訓詁学


 「四庫全書」に収めらた厖大な書籍の群れ、あるいは、現代の中国において、日々、刊行されている大量の出版物。これらを目にして中国を評する場合、「文字の大国」「書物の大国」、といってもよいのですが、私は、敢えて「ことばの大国」と呼びたいと思います。

 語られたことばは、語られた端から消え去る運命にあるので、「ことばの歴史」を考える際、いきおい関心の対象は、書かれたことばに向けられますが、書かれたことばのみを通してさえ、中国文化を伝えた人々が共有した、ことばへの関心は、並々ならぬものを感じさせます。

 ことばに対する強い関心は、その文明の初期の段階において、すでに萌芽していたように思われます。中国においては、「ことばによってことばを説明すること」は、かなり早い段階で出現しました。『論語』において孔子とその弟子たちが「仁とは何か」「礼とは何か」と問答する姿は、まさに「ことばによることばの説明」です。

 漢代以降になると、この「ことばによることばの説明」は、学術の重要な一部を形成しました。後世、これを訓詁と呼んでいます。訓詁の二本柱は、「古典の注釈」と「辞書」であるとされます。前漢時代には、『詩経』を注釈した「毛伝」が成立し、さらに辞書として『爾雅』が登場しました。訓詁学において、漢代の訓詁が最も重要な資料とされ、同時に重要な研究方法の指針と見なされるのは、当然であるといえましょう。

 ただし訓詁が、それ自体、学として独立したのは、清朝にまで下ると考えた方がよいかも知れません。

 清朝に盛んとなった言語学を「小学」と呼びます。「小学」とは、もともと「童蒙のための学」の意でしたが、清朝になると、中国の言語を取り扱う、高度に専門的な学問へと変貌を遂げたのでした。その小学は、文字学(「形」を研究する)・音韻学(「音」を研究する)・訓詁学(「義」を研究する)の三者からなる、とされました。こうして、訓詁学は小学の一翼を担ったわけです。

 我々が今日、中国古典を学ぶ場合にも、漢代に生まれ、清朝・民国時代に隆盛を迎えたこの訓詁学を理解し、応用してゆくことは、たいへん有意義なことです。ところが現在、日本の研究者に、訓詁学者はほとんどいないのが実情で、大学でも「訓詁学」の講義を開講しているところはほとんどないでしょう。

 私は以前、趙振鐸という学者の書いた訓詁学の概説書を読み、大いに蒙を啓かれました。明日は、この書物を紹介します。

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