『校勘雑志』


鄭慧生『校勘雑志―附司馬法校注』(河南大学出版社, 2007)は、著者の校勘学上の成果をまとめた書物です。

校勘学というと、無味乾燥で取っつきにくい印象があるかもしれませんが、この書物の「後記」は大いにその予想を裏切り、思わず笑ってしまいました。

「私が校勘に取り組んだのは、なぞなぞに始まった(我搞校勘、肇始于猜謎)」。著者は1986年、ある出版社から出た『中国革命史辞典』なるいい加減な出版物を読んでいた時、数々の誤りの原因を推測していったそうです。そういう謎解きをするうちに、校勘学者になっていた、というのです。

現代の書物が繁体字を排印するのについては、さらになぞなぞ式の校勘を要する。高等教育出版社の1993年の『中国歴代文選』159頁に「期…讀訂」とある。「讀訂」とは何ぞや?ずっと考えてみたところ、「期」の字は”jī”と読むから、これはピンインで、そこでやっと「訂」が「jī」の誤りだと分かった。

75頁には「師の字は古本では𠂤と書いたが、後に増やして幣に従った(増從幣)」というのだが、ずっと考えてみたところ、これは「増やして帀に従った」ということであって、「帀」が増やされた偏旁だから、「増从帀」といっていたのだった。植字工が無知で、「帀」を「币」と誤って、それをさらに繁体字に変換し、ついに「増從幣」となったわけだ。

「jī」を「订」と見誤って「訂」としてしまい、「帀」を「币」と見誤って「幣」としてしまった、という訳ですが、この種の誤りを見つけ出すのは、なるほど、謎解きのセンスがいりそうです。

テレビドラマで樊傻児が牛糞を薬だといって売っているのを見て、すぐに私の謎解きだって「校勘」として売り物にならぬ道理もあるまい、と思いついた。そこで、数十年来の謎解きの心得を整理して、『校勘雑志』と名づけ、我が屋台の上に並べてみた。「太公望が糸を垂れていると、引っかかりたくてやってくるのがある(姜太公釣魚,願者上鉤)」とか。誰が買っていって薬にしようが、その人が自分で欲してやることだ。病気が治るか治らぬか、私は逃げ去るしかないが(逃之夭夭)、そこまで知ったことではない。

まったく人を食った話です。ただ、「数校法」という、計算を用いた独自の古書校勘法を提唱するなど、校勘の内容は優れているようです。まんまと「釣られてみる」のも悪くないかもしれません。

*郑慧生『校勘杂志 : 附司马法校注』河南大学出版社,2007。Webcat所蔵館は、2館(本日付け)。


〔追記〕 文字化けがひどいですね。IEでは特にひどいです。面白い笑い話のはずが、意味不明になっています。解決策はないのでしょうか?読者の皆様にご迷惑をおかけします。

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“『校勘雑志』” への 6 件のフィードバック

  1. 単純な話としては、「十」は「七」とよく間違えられる(篆文が互いに似ているため)、「七」でないとつじつまが合わない場合、「十」は「七」の誤写と推測できる、というようなことです。正史の天文志など、数や計算がたくさん出てくる文献においては、この方法を応用していろいろなことが分かるようです。詳しくは本書で。

  2. パソコン素人なので文字エンコーディングなどは理解ができてません。
    もうしわけありません。
    ちなみに数校法というのは、計算と校勘が結び付かないのですが、どういうのなのでしょうか。

  3. Hirsh様、ありがとうございます!さっそく、ご指示どおり(と私が勝手に思ったように)書き改めてみましたが、まだおかしいようです。申し訳ございませんが、次の一手をご教示下さい!

  4. いつも興味深い記事をありがとうございます。
    文字化けの問題は難しく、環境や文字ごとに様々な原因が考えられるため、コメント欄だけでは書きにくいです。そこで一番簡単だと思われる方法をここに書きます。
    Xuetui様がこのBlogで想定している文字をUnicodeで表現できるものと仮定します。文字化けしていたら、以下のUnihan Databaseでその文字を探します(他にも文字を探す方法は色々ありますが、今回はこれを使います)。
    http://unicode.org/charts/unihan.html
    ブラウザごとに文字化けが異なるかもしれません。その文字を確認したら、文字参照で表現します。例えば、iの一声が文字化けしているようでしたら、その文字符号はU+012Bですから、「ī」のように書きます(全て半角、最後のセミコロンも必要)。
    これでUnihanのYour Browserの欄が文字化けしていない文字は、そのブラウザで見えると思います。この欄が文字化けしている文字は別途環境を整える必要があります。うまくいかない場合、疑問点等ありましたら、お知らせ下さい。

  5.  昭夫さん、こんにちは。「雑志」というのは、確かに語感として、小さなものの寄せ集め、という印象を受けます。新『読書雑志』の場合も、「ご自分で謙遜されるのならともかく、他人が差し上げる名前としてはあまりにも」と思ったのが、違和感の正体です。ただし、札記(さっき)の題名としてこの語を用いるのは、かなり一般化しており、貶義は薄れていますから、目くじらをたてるほどのこともないかも知れません。
     王念孫『読書雑志』のような考証文は、「札記」とよばれます。より広く見ると、宋代に現れた「随筆」「筆記」などのエッセー風の考証に端を発し、清朝に入って大いに栄えた多くの著作のひとつと考えられましょう。文献実証に的を絞った学術著作であって、散漫な印象はまったくありませんが。注釈書ではありません。ただ、何かの古典の注釈書を書く時には、こういう考証文が重要な資料となります。『淮南子』の注釈など、『読書雑誌』なしには成り立ちません。

  6. 要領得ない質問ですが、お聞きします。校勘雑志の雑志は、おそらく、細々と書いたもの、というような意味なのだとおもいます。校勘雑志自体はまだみれていないのですが、下でお話にでている読書雑志などは、中をみると、文献にたいして、所々抜書きして一種の注釈を加えているものになるおもいます。書名からすると注釈書ではないようにみえるものの、内容を考えると、~雑志という本も、あるいはそういう書名の本は、注釈書の一種と考えていいのでしょうか。

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