ecocriticism


過日、日本文学の研究者、ハルオ・シラネ氏の講演を聴きました。「エコクリティシズム ecocriticismは、その初期において、自然文学を対象として、文学の中に見える環境描写・環境意識を検討するものであったが、近年では、環境と文学的表象とのズレを検討するものへと変容してきている」とのお話がありました。

「環境と表象とのズレ」と聞いて、「北香花橋」のことを思い出しました。以前、草森紳一氏が雑誌『しにか』に「肘後集-明治人の清国見物」として連載された文章の、2002年5月号に見える話です。

「憲政の神様」こと尾崎行雄(1858-1954)は、明治17年(1884)、上海に向けて旅立ち、彼の地に2ヶ月ほど滞在しました。後にその体験をまとめた『遊清記』には、当時(光緒9年)の上海の雑沓を描いて次のようにあります(草森氏の文章から転引)。

悪臭の盛んなる果たして聞く所に違はず、同行の士、皆鼻を掩ふ。行くこと少しくして橋あり、小溝に架す。溝の汚穢なる、橋の狭隘なる、我が都人士の終生見る能はざる所なるべし。

汚らしいドブに架けられた貧相な橋。その橋の名は如何?

然れども支那人は文字に巧みなる、必ず之を付するに美名を以てするならんと想ひ、試に其名を問へば、北香花橋と答ふ。

さらに尾崎行雄は「六尺の小巷を名づけて大街と云ひ、溝上の小橋を名づけて北香花橋と云ひ、古池の破れ茶屋を称して湖心亭と云ひ」とののしります。この発言に、明治人のアジア蔑視を見てとることはもちろん可能ですし、そしてその蔑視は厭わしいものですが(その厭わしさの故にこそ、私もこの話を覚えていたのですが)、その一方、漢民族の表象に対して尾崎がいだいたであろう違和感も、容易に想像することができます。

上海の人々は、汚いドブの橋に「北香花橋」と名づけました。インテリぶって言うなら、悪臭とは、「無軌道な都市化にともなう環境破壊によって自然を喪失したことへの当然の報い」であり、「香」の命名は、「自然を喪失したことを補償・補完しようとする行為の一種」にほかならない、と解釈できます。SFに「失われた美しい環境」が描かれるのと同じ道理、『老子』の「大道廃れて仁義有り」と同じ道理です。

失われてしまった秩序の「恢復」、そして失われた太古への「復帰」を求める言説。中国人が中国を語ってきた伝統的なことばは、現代のエコクリティシズムの恰好の対象となりうるのかも知れません。

哈燕を訪ねて


yenching library 縁あって、天下の哈仏燕京学社(略称「哈燕」、燕は平声。ツバメにあらず。Harvard-Yenching Institute)に訪問学者として一年間、籍を置かせていただいた。アメリカのことは何一つ知らずに、英語もろくに話せず、しかも家人を帯同して赴いたので、初めこそさまざまな局面においてとまどうことが多かったが、しかし、彼の地の優れた中国学を見聞できたのは、ありがたい経験であった。

 何をしてきたのか、と問われれば、アメリカを、英語を、そして彼の地の中国学を理解しようとし、英語を徹底的に習い、宿題のきついプロセミナーを聴講し、訪問学者を集める研究会の世話役を引き受け、哈燕の各種行事に参加し、また子供の学校に出向いたりと、普段、国内にいても大して活動の多くない私としては、かなり充実した一年であった。惜しげもなく経費を支給してくれた哈燕には心から感謝している。

 帰国して幾ばくかの時が経った今、しばしば妄想することがある。「もし現在、2010年、私が日本の大学を卒業する22歳の若者で、中国学の研究者を目指すとしたら、どこの国の大学院で勉強したいか?」22歳であった当時、実に視野が狭く、日本で学ぶこと以外、考えたこともなかったが、ある程度「国際漢学」の実態を了解し得た今、もしも私に複数の選択肢があるのなら、どのような判断を下すのであろうか。

 (一)中国、(二)アメリカ、(三)台湾、(四)日本。その優先順位が、妄想の問いに答える妄想の答えである。本場の中国で中国研究をしたいなどということは、学生時代、思ってもみなかったが、今ならそれを強く願う。アメリカで若いときから奨学金獲得や入試をめぐって揉まれるのは、人生に活気を与えるはずだし、外からの視線で中国を見ることは面白い。また、優れた漢学の伝統を有する台湾で、大陸と日本とを両にらみにするのもよい。

