快閣?師石山房?


先日のエントリーで、姚振宗『師石山房叢書』(開明書店、1936年)を紹介した際、その書物に陶存煦「姚海槎先生年譜」が附されていることを言いました。

姚振宗(1842-1906)の人生を綴ったこの短い年譜は、目録学に関心を持つ者にとってはなかなか興味深いのですが、今日は、その中から、姚氏の号、「師石山房」もしくは「快閣師石山房」の由来を語った部分を紹介します。

同治六年(1967)、姚振宗の父親、秋墅公(姚仰雲)は、当時住んでいた揚州で、獅子の形をした奇石を入手しました。「獅石」というわけです。そして、「師石山房」という名の建物を築きました。

ところが、二年後の同治八年四月、父親は揚州の地で亡くなってしまいます。生前、彼は国庫に対して多額の金を献納していたため、八月にはまとまった金が支給されました。そこで姚振宗は父の棺とともに故郷の紹興に帰ることにしました。父が生前、紹興の鑑湖のほとりに建つ名勝、「快閣」に住みたいと言っていたので、姚振宗は父の遺志に従い、「快閣」を購入したのです。翌同治九年の春、ここに移ります。時に姚振宗、二十九歳。

「快閣」は宋の陸游がこの地に建てたもので、その中には桐香書屋・師舟・漱酣亭といったいろいろな名所があり、姚振宗はそのうちの「師舟」を「師石山房」と改名しました。きっと例の獅子型の石も持ってきていたのでしょう。今でも「快閣」の一部は残されているそうで、紹興に行く機会があれば、是非とも立ち寄りたいところです。

文人の号などは、その人の人生の一面を映す鏡であり、それぞれに趣があります。「師石山房」の由来、ようやく疑問が解けました。

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