目録学はそれほど大切なのか?


清朝の学者、王鳴盛は、目録学を評して次のようにいいました。

目録の学は、学中の第一の緊要事なり、必ずこの問塗に従りて、はじめて能くその門を得て入る。(『十七史商榷』)

「目録学は、学問の中でなにより重要なのだ。目録学によらなければ、学問の殿堂に立ち入ることすらできないのだ」ということです。この一文、目録学者にとっては、目録学への愛情をいたく刺激するものらしく、大家の先生から学生さんまで、中国人も日本人もなく、こぞって論文の冒頭に引用します。

どうも、私はこの台詞を好きになれません。この文を目にするたびに、何ともいえない「いらだち」がこみ上げてくるのです。その「いらだち」というのが、自分でもおかしいくらいなので、分析してみました。

  1. 内容があまりにも高圧的。「第一の緊要事」って、みなさん、本当にそう信じているんでしょうか?ほかにもっと大切なことがあると思いますが……。
  2. 陳腐であること。引用を繰り返す方に申し上げたいのですが、いいかげん、聞きあきました。陳腐においては他の追随を許さない中国古典研究の世界に身を置き、かなりの忍耐力はあるつもりですが、この繰り返しには耐えられません。もう勘弁してください。
  3. 王鳴盛が好きでないこと。この業界、大学者を軽々しくそしるのは御法度なのですが、人間、好き嫌いがあるのはやむをえないことです。全世界の王鳴盛ファンのみなさん、ごめんなさい。

別にそんな大げさなことをいわなくても、中国古典に、そして目録学の勉強にいそしめば、よいではないですか。こと目録学への愛着については、私も人後に落ちません。「どれくらい目録学が大切なのか」、じっくり考えてみたいと思います。

広告

「目録学はそれほど大切なのか?」への4件のフィードバック

  1. 文言基礎では鍛えていただいております。
    目録学やると力つきそうな気がしてます。
    こちらでもよろしくおねがいします。

  2. いいですね、筋トレっぽくて。おすすめのトレーニング法は、『四庫全書簡明目録』と『書目答問』とを買ってきて、毎日、厭きずにながめることです!これで私はある程度、書物の名前を覚えました。

  3.  おじゃまします。王鳴盛のことをちょっとだけ好きなまっつんです。
     まだ大学生だった頃、『十七史商榷』を読み始めていきなり「目録之学、学中第一緊要事」の言葉に出会ったので、「カッコ良い!」と感動してこの言葉を友人に自慢げに語った時のことを思い出しました。「目録学」って何のことやらさっぱり分からなかったのに…。大上段にこのインパクトある言葉を振りかざした割に、王鳴盛はその後あまり「目録之学」について詳しく語っている印象は薄いように感じました。きっと王鳴盛は誰かが言っていたこの言葉が気に入って使ったのじゃないか、と勝手にそう想像しています。
     今も目録学についてよく分かりません。「目録」と聞くと、古書店などの目録を思い出してしまい、『四庫全書簡明目録』という立派な書物ですら、古書店の目録を眺めるのと同じ気持ちで眺めてしまいます。「何か面白そうな本はないかなぁ」と…。
     先生のブログでいちから勉強させていただきます。

  4.  王鳴盛のファンの方に見つかってしまいましたね。いやあ、いつかこの日が来るとは覚悟していました。しかし、さすが、まっつんさん、「王鳴盛、格好つけただけで、内容がないではないか」という私の気持ちを代弁してくださいました。
     目録学って、知ってみれば、なかなか面白いですよ。頼惟勤さんは、生前、生物学と目録学を好んだとのことで、両者は似ていると言っていたそうです(「著作集」の解説だったか、何かで読みました)。生物も書物も、自分で一から分類してみるつもりになると、心底楽しめるのではないでしょうか。「生物が動物と植物とに二分されるように、書物にも二種類あるのですよ!」とか言えたら、気持ちいいでしょうね。
     あまり、大上段にかまえた言い方をされると、威圧感ありすぎで、たじろぎますからね、楽しく、勝手に学べたらよいと思っています。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中