抗日目録学者、姚名達


姚名達目録学自序 近代は、魔物です。誰にもコントロールできない、巨大な波のように時代のうねり。日本と中国との関係も、近代の到来により、それ以前とはまったく異なるものとなりました。

 増幅される憎悪は、今なお、東アジア諸国民の間で渦巻いています。及ばずながら、各国・各民族の動きに気を配っていますが、すぐに効くよい薬もありそうに思えません。この一年、私はいつもより多く、中国人・台湾人・韓国人・ベトナム人の声に耳を傾ける機会がありましたが、人文学に打ち込む我が友人たちでさえ、この「国際政治」に戸惑っているように思われました。

まずナショナリズムありきの議論に、ここで付き合うつもりはありません。「日本人として、どう考えるんだ!」という議論の立て方は、物事の一面だけしか、明らかにしないでしょう。私は、同じ学者として、姚名達(1905-1942)の思いを追うことにします。

『目録學』が書かれたのは、1933年、姚名達は数えで言うと29歳の時でした。上海事変(一二八事変)の勃発は、その前年、1932年の1月28日。この事変で商務印書館は大きな被害を受け、その付属図書館であり、全国一の蔵書を誇ったという東方図書館も灰燼に帰してしまいました。商務印書館の被害は、それと深い関係にあった姚名達の人生にも、影響を及ぼさずにはおかなかったのです。『目録學』の自序の冒頭部分を訳出します。

 この小冊子は、「一二八」で商務印書館が焼かれた後に、あらためて書かれたものである。作者は、これと時を同じくし、地を同じくし、事情を同じくして、「国難の為に犠牲となり、文化の為に努力する」一人の人間である。

 商務印書館は、倭寇の火ひとつで業務を辞めて店をたたんだりはしないし、作者もまた倭寇の火ひとつでくさって意気消沈したりはしない。我が家は焼けたとしても、我が身はなお存しているのだ、敵が強かったとしても、我々があらためて爐とかまどを作るのを禁止できるはずがあろうか?

 ただ、親愛なる読者よ!全国でも蔵書が最も多かった東方図書館も、時を同じくし、地を同じくし、事情を同じくして、「化して焦土と為り」、作者がただただこの小冊子を書くために蒐集した二百種あまりの参考書も、それとともに「悉く劫灰に付され」、この小冊子のすでに完成していた原稿も「片楮も存せざる」こととなってしまい、描き終えた肖像画を思い出してみたところで、たいして似てもおらず、描き直した絵をなでてみたところで、結局あまり美しくもないものだ!

 読者よ!彼らは我らの文化を壊滅させようとしているが、我らはどのようにして我らの文化を発揚し、彼らに見せてやり、我々は打倒することも消滅させることもできない、ということを彼らに知らせることができるのか?!

姚名達が上海事変で失ったのは、『目録學』の原稿とその参考書ばかりではなく、その他の大量の原稿も同時に焼失したそうです。彼はことに若くしてなくなったので、この喪失を回復することはかないませんでした。

しかし、この序文に見える彼の強さは、当時の中国人読者を鼓舞したのみならず、数十年の年月を隔て、「倭寇」の子孫たる私にも、訴えかけるものが確かにあるのです。

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