師石山房叢書


先日、2009年6月26日のエントリー「輯略のはなし」の中で、『七略』の輯略と『漢書』藝文志との関係について、内藤湖南(1866-1934)が姚振宗(1842-1906)の説に従っていないのは誤りであるむね、申し上げました。その際、私は根拠もなく「湖南は姚振宗の存在を知っていたのだろうな」と思い込んでいたのですが、もう一度、考え直してみる必要がありそうです。少しだけ姚振宗とその著書について調べてみました。

姚振宗は、字は海槎、浙江山陰の人。この人の著書を見るには『師石山房叢書』(開明書店、1936年)を見るのが一番で、いま、私もこれを見ながらこの文章を書いています。その子目を挙げておきます。

  • 『七略別録佚文』一
  • 『七略佚文』一卷
  • 『漢書藝文志條理』八卷
  • 『漢書藝文志拾補』六卷
  • 『隋書經籍志考證』五十二卷
  • 『後漢藝文志』四卷
  • 『三國藝文志』四卷

それ以外に附録として、王式通「師石山房叢書題辭」(宣統3年)、陳訓慈「序」(民国25年)、「姚先生小傳」、陶存煦「姚海槎先生年譜」、「師石山房叢書目録」が備わっています。

姚振宗の著作のうち、本人も得心のできばえであったという『隋書經籍志考證』は、『二十五史補編』(開明書店、1936年)にも収録されており、今でこそ、姚振宗はよく知られていますが、生前はそれほど有名でもなかったらしく、その没後に子孫の努力でようやく著書が知られるようになったとのことです。「年譜」の末尾にその経緯があらまし記してあります。

  • 民国6年(1917)、張鈞が「適園叢書」に『後漢藝文志』『三國藝文志』を収録。
  • その後、数年して楊立誠が「文瀾閣珍本叢刊」に『七略別録佚文』『七略佚文』『漢書藝文志條理』『漢書藝文志拾補』を収録。
  • 民国21年(1932)、陳訓慈が浙江図書館より、「文瀾閣珍本叢刊」から『七略別録佚文』『七略佚文』『漢書藝文志條理』『漢書藝文志拾補』を取り、さらに『隋書經籍志考證』を印行し、『快閣師石山房叢書』として出版。

上記のうち、楊立誠の「文瀾閣珍本叢刊」というものがどうしても確認できないのですが、『快閣師石山房叢書』が1932年に出版されて以降(この叢書の編集経緯は、「文瀾閣珍本叢刊」との関係で、少し複雑であるかも知れませんが、完成したのは1932年らしく思われます。待考)、ようやく姚振宗の学問が広く知られるようになったと考えてよいでしょう。

湖南の目録学講義は、大正十五年(1926)のものでしたから、湖南が姚振宗の説を熟知していなかったとしても、何ら批判するに値しません。「姚振宗は湖南よりも二十数歳も年長なのだから、湖南は姚振宗を知っていただろう」という思い込みは、もろくも崩れた、というわけです。

なお、『七略別録佚文』『七略佚文』については、最近、標点本が出ました。

姚振宗輯録;鄧駿捷校補『七略別録佚文 七略佚文』(上海古籍出版社, 2008)

これについては、未見です。検討し次第、書評してみたいと思っていますが、ご覧になった方のご意見もうかがえると幸せです。

*『快閣師石山房叢書』(浙江図書館)、及び『師石山房叢書』(開明書店、1936年)は、日本の大学図書館では、だいたい漢籍として扱われているようで、Webcatにはほとんど登録されていません。「全国漢籍データベース」を見ると、いくつか収蔵があるようです。

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