湖南の劉向評価


内藤湖南(1866-1934)の全集、第12巻に収められている「支那目録学」は、日本語で読める目録学概説としてはまず第一に読むべきものでしょう。内藤乾吉氏による全集の「あとがき」を引用しておきましょう。

「支那目録学」は、大正十五年の四月から六月まで、京都大学の東洋史学科の特殊講義として、十一回を以て講じたものである。著者はこの年の八月に大学を退いているから、これが大学在職中の最後の講義である。他の講義同様、著者自身の草稿はないので、聴講者のノート数種と、著者が使用したと思われる資料とを参照して整理した。文中の標目はその際に便宜施したものである。整理をしたのは昭和二十四年八月であるが、当時刊行の機を逸し、このたびはじめて印行するものである。

大正十五年といえば、西暦で1926年です。この講義では、劉向から章学誠までの目録学をとりあげており、同時代の孫徳謙(1866-1935)が書いた『漢書芸文志挙例』『劉向校讐学纂微』を参考にしています。当時、中国の学者が目録学に対して持っていた関心にまさに呼応したものです。

「支那目録学」の魅力のうち、最大のものは、司馬遷と「二劉」、すなわち劉向(りゅうきょう)父子の学問についての比較だと思います。

漢代までの支那の學問を總括して考へたものに、二通りの種類がある。一は司馬遷の史記で、一は二劉の學である。

湖南は、春秋戦国時代に成熟した中国文化の総括こそ、司馬遷の学問であり、劉向の学問であると考えます。まず、司馬遷の学問をこう語ります。

あらゆる學問の中で、最も總括的な最大の學問は史學であつて、史學は世の中を經綸する學問であり、史學が古來から漢代までの學問の關係を知る學問であるとし、この根本の古今一貫した學問を知れば、當時世に殘つてゐる書籍はそれによつて總括せられ、色々の本はあつても、その全體に關係があり、世の中の經綸に役立つといふ考へで史記を書いたのである。

一方の劉向の学問はどうか。

二劉はこれと異り、司馬遷が史記に載せないで、そのままにして世間に殘しておいたその方を全體に總括したのである。これは一書毎に解題を作り、その由來・主張・得失を一一の本について書き、之を子目ごとに一纏めにし、更にそれを一纏めにして六略の各部類とし、全體を六略とし、その六略の上に輯略を作つて全體を總論した。即ち各々の本の部分的方面より見て行き、最後に總括されたところで、人間の思想・技術が古來如何に動いたかを見たのである。即ち司馬遷の殘した部分的のものを一つに纏めた。當時の學としては、司馬遷の如く歴史の中心から總括したものと、二劉の如く各部分より總括したものと、この兩方より見て全體の學問が分るのである。

以上のように、司馬遷と劉向とを対比した上で、次のように総括します。

この二書は、漢代の最大の學術的收穫で、これだけで支那の學術は盡きてゐると云つてもよい。その後、書籍も色々出來、分類法も色々變つたが、全體に於てこの二大學問の流れに過ぎぬ。

中国史において、前漢という時代がもっている特別な意味を再考せざるをえません。中国文化の第一の総括がここで徹底的に行われ、後世においても、この枠組みが有力に機能した、というわけです。

それと同時に、中国の伝統学術がもっていた特徴的な傾向、すなわち司馬遷的な史学と、劉向的な文献学とがその根幹になっていることを思い知らせるものです。

この説は、中国の伝統学術をかなり極端なかたちで単純化していますが、見識に満ちた湖南らしい、的を射抜いた考えであると思います。

*Webcatによると、所蔵図書館は、274館。

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