 自分自身が教育にも携わる日本の大学の優先順位が低いのは、どういうわけか。それはただ私が天の邪鬼なので、むしろ環境を変えて挑戦したいという気持ちが強いだけであり、日本の研究水準が低いということでは決してない。京大人文研の所員をはじめ、優れた日本の漢学家が多いことは百も承知だ。

 ただ、気になることはある。現代日本の中国古典教育は、どこか溌溂としていない。中国のプレゼンスが日に日に大きくなりつつある今日、中国研究の意義がいよいよ増している今日、中国研究に閉塞感など無縁であるはずの今日、中国哲学・中国史・中国文学を講ずる日本中の大学の教室は、もっと溌溂としていてしかるべきだ。

 まずは、自分にできることとして、訓読教育を廃止してみようかと思う。訓読は、あまりにも威厳に満ちており、留学生や初心者を萎縮させてしまう。訓読の壁に守られ、すでにグローバル化した中国学との対話を軽んずるなら、日本の中国学は、必然的に知のガラパゴスとなる。訓読は確かに日本の文化遺産であり、よいところ、便利なところもある。しかし、それが閉塞感の一因となってはいないか。「訓読は玄界灘に捨ててきた」と語った倉石武四郎の気概を受けつぐことは、できぬものか。

 アメリカ人の学生が、のびのびと中国古典を暗誦するのを聴いて、自由の風を感じ、訓読の功罪に思いを致した。

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The Classic of the Way and Virtue


 “The Classic of the Way and Virtue: A New Translation of the Tao-te ching of Laozi as interpreted by Wang Bi”、ずいぶん長い副題がついていますが、その名の通り、『老子』とその王弼注の英訳です。訳者はリチャード・ジョン・リン氏、カナダのトロント大学の名誉教授、とのこと。

 同書のイントロダクションに、次のような訳者のことばが見えます。

 『老子』とその王弼注とを訳し始めたころ、しばしば自分が陶鴻慶『読諸子札記』に示される読みに合うよう、『老子』と王弼注のテクストを修正して読んでいることに気づいた。しかししばらくして、陶鴻慶が単なるテクストの校勘をはるかに越えたことを行っていることに思い至った。彼は自分の考えに合致するように、根本的に『老子』及び王弼注を書き換えており、彼はそれらを書き換えることで、自分の考える正しい解釈をテクストが意味するようにさせていたのだ、と。

 (『老子』王弼注の代表的な整理者である、)波多野太郎も樓宇烈も、陶鴻慶の読みと解釈を引用するが、時にそれらを皮相・誤りとして拒否しており、そして拒否はしばしば生じており、私は陶鴻慶の示唆する読みのほぼすべてを疑うようになっていった。そこで私は作業の初めに立ち戻ってやり直すことにして、陶鴻慶の示唆のほぼすべてを棄て、出来るかぎりテクストをいじらぬよう、決意したのである。(p.21)

 陶鴻慶(1859-1918)の『読諸子札記』は、近代的な感覚で諸子の書物を校勘した著作です。「分かりやすくなるように、大胆にテクストを校勘する」といった印象です。

 一人の西方の学者が、はじめ、陶氏の読みの通りの良さに従いながら、後に「陶鴻慶の示唆する読みのほとんどすべて(almost all of Tao’s suggested readings)」を疑うようになった、というのは、非常に興味深い話です。私の目からしても、古文献の本文をあまりにきれいに(つまり、現代人の頭に分かりやすいように)直しすぎる陶鴻慶の読みは相当に疑わしいものであり、リン氏の気づきは、結果としてたいへんよかったのではないかと思います。

 とはいえ、リン氏が結果的に底本とした楼宇烈氏『王弼集校釈』(中華書局,1980)も、少なからぬ箇所において、陶鴻慶の説に従っています。『老子』王弼注のテクストには問題が多く、そのままの状態では読みがたいのが、悩ましいところです。たとえば、『老子』第一章「此兩者同出而異名,同謂之玄」の王弼注は、楼氏の本では次のようになっています。

