ブックガイドとしての『読書雑志』


 中国学の成果として書物を見る場合、学術論文であれ、一般向けの書物であれ、私の考える「よいもの」の条件は、「さらなる読書を導くか否か」にあります。

 「面白かった」「新説が示されていた」「知らない話が紹介してあった」「文章がよかった」だけでは、どうにも、もの足りません。たとえそれらすべてが満たされていたとしても。

 「書物をさらに読みたい!」と刺激するようなものでなければ、「よいもの」、読む価値のあるものとは思えないのです。感想を過去形で語れてしまうものではなく、未来の読書へとつながるものをこそ、と思うのです。

 もちろん、これは私の偏った判断基準に過ぎず、読者それぞれが好きに読書を楽しめばよいのは言うまでもないことです。しかしながら、こと中国学について言うと、それは「数冊の書物を読めば、その全体像がつかめる」ような分野ではありません。ある研究なり概説なりを評価するにせよ、大量の古典や厖大な先行研究との関係においてしか、接することも評価することもできない、そのようなものです。長い伝統を有するが故に、そういう難しさがあります。

 昨日、吉川忠夫『読書雑志-中国の史書と宗教をめぐる十二章』(岩波書店、2010)を紹介して、私は同書を「さらなる書物の林へと読者を誘う」と書きました。伝統中国の歴史・宗教に関心を持つ方にとっては、絶好のブックガイドともなりうる、ということです。

 そこで、この「学退筆談」では、同書に収められた十二章をすべてブックガイドとして読んでみようと思います。

 『史記』の解説があれば『史記』そのものを読んでみる、関連する吉川氏の他の著作も読んでみる、という程度の紹介しか出来ませんが、『読書雑志』から始まる「書物の林」の広がりをお示しできれば、と思います。

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“ブックガイドとしての『読書雑志』” への 7 件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                           2018年4月9日
    ◎「書物をさらに読みたい!」。
    『読書雑志』P.134に「一人の兵卒が僧の側に待っている女を見つける」とありました。「待」ではなく「侍」では、と考え、『宋高僧伝』を見た所、「一卒見女子侍僧之側」となっていました。校正のミスかと思われます。
    また、同書P.233に「臨兵闘者皆陣列在前行(兵に臨んで闘う者は皆な陣列して前行に在り)という九字を誦えるならば、あらゆる武器にやられることがない。『抱朴子』が要道とよんでいるものである」とありました。吉川先生は、次のページに「(『抱朴子』には)『在』の一字がないが、九字というのだからその方がよい」とされています。『抱朴子』登渉篇は、「入山宜知六甲祕祝。祝曰、『臨兵鬪者皆陣列前行』。凡九字、常當密祝之。無所不辟。要道不煩、此之謂也」。「大正新脩大藏經テキストデータベース」・『浄土論註』は、「誦『臨兵鬥者皆陳列在前』、行誦此九字、五兵之所不中、『抱朴子』謂之要道者也」と「九字」に成るよう句切っています。しかし、吉川先生の言われる通り、「在」を衍字とする方がよいように思いました。
    藤田吉秋

  2. 藤田様

    コメント下さいまして、ありがとうございます。気づかずに失礼いたしました。

    細かくお読みくださいまして、感謝しております。今後ともよろしくお願いいたします。

    古勝隆一覆

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