@すずらん通り


 宴会のお誘いにお応え下さり、各地から集まって下さったみなさま、どうもありがとうございます。とても楽しい集いとなりました、喜んでおります。私の電車の都合で、慌ただしくなってしまいまして申し訳ございません。

 互いに顔を合わせることのない「筆談」もよいのですが、このような面と向かい合った会合は、実に得難いものです。次回もこのような機会を持ちたいと思っておりますので、その際はよろしくお願いします。

 では、みなさまのご健勝をお祈りいたします。「悦豫且康!」(第108行)。

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「文言基礎」を更新します


 私の別ブログ「文言基礎」では、『千字文』の全文、『論語』『詩経』の一部を現代中国語で暗誦し終えました。それをもって、いちおうの修了としたのですが、少し、内容を足したくなりました。

 次は、『老子』『荘子』『孝経』『易』『礼記』(大学・中庸)をそれぞれ一部だけ暗誦しようと思います。そこで、休眠状態になっていた「文言基礎」を更新します。ご関心の向きは、そちらもご覧下さい。

3月28日(日)夜


 いつもお読み下さいまして、ありがとうございます。

 今月末の3月28日(日)、久々に東京に出かける予定です。当日の夜、お時間のある方、ご一緒できれば幸い、と思っております。

 もちろん、ご都合のつく方が一人もなければ、お流れということでまったくかまわないのですが、もしお暇な読者がいらっしゃれば、ぜひご一緒下さい。できれば、この記事のコメント欄にご都合をお寄せ下さると光栄です。個人情報を守りたい方は、私のメールアドレスにご一報下さるのでも結構です。

 場所は、神保町あたりの居酒屋などでしょうか?適当な店があれば、お知らせください。

〔記〕3月28日(日)、5時30分、すずらん通りのT書店の1階にいます。大荷物ですから、すぐ分かると思います。お声をおかけ下さい。私のことをご存知の方などは、連絡なしにいらしても結構ですよ。

ブックガイドとしての『読書雑志』第五章


 吉川忠夫『読書雑志-中国の史書と宗教をめぐる十二章』(岩波書店、2010)を導きとして、中国学の書物の林に踏み入ります。

 その第五章は「陳寿と譙周」。もと、ちくま学芸文庫の一冊『正史三国志』第六冊(1993年、筑摩書房)の解説として書かれたものです。

 『三国志』の著者、陳寿は蜀の巴西郡安漢県、今の四川省南充市の人。

陳寿が生を享けた蜀の地は、すでに三国時代に先だつ漢代において、司馬相如や厳君平や揚雄など、その時代を語るさいに名をおとすことのできぬ文学者や思想家を輩出し、かくしてその地には、中原と十分あい拮抗しうるに足るだけの濃密な文化的伝統が培われていた。

 吉川氏は、以上のように語ります。昨今、中国史研究においても、特定の地域に的を絞る人文地理学的な手法が注目をあびていますが、巴蜀の地に向けられた吉川氏の関心は、その先駆けともいえそうです。

 漢代以来に培われた蜀の伝統、それを濃縮してみずから学者として体現したともいうべき二人の史家、譙周と陳寿。譙周が師で陳寿はその学生、という師弟関係ですが、しかし、譙周の著作である『古史考』『法訓』『五経善否論』などが、後世、失われてしまったため、陳寿の側から譙周を望む、といった趣向です。

 まず読みたいのは、その陳寿が書いた譙周の伝記、『三国志』蜀書の譙周伝です。吉川氏によると、「『三国志』のなかに著者の陳寿本人が登場するのは、蜀書第五・諸葛亮伝中の『諸葛亮集』を撰定して上呈するにあたっての上表文、それとこの譙周伝だけ」との由で、ここに陳寿の強い思いを読み込むこともできそうです。中華書局本の『三国志』にて裴松之の引く注を含めて精読するのが理想的ですが、日本語訳ならば、吉川氏が解説を寄せたところの筑摩版によるのもよいでしょう。この訳本にも、裴松之注が訳出されています。

今鷹真[ほか]訳『三国志』2, 筑摩書房(世界古典文学全集 ; 24B),1982年。のち、井波律子訳『蜀書』(『正史三国志』第五冊),筑摩書房(ちくま学芸文庫),1993年。

