符定一『聯緜字典』


双声・畳韻語を調べようとするとき、便利な辞書が二つあります。一つは『辞通』、これについては、このブログでもすでに取り上げました。もう一つが、今日ご紹介する、『聯緜字典』です。

『聯緜字典』には、双声・畳韻語を豊富に収めます。ただし、1983年に北京の中華書局から重印された際に付けられた「重印説明」にも見えるとおり、双声・畳韻語にとどまらず、より広い範囲に及ぶ「双音節詞」(要するに二字熟語です)をも含めて「聯緜詞」と呼び、本書に収録しています。

著者の符定一(1877-1958)は、湖南省衡山県の人。「重印説明」によると、32歳の頃(1910)に聯緜詞の蒐集を開始し、62歳の年(1940)に本書を完成させた、とのことです。一人の人物が自力で完成させた辞典というものは、その出来上がりがどのようなものであれ、尋常ならぬ執着と熱意を感じさせるものですが、本書『聯緜字典』もその例にもれません。

本書には「叙例」として、黄侃(こうかん)の序、王樹枏(おうじゅなん)の序、自序、凡例、後序を載せます。このうち、凡例に付けられた補記が面白いので、その一部を訓読して掲げてみましょう。

 民二十一年(1932)夏、黄侃(1886-1935)は乱を避けて平(北平、北京のこと)に居る。時に相い過従し、毎(つね)に見るに必ず曰く「君の書の凡例、事事に允当たり、語語に内行たり。湖南の人の学を治むるや、従(かつ)て未だ精核なること此の若(ごと)き者有らず」と。……。定一按ずるに、凡例は均しく黄君の審核を経るも、唯だ弟五・弟十三・弟十四・弟二十二の四事のみ、後来の増す所にして、黄君 未だ之を見ざる也。其の高足の弟子、陸宗達(1905-1988)、四事を見て極めて以て善と為す。蓋し能く其の師法を守る者かな。民廿九年(1940)孟春、定一 補して志(しる)す。

この補記は、9歳年下の黄侃と自分との関係のみを語っています。なぜ符定一は、それほど黄侃にこだわるのか。それを知るには清朝考証学に占める、江蘇・安徽・浙江三省の特別な地位について知る必要があります。吉川幸次郎の「清代三省の学術」(全集、巻16、所収)を読んでみてください。こと小学(古代中国語研究)に関しては、この三省以外の出身者の預かるところではなかったほど、圧倒的な実力差があったのです。

黄侃は湖北省の出身です。しかし彼は、浙江の産んだ知の巨人、章炳麟(章太炎とも。1869-1936)の第一の弟子でした。その意味では、民国二十年代当時、清朝小学を強く受け継いだ学問を最もよく体得していた人物の一人でした。その黄侃から「湖南の人の学を治むるや、従て未だ精核なること此の若き者有らず」と認可を得たことは、符定一にとって特別な意味があったわけです。「湖南出身でも、ここまで出来たぞ!」という喜びの表現です。

ただし符定一の学識は、本人の自負とは裏腹に、真に卓越したものであったとは言えないようです。『辞海』は同書を説明して、「但收詞并非都是聯緜詞,論字体完全墨守『説文』,是其缺点」とあります。強引な点もしばしば指摘されます。

そういう意味では、本書を工具書の中心に据えることは避けた方がよいでしょう。私はあくまで『辞通』の補佐として使い、独特な説が見えるときは慎重にあつかうようにしています。資料をよく集めているので、知見を広めるにはよいと思います。

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