録学を重要と考える漢学家は多いのです。「前近代中国の文献を扱うためには絶対に目録学が必須」というのが、中国の古文献を取り扱う研究者の心得になっているようです。

学生時代にそのような話を聞いて以来、私も目録学なるものに関心を持ち続けているのですが、なにより残念なのは、目録学に関する自分の理解が一向に深まらないことです。むしろ、最近では混乱をきたしています。その原因を考えてみて、適確に学説を整理せず、いい加減に読み飛ばしてきたことに思い至りました。目録学を勉強しなおすつもりです。

そこで、しばらくは、この目録学関係の著作を取り上げて、思う所などを綴ってゆきたいと思います。この先しばらく、章学誠・孫徳謙・姚振宗・姚名達・余嘉錫・内藤湖南・倉石武四郎ら、目録学の大家の論著を語ってみようと思います。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中