首施とは何ぞや?『辞通』編纂始末


朱起鳳(1874-1948)が、30年の時を費やして作った『辞通』。朱氏の「自序」から、彼がこの書の編纂に傾けた熱い思いを知ることができます。

中国には「字典」有りて「辞典」無し。即(も)しこれ有るも、六書の仮借の例に於いて、槩(すべ)て未だこれに及ぶこと有らず。『玉篇』は形を類するも声を類せず、『広韻』は声を類するも形を類せず。乃ち進みてこれを古に求むれば、則ち(司馬)相如の『凡将』のごとき有り、則ち(楊)子雲の『訓纂』のごとき有り、孔鮒に『小爾雅』有り、史游に『急就章』有るも、僅かに大凡を挙ぐるのみにして、未だ能く賅備せず。略せるには非ず、時代の然らしむるなり。

その後、秦の焚書以降、中国の書物の表記が悪くいえば混乱し、よくいえば多様となった様子を描き、要するに、その理解に多大な困難を伴うようになったと説き、さらに、朱氏は『辞通』撰述の直接の動機を語ります。

 前清の光緒季年、秣陵より帰り、靦(は)ずらくも講席を主(つかさ)どり、月ごとに策論を以て士に課す。巻中に「首施両端」を徴用する者有り、以て筆の誤りと為し、これを輒代更正するに、院を合して大いに譁し、書を貽りて嫚罵し、乃ち事の范史(范曄『後漢書』)に出づることを知り、并びにこれより前の読書の太(はなは)だ疎略なることを知るなり。

 是に嗣いで古人の札記の法を用い、目に見る所有らば、輒ち手に従いて写録し、時を閲すること既に久しく、帙を積むこと遂に多し、初め『読書通』と名づけ、今命じて『辞通』という。

朱起鳳が間違えた「首施」は、「首鼠」「首尾」などとも表記し、「どっちつかず、宙ぶらりん」の意味を持つ連語なのですが、朱氏はそれを知らなかったがために、恥をかいたのです。彼の非凡さは、この苦い経験を糧として、超人的な努力を積んだことにあります。

ただ、「時を閲すること既に久しく、帙を積むこと遂に多し」というのは、一種の謙辞であり、単に機械的なnote takingの作業を重ねて『辞通』ができたわけではありません。辞書の内容に反映されている、その見識の高さこそ、賞賛されるべきものでしょう。それについては機会を改めて述べたいと思います。

*朱起鳳撰『辭通』(上, 下. 開明書店, 1934) Webcat所蔵図書館 37館(本日付)。
*朱起鳳撰『辭通』(長春古籍書店, 1982) Webcat所蔵図書館 13館(本日付)。私はこれを使っています。

広告

「首施とは何ぞや?『辞通』編纂始末」への11件のフィードバック

  1. 朱起鳳の説く秦の焚書以降表記が混乱等というのは、異本が増えていったということなのでしょうか?

  2. 朱氏の言いたいのは、そういうことであるようです。ただ、私に言わせると、何でもかんでも「焚書坑儒のせい」にするのは、伝統的な中国知識人の悪い癖です。「秦の焚書」「晋の南遷」「唐末五代の混乱」などが、しばしば安易に、テクスト混乱・消滅の説明として持ち出されます。私はそういう時、すべて眉につばをつけてかかります。

  3. Xuetui様
                            2010年12月9日
    前略。
    ◎『辞通』、『聯緜字典』。「望文生訓」、「不知蓋闕」。
    『辞通』の「缼然・闕如」、「丘蓋・區蓋」の按語(小異あり)に、「論語、蓋闕如也。或謂、蓋闕二字、當連讀。互『蓋闕』條」と記されているのですが、肝腎の「蓋闕」が『辞通』巻22「六『月』」に出て来ません。『聯緜字典』には丁寧に説明されているのですが。朱起鳳撰『辭通』(上, 下. 開明書店, 1934)・私はこちらを使っています。Xuetui様及びこの記事を読まれた『辞通』愛好家の方、「蓋闕」が『辞通』の何処にあるか、お分かりでしたら、教えて下さい。
    それから、『辞通』の朱氏自序「於六書叚借之例、槩乎未之有及」、訓読「六書の仮借の例に於いて、未だこれに及ぶこと有らず」となっていて、「槩乎」が抜けています。「概」は、「副詞、表示範囲。相当于『全』、『都』(『漢語大字典』)」に従って、「すべて」、「まったく」と訓んでいいですか。「おおむね」だとあやふやな感じがします。
    それからまた、「何でもかんでも『焚書坑儒のせい』」に関連して。こんな七絶がありました。