不可得而名,故不可言同名曰玄。而言〔同〕謂之玄者,取於不可得而謂之然也。〔不可得而〕謂之然。則不可以定乎一玄而已。

 亀甲括弧に入れた5文字が、陶鴻慶の説により補われたものです。リン氏も、その結果に従って英訳されています。

 さて、『老子』を十分に理解しようとするなら、王弼(226-249)の注を読むことが、どうしても必要です。たとえば現代の翻訳本で、直接・間接に王弼の解釈の影響をまったく受けていないものなど、皆無なのでは、と想像します。『老子』の訳を読んで、「老子を直接に理解した」と思っても、実はもとをたどれば王弼の解釈につながっている場合が多いのです。

 その王弼注に立派な英訳があるのは、彼らの福でしょう。ひるがえって、『老子』の思想に憧れる人の多い我が国には、いまだその訳書がありません。注釈という性質の都合上、日本の出版界には受け入れられないのでしょうか?いずれによせ、あきたりないことです。

“The classic of the way and virtue : a new translation of the Tao-te ching of Laozi as interpreted by Wang Bi” ,  translated by Richard John Lynn, Columbia University Press (Translations from the Asian classics), 1999。Webcat所蔵館は4館。

『三礼辞典』


礼は巨大なシステムであり、生活の細部から国家の儀礼まで、実に多岐にわたっており、しかも複雑です。「三礼」と呼ばれる経典、『周礼』『儀礼』『礼記』はありますが、通読は事実上、困難です。概説書などを読む必要があるゆえんです。

さてその礼には、多くの術語があります。たくさんの術語はいかにも面倒ですが、いたしかたのないところです。彭林氏の『中国古代礼儀文明』は確かに詳しく礼の説明をしていますが、そうであるがゆえにこそ、大量の礼の術語であふれています。「含」「踊」「引」「大功」「小功」「緦麻」「重首」「免」等々。礼に詳しくない人は、きっと戸惑うことでしょう。

そういう時に、礼の専門的な辞典があると心強いものです。おすすめしたいのが、銭玄、銭興奇『三礼辞典』(江蘇古籍出版社, 1993)です。凡例の第一条には次のようにあります。

本辞典は、専書辞典である。『儀礼』『周礼』『礼記』『大戴礼』の四書の、典章・制度・礼制・名物に関わる専門用語、約5000条を収録した。四部の礼書やその他の古籍を読み、また上古時代の社会文化史を研究する便に供した。

「専書辞典」とは、特定の書物を対象とした辞典のこと。中国ではたくさんの「専書辞典」が出版されていますが、玉石混淆、すすめられるものばかりではありません。しかし『三礼辞典』は礼書を読むための、実によい手引きです。

礼の言葉、5000条の収録数は少なくありませんが、数が多いだけでは十分でありません。説を周到に集め、しかも適宜整理して示す必要があります。本書の序文には次のように言います。

専書の辞典の場合、その重要な任務は先人の研究成果を総括することにある。しかし、礼書(の解釈)は諸説紛々たるありさまで、自分の師法をもととするものがあり、さらに同じ師承関係にありながら説が異なるものまである。また、古籍を集めてきては、自説にこじつけたりもする。説には純粋なもの雑駁なものが入り交じっており、慎重に選択を加える必要がある。説のうち、採用すべきものは、みな載せておいた。理に合うものは詳しく敷衍して延べ、合わないものは理屈にしたがって正し、従うべき説、そうでない説を定めた。実物によって証明できるものについても、その是非を断じた。

『辞源』などの辞書にも、礼の言葉はある程度、載っているものの、説の当否を詳しく検討したりはしていないので、是非とも専門的な辞書の欲しいところです。

笑い話をひとつ。中国大陸では、文革中(1966-1976)、儒教だ礼だなどと言うのは、むろん御法度でしたが、その十年の動乱も一段落した後、ある学者が礼書の整理、標点を行いました。その礼書には、「祼」(guan4、漢音でカンと読みます)の礼が取りあげられていたそうです。『三礼辞典』によると、「圭瓉(玉製の酒器)を以て鬱鬯(におい酒)を酌みて地に灌(そそ)ぎ以て神を降(おろ)す、之を祼と謂う。宗廟の祭祀に常用す」とのことです(p.844)。ところが、点校を担当したその先生、シメスヘンの「祼」の字をコロモヘンの「裸」の字と思いこみ、ことごとくハダカにしてしまったそうです。『礼記』祭統の「祼尸」も、すべて「裸尸」になってしまったとか。

