湖南の毒


内藤湖南(1866-1934)が毒を含む人であったことは、周知のことでしょう。以前にご紹介した「支那目録學」の一節に、次のような言がありました。

 目録學は支那には古くからあるが、日本には今もつて無い。……。かの佐村氏の「國書解題」などでも、箇々の書の特質を標出し得ずして、何れの書にも同樣の解題をしてあるやうな處があつて、解題の意味をなさぬものがあるが如きである。(「支那目録學」、『内藤湖南全集』巻12、筑摩書房、1970年所収)

ここに見える「佐村氏の「國書解題」」について、『内藤湖南全集』第一二巻に収める『目睹書譚』には、もっと過激な非難が見えるのです。

 裒然たる大冊にて、打ち見るより其の勞苦の思ひやらるること、經濟雜誌社の人名辭書、社會事彙などにも劣らじと見ゆるは、佐村八郎氏の國書解題なり。然るに此書ほど無用の勞苦を積み、無用の大冊を成就したるは、亦想像の外にあり。著者の盲目的勉強は實に氣の毒の至りといふの外なし。著者は實に解題の書を作るに於て、其氣力あるのみにて、其の才能と學識とは、全然缺乏せる者なり。(『目睹書譚』「野籟居讀書記」、『内藤湖南全集』巻12、筑摩書房、1970年所収。初出は明治33年7月20日の「日本人」。以下同じ)

湖南の罵言は、さらにこの書物の序を書いた著名人たちにも向けられます。

 此書の如く序文題詞の賑はしきは、近來に未だ見ざる所なるが、木村正辭、井上哲次郎二氏の外は、多くは一通りの無責任なる御世辭をならべたるは、我邦序文の常とて、怪しむにも足らねど、中には之を四庫全書提要に比したるなどあり、著者にして愚物にあらざる限りは、慙汗背に浹ねかるべし。

さらに具体例を挙げて非難を加えた上で、最後に、こうたたみかけます。

 この著者の腦は、全く記憶、比照、概括の能力なきかと疑はるるばかりに、粗雜を極めたり。著者にして若し學術界の為に、忠實に「國書解題」なる題目に副ふに足るべき著述を貢獻せん熱心あらば、須らく此の成書を焚て、最初より改め編すべきなり。著者の目的は、決して書肆の廣告、新聞紙の書籍紹介よりも劣れる反古同然の大冊を徒勞して作るのみにはあらざるぞかし。

麗々しい序文を掲げ、よい装丁に包まれた、この「反古同然の大冊」は、何回も出版を重ね(増訂、と称して)、現在もなお、各図書館の参考書室の一番よい席を占めています。外見重視の風潮を打ち破るには、湖南の義憤も無力であった、と言えそうです。

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