    讀秦紀・・・秦能焚書、而不能焚圯上之一編(『千古斯文』)。
    陳 恭尹(1631~1700)
    ① 謗聲 易弭 怨難除
    ② 秦法 雖嚴 亦甚疏
    ③ 夜半 橋邊 呼孺子
    ④ 人間 猶有 未燒書

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

    1. 藤田様
      「蓋闕」は吴文祺主編『辭通續編』(上海古籍出版社, 1991) 巻五「六月」(p.363)にみえるようです。

      1. hirsh様
                                2010年12月9日
        拝復。
        おお、『辭通續編』。早速、取り寄せ手配しました。ご教示に対し、深謝申し上げます。それにしても、「互詳『蓋闕』條」との朱氏の「按語」は、どう解釈すればよいのでしょうか。
        藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

    2.  藤田さま、ご指摘、ありがとうございます。
       「槩乎」、確かに抜けていますので、補います。意味はおっしゃるとおりだと思います。
       ちょっと多忙で、すぐにはお答えすることができません。申し訳ございません。
       また、Hirshさま、ご指摘、ありがとうございました。

    3. 藤田さま お返事が遅くなりまして申し訳ありません。

      「蓋闕」が載っていないことは、私も以前調べたときに気づきましたが、たぶん、誰かに異議を唱えられたのか、と勘ぐっていました。

      一般的に言って、次の2点の条件が重なると、双声畳韻語であることを万人に説得することが難しいように思います。
      (1)声母が「声同」でなく、「声近」である(または、韻母が「韻同」でなくて「韻近」である)。
      (2)通常の字義に即して「も」、読解可能である。

      「蓋闕」について言うと、「蓋」は見母(匣母とする説もあり)、「闕」は渓母で、厳密には一致しません。段玉裁は「蓋闕」は畳韻、「蓋、旧音如割」といっていますので、双声とは思っていない可能性もあります。「蓋闕」も、ゲダシ派が根強いことはご存じの通り。

       そんなわけで、「誰かに反対されたか?」と思っておりました。『続編』のことは、また考えさせてください。

  4. Xuetui様
                            2010年12月9日
    追伸。
    ◎「望文生訓」。
    「狐疑」、「猶予」、「狼狽」と、どうして「けものへん」の字ばかり頭に置いたのでしょうか。きつね、さる・いぬ、おおかみ。まるで望文生義の罠に嵌めようとしているみたいです。
    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

    1. 藤田さま

      けものへんですか。双声畳韻語にけものへんが多いと感じたことは、特にありませんが、確かにめだちはしますね。「狐疑」に関しては、『顔氏家訓』もキツネ説ですし、『辞源』もそれにのってキツネ説です。動物の字がつくと、字義に即して解釈しようとする人がいるのは当然といえば当然と思います。

      では、失礼します。

  5. Xuetui様
                            2010年12月10日
    前略。
    ◎「ちょっと多忙で」。
    お聞き捨て下さい。投稿しておいて、「誤字脱字を直して欲しい」というのも失礼ですが・・・。
    愚生の12月9日コメント。
    1,當連讀。互『蓋闕』條→當連讀。互詳『蓋闕』條。「詳」字を脱しておりました。
    2,人間 猶有 未燒書→人閒 猶有 未燒書。「間」を「閒」に。
    それから、貴サイト『辞通』の朱氏自序・訓読。
    3,槩(すべて)て未だこれに。括弧内の「て」は衍字。
    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中