当時、このようなよい辞典があれば、かかずにすんだ恥であったかも知れません。同時に、文革による学問の荒廃も、そうとうに深刻であったことがうかがわれます。

*『三禮辭典』錢玄、錢興奇編著,江蘇古籍出版社,1993,Webcat所蔵館は32館(本日付)。

『中国古代礼儀文明』と『儀礼』


 礼とは、古代中国において作られたひとつの社会的なシステムであり、ばらばらの習慣の寄せ集めではありません。そういう意味において、「礼とは何か」を学ぶ際にも、断片的に知識を得るのではなく、まとまった知識を身につける必要があります。

 そのための最高のテクストは「三礼」、すなわち『周礼』『儀礼』『礼記』の三書ですが、その中でも、古代の礼を最もはっきりと具体的に示しているのは『儀礼』であるとされます。

 彭林『中国古代礼儀文明』(中華書局,2004年)では、全23章のうち、第9章から第20章までの12章を割いて、『儀礼』に載せられたさまざまな礼を解説しています。『儀礼』の礼を解説するために用いられている資料は、主に『礼記』です。いま、『中国古代礼儀文明』の章立てと、そこに説明される『儀礼』『礼記』諸篇との対応関係を表示しておきます。

  • 第9章 冠者礼之始也 冠礼
     『儀禮』「士冠禮」第一/『禮記』「冠義」
  • 第10章 合二姓之好 婚礼
     『儀禮』「士昏禮」第二/『禮記』「昏義」
  • 第11章 礼尚往来 士相见礼
     『儀禮』「士相見禮」第三
  • 第12章 吾观于乡,而知王道之易易 乡饮酒礼
     『儀禮』「郷飲酒禮」第四/『禮記』「郷飲酒義」
  • 第13章 立德正己之礼 射礼
     『儀禮』「郷射禮」第五・「大射」第七/『禮記』「射義」
  • 第14章 明君臣上下相尊之义 燕礼
     『儀禮』「燕禮」第六/『禮記』「燕義」
  • 第15章 诸侯相接以敬让 聘礼
     『儀禮』「聘禮」第八/『禮記』「聘義」
  • 第16章・第17章 称情而立文 丧服
     『儀禮』「喪服」第十一/『禮記』「雜記」「喪服小記」「大傳」「喪服大記」「問喪」「服問」「三年問」「喪服四制」
  • 第18章 侍奉逝者的魂魄 士丧礼
     『儀禮』「士喪禮」第十二/『禮記』「喪服大記」「檀弓」
  • 第19章 埋藏亲人的遗体 既夕礼
     『儀禮』「既夕禮」第十三/『禮記』「檀弓」「問喪」
  • 第20章 安魂之祭 士虞礼
     『儀禮』「士虞禮」第十四/『禮記』「檀弓」「雜記」「間傳」「喪服大記」「喪服四制」

 『儀礼』の内容は複雑で、特に喪葬儀礼関係の内容は非常に難解なものです。この本では、かなり詳しく 『儀礼』の諸礼の手順・思想・意義を説明しています。『儀礼』は十七篇から成りますが、そのうちの大半が本書に説かれます。

 『儀礼』を知らずに、中国の礼を知ることはできません。『中国古代礼儀文明』は、読者に媚びて礼の皮相を紹介するのではなく、腰を据えて『儀礼』を解説することで、礼に関する優れた概説となっています。

『中国古代礼儀文明』


 彭林氏が、中国の礼を一般向けに説いた書物、『中国古代礼儀文明』(中華書局,2004年)。中華書局は月刊誌として『文史知識』を出していますが、そこに2年にわたり連載された文章をまとめたものです。

