「許?師?」の答え


 先日のクイズの答えです。お答えをお寄せくださった、中川さんと昭夫さん、どうもありがとうございました。

(一)「一番上のおかしな文字は「許」と読めるのでしょうか?」の答え。

キョ この字は、「無」の下に「邑」があるようにしか、見えません。『説文解字(せつもんかいじ)』に当たって調べてみましょう。『説文解字』といえば段玉裁注本です。経韵楼本の影印本がよいでしょう。「邑」の部首から「鄦」字を見いだします。

 「鄦、炎帝大嶽之胤、甫侯所封。在潁川。从邑無声、読若許〔虚呂切、五部〕」。

 その段注に言います。大嶽の息子である甫侯が封じられたのは潁川(河南省)の「鄦」という地であり、「鄦と許とは、古今字なり」。「古今字」というのは、同義・同音でありながら、時代により異なる形の字を用いた、という関係を表します。「漢の字にては許に作り、周時の字にては鄦に作る」と段玉裁は言っています。

 一方の「許」字を『説文解字』で引くと次のようにあります。

 「許、聴言也。从言午声〔虚呂切、五部〕」。

 こちらは「許す」という意味が本義、ということになります。

 「許学叢書」の「許」とは、『説文解字』の作者、許慎のことです。姓としての「許」は、もともと、どのように表記したのか? 『説文解字』に基づくなら「鄦」であろう(姓は地名に由来するものが多い)、というのが、清朝の学者たちの考えです。特に篆文で表記する場合、『説文解字』の権威は絶対でした。それで「鄦」の字が用いられているわけです。

 写真の字の場合、「鄦」と釈読するのがよいと思います。しかし、(古今字の関係にある)「許」と釈読しても大過ない、というのが、一応の答えです。

(二)「なぜ、「獅石山房」とせずに、「けものへん」を省いたのでしょう?」の答え。

 もちろん古代の中国に、ライオンは生息していませんでした。それゆえ、古くは「獅」という漢字がなく、当然、『説文解字』にも載っていません。『漢書』西域伝の上に烏弋という土地の名物として登場するのも「師子」です。漢代においては、「獅子」は「師子」と書かれたわけですね。姚振宗にとって「獅」字は根拠の薄い字、典雅でない字、と見えたはずです。それゆえ、「獅」を避けて「師」が用いられた、と考えられます。

 清朝の初期には、『説文解字』は広く知られた書物ではありませんでした。かの顧炎武(1613-1682)すら、まともな『説文解字』を見たことがなかったといいます(頼惟勤『説文入門』参照)。その後、「小学」熱が高まり、段玉裁(1735-1815)『説文解字注』を頂点とし、『説文解字』は清朝人の意識に深く根を張りました。清朝の後半期に生きた学者、文人たちは、『説文解字』の用字に非常に敏感で、それに従おうとする規範意識が顕著です。

 「獅」が『説文解字』に載らない字であるから、というのが答えです。

 このように見ると、先日の二つの質問に対しては、いずれも『説文解字』に従う意識が選ばせた用字、と答えることができそうです。

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「「許?師?」の答え」への4件のフィードバック

  1. なるほど。よく分かりました。
    「師」のこだわり、面白かったです。
    ちなみに、角川書道字典には「獅」は元以降の用例しかありませんでした。かなり新しい字みたいですね。
    僕は篆刻を少々やるんで、最初に説文に当たって、「許」が「鄦」の仮借とされているのは分かったのですが、「鄦」の方を調べるのを忘れてました。
    篆刻では、昔無かった字は勝手に作ってはいけない、まず説文に当たれと習うのですが、これも清朝の文人以来の伝統なのかもしれません。

  2.  中川さま、ご丁寧にありがとうございます。
     「獅」について、漢訳仏典に用いられたのを見た記憶が、おぼろげながらあるのですが、それが何だったか、思い出せません。もし、隋唐以前の古写本などにあるようでしたら、改めてご紹介します。
     清朝における篆刻の発達と文字学との関係は興味深いです。呉大澂のように、文字学と書法とを同時に修めた人もいますね。文字学が『説文』から金文学・甲骨学へと急速に範囲を広げて展開していった清末から民国時代初期、書家たちは芸術と学術との間で、何を考えたのでしょうか。

  3. 呉大澂という人物が気になったのですが、もうすこし教えていただけますでしょうか。あと古写本についてよく知らないのですが、敦煌文書以外にもあるのでしょうか。

  4.  呉大澂(1835-1902)、字は止敬、呉県の人、同治七年(1868)の進士です。著書の『字説』は、若き日の白川静氏にも影響を与えたそうです。『均社論叢』に訳注があり、当たられるとよいでしょう。最近、呉氏のもう一つの著書を論じた、兪紹宏『《説文古籀補》研究』(中国社会科学出版社, 2008)が出たので、暇があったら読んでみたいと思います。その書を見たければ、二玄社の「篆隸名品選」第6、「書蹟名品叢刊」第189をご覧下さい。
     普通、古写本というと、トゥルファンや敦煌から出た西域出土古写本と、日本に伝来した日本古写本(日本旧抄本とも。日本に伝来したものの中に一部、唐写本を含む)が思い浮かびます。日本古写本のうち、仏書については現在も研究が進行中ですが、四部分類されるような漢籍については、阿部隆一氏の目録が完備しています(『阿部隆一遺稿集』汲古書院, 1985,第1巻)。

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