 また、譙周がみずからの死期を予言したと伝える陳寿が、「疑うらくは譙周は術を以て之れを知る」といったことに関連して、吉川氏は次の論文の参照を求めます。

吉川忠夫「蜀における讖緯の学の伝統」,安居香山氏編『讖緯思想の綜合的研究』(国書刊行会, 1984)所収。

 蜀の学問に対する吉川氏の深い関心を知ることができる論文です。なお『讖緯思想の綜合的研究』について、この「学退筆談」で以前、戸川芳郎氏の「〈礼統〉と東漢の霊台」を紹介したことがあります。

 この章では、陳寿の一生についても触れられています。『晋書』の陳寿伝をお読みください。同じ『晋書』巻九十一「儒林伝」の記事として、蜀の太学では譙周を孔子に見立て、陳寿を子游に見立てた、という故事が本章に紹介されていますので、あわせて儒林伝も読みたいところです。

ブックガイドとしての『読書雑志』第四章


 吉川忠夫『読書雑志-中国の史書と宗教をめぐる十二章』(岩波書店、2010)を導きとして、中国学の書物の林に踏み入ります。

 その第四章は「范曄と『後漢書』」。もともとは、訓注本『後漢書』第一冊の解題(岩波書店、2001)として書かれたものです。構成は以下の通り。

 1.史書の伝統を継ぐ范曄『後漢書』
 2.范氏の先人たち―范汪、范寧、范泰
 3.さまざまの後漢時代史
 4.「反逆者」范曄
 5.范曄の心の軌跡―「諸甥姪に与うる書」
 6.范曄『後漢書』以後
 7.刊本の時代を迎えて

 范曄の人となりと『後漢書』とが周到に述べられており、本書『読書雑志』の中でもひときわ長い一章となっています。特に面白いのは、第4節と第5節。第4節では、劉宋の文帝に対して謀反を起こすという、だいそれたことをして処刑されるにいたった范曄の一生が描かれています。

 本書の52ページにこう書かれています。「私は今から四十年ほども昔、中央公論社の『歴史と人物』誌、昭和四十六年十一月号に「史家范曄の謀反」と題する一文を寄せているので、今ここではそのあらましを叙するにとどめよう」。確かにあらましはこの「解説」にも述べられていますが、『歴史と人物』、一読に値します。

吉川忠夫「史家范曄の謀反」(『歴史と人物』、昭和四十六年十一月号、中央公論社)

 冒頭に置かれた、范曄らが処刑場へと引き立てられてゆくシーン。沈約『宋書』范曄伝が伝える范曄の最期をこなれた日本語で描ききり、のっけから読者を引き込みます。王鳴盛がすでに指摘し、吉川氏もそれを踏まえるとおり、沈約は范曄に対して「忌心」があったといいます。つまり、沈約の書く范曄伝は公平でないということになります。そうであるからこそ、吉川氏は特に念入りに沈約の文章を追うのです。事柄を誇張して語る者の口元に生ずるゆがみを見逃すことは決してありません。

 范曄その人を謀反計画へと引き入れた孔熙先、彼のことばも如実に再現されます。孔熙先の口からもれる、范一族の忌まわしい風聞、近親相姦。そのことばに逆上し、まともな判断力を失い、謀反の企みに身を投じてゆく范曄。実に巧みな手さばきで、資料が紹介されてゆきます。詳しくは、どうぞ雑誌にて。

 本書本章の第5節では、范曄の遺書、「諸甥姪に与うる書」が紹介されます。素晴しい筆の走りぶりで、范曄というこの複雑で屈折した人の思いを描き尽くします。本書中の圧巻と称すべきでしょう。

 それにしても、『歴史と人物』、たいへんに面白い雑誌です。吉川氏が同誌に寄稿された他の三本、「南風競わず―侯景の乱始末記」「徐陵―南朝貴族の悲劇」「後梁春秋―ある傀儡王朝の記録」は、すべて中公新書『侯景の乱始末記』に収められました。

吉川忠夫『侯景の乱始末記―南朝貴族社会の命運』中央公論社(中公新書; 357), 1974

 いずれも秀逸の作品であるのに、「史家范曄の謀反」だけ、なぜ『侯景の乱始末記』に収録されなかったのでしょうか。それはそれとして惜しいことですが、ただ、多くの作家・学者たちが健筆を振るう昭和時代の歴史雑誌を手にとり、その中で若き吉川氏の名文を楽しむのも、これまたひとつの贅沢と言わざるをえません。

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