辞書というお店


 中国古典を学ぼうとするとき、「工具書」と呼ばれる辞書・参考書類をうまく使いこなしたいものです。特に、ことばを調べるための辞書は不可欠でしょう。私のように、「中国古典は中国語として読むべき」と考える立場の者は、もちろん中国で出版された辞書を使いますので、以下に述べることも中国書を対象としたものです。

 「これ一冊ですべてよし!」という辞書はありませんので、適宜、使い分けることになります。私が使っているいくつかの辞書については、以前、このブログでも「私の愛した辞書」と題して紹介しました。それらの辞書を「適宜」使うためには、それぞれの辞書に対する十分な理解が必要です。

 たとえていうならば、一つのことばを辞書で調べるのは、一つの品物をお店に買いにゆくのに似ています。どんなに「よい店」でも、すべての購買目的を満たす「よい店」など、存在しません。それぞれのお店の品揃えや価格、品質、接客などをよく知ってこそ、よい買い物ができることでしょう。お住まいの近くに複数のスーパーマーケットがあり、使い分けをしている方も多いことと思います。「魚を買うならここ、米を買うならあそこ」などと。さらには、おしゃれな洋服を売る店、家電量販店、和菓子屋、本屋、コンビニエンスストアなど、さまざまなお店があり、我々は目的を間違えず、「適宜」買い物をすることができます。

 一つのことばを調べるときも、たとえば、「この字を『新華字典』で調べれば、たぶん適切な意味が載っているだろう」、「『辞源』で引けば、この場合、きっと経書が書証として挙がっていることだろう」、「この熟語は『漢語大詞典』にしか収めていないだろう」などと予測を立ててから調べます。辞書は、何が出てくるか分からないブラックボックスでは決してありません。「それぞれの辞書の個性をつかむ」必要、つまり、あらかじめその特徴や傾向を知っておく必要があるのです。ちょうど、買い物に出かける前に、目当ての店の品揃えや品質を予測するようなものです。

 もちろん、その予測が外れることもあります。「当然『新華字典』に載っているはずだと思ったのに、載っていない!」、反対に、「載っているはずはないと思ったのに、載っていた!」などと。「畑」という字が「日本人姓名用字」と定義されて『新華字典』に載っていることを始めて知ったとき、意外に思ったことがあります。

 買い物と同じなのは、なじみの店に愛着がわくのと同様、辞書を愛用すればするほど、特徴を理解することができ、愛着もわいてくるところでしょう。

 一方、買い物とちがうのは、辞書の場合、いくら調べてもお金が減らないことです。「高級で近寄りがたい辞書」というのは確かにありますが、それでも高級なレストランとちがって、図書館で調べるなら、お金はかかりません。それどころか、知識が貯まり、見聞が広まる一方です。辞書は本当にすばらしいものです。

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“辞書というお店” への 2 件のフィードバック

  1. お話ありがとうございます。大変勉強になりました。中国書の辞書を一つに絞らず『辞源』のようにいいものを探して色々使うよう目指します。

  2. ブロガーは、噂のお店に出かけていっては、写真をパチパチ撮りブログに書き、去っていって二度と来ない、ということで、お店に嫌われているそうですね。そうではなく、「よい店」のよさを分かって通えるようになりたいものです。

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