 その構成は、以下の通り。『儀礼』を柱とする礼学を分かりやすくかみ砕いて、しかも相当、網羅的に説明しています。

  • 自序
  • 第1章 礼是什么
  • 第2章 礼缘何而作
  • 第3章 礼的分类: 吉礼/凶礼/军礼/宾礼/嘉礼
  • 第4章 礼的要素: 礼法/礼义/礼器/辞令/礼容/等差
  • 第5章 礼与乐: 德音之谓乐/盛德之帝必有盛乐/音乐通乎政/乐内礼外/移风易俗莫善于乐
  • 第6章 以人法天的理想国纲领 《周礼》: 聚讼千年的学术公案/理想化的国家典礼/以人法天的思想内核/学术与治术兼包
  • 第7章 贯串生死的人生礼仪 《仪礼》: 《仪礼》的名称、传本和今古文的问题/《仪礼》的作者与撰作年代/《仪礼》的传授与研习/《仪礼》的价值
  • 第8章 阐发礼义的妙语集萃 《礼记》: 《礼记》的成书/《礼记》的分类与作者/《礼记》的人本主义思想/哲理与格言/《礼记》的流传与影响
  • 第9章 冠者礼之始也 冠礼: 成人之者,将责成人礼焉/筮日、筮宾,所以敬冠事也/三加弥尊,加有成也/已冠而字之,成人之道也/以成人之礼见尊者、长者/古代社会中的冠礼/女子的笄礼
  • 第10章 合二姓之好 婚礼: 婚姻之义/议婚和定亲/亲迎/成婚/拜见舅姑/古代婚礼的几个特色
  • 第11章 礼尚往来 士相见礼: 不以挚,不敢见尊者/来而不往,非礼也/士、大夫、国君交往的杂仪/燕见国君的杂仪
  • 第12章 吾观于乡,而知王道之易易 乡饮酒礼: 宾兴贤能,在乡学举行的乡饮酒礼/在乡序齿,养老的乡饮酒礼/吾观于乡,而知王道之易易
  • 第13章 立德正己之礼 射礼: 射礼梗概/射以观盛德/发而不中,反求诸己/君子无所争,必也射乎/射礼与择士/孔子射于矍相之圃
  • 第14章 明君臣上下相尊之义 燕礼:燕礼的陈设/席位与尊卑/宾与主人/宾主的一献之礼/四举旅酬/燕礼所要表达的君臣大义
  • 第15章 诸侯相接以敬让 聘礼: 聘礼梗概/圣王贵勇敢强有力者/圭璋与德/还玉与重礼轻财/介绍而传命,敬之至也/最早的外交礼仪程式
  • 第16章 称情而立文 丧服(上): 以三为五,以五为九:亲属关系的确立/上杀、下杀、旁杀:丧服等差的确立/五等丧服的十一小类/服术有六:确定丧服的原则
  • 第17章 称情而立文 丧服(下): 丧服的精粗与轻重/丧期的加隆与减杀/宗亲、外亲与妻亲/恩服与义服/服丧期间必须坚守的原则/丧服制度在海外的孑遗
  • 第18章 侍奉逝者的魂魄 士丧礼: 寿终正寝/复/奠/哭位/报丧和吊唁/沐浴、饭含、袭/为铭和设重/小敛/大敛/国君亲临大敛/成诵、代哭、朝夕哭/筮择墓地和卜葬日
  • 第19章 埋藏亲人的遗体 既夕礼: 殡后居丧/启殡/朝祖/装饰柩车/陈明器/祖奠/赠送助葬之物/大遣奠/发引/窆和执綍/反哭
  • 第20章 安魂之祭 士虞礼:立尸/阴厌/飨尸/三虞、卒哭/祔庙与作主/小祥、大祥和禫/居丧要则
  • 第21章 祭祀万世师表 释奠礼: 孔子的学行与生平/释奠说略/四配/十二哲/先贤先儒从祀/祭祀孔子的文化意义/释奠礼在今日韩国
  • 第22章 诗礼传家 家礼: 不学礼,无以立/《礼记》所见的先秦家庭礼仪/《颜氏家训》/司马光的《书仪》与《家范》/朱子《家礼》/家礼在朝鲜
  • 第23章 不见面的礼仪 书信: 书信格式/敬称/谦称/提称语/思慕语/书信中的平和阙/师生之间的称谓/祝愿语及署名敬辞/信封用语

 彭林氏は本書の自序に次のように書かれています。

繁雑で難解な古礼を、読者が受け入れやすいような文章として書くことは、非常に困難な仕事であった。それゆえ、執筆するごとに、反復斟酌して、紛々たる資料の中から最も重要な内容を選択して紹介した。

 『周礼』『儀礼』『礼記』という「三礼」。これが「礼」の根幹ですが、それを一般読者に分かりやすく、しかも、資料を丁寧に紹介することは、並々ならぬ苦労があったと想像されます。本書のように網羅的に礼を説明した概説書は、他に見あたりません。

 彭林氏は、「現在の中国は、礼儀を喪失してしまった」という認識のもと、熱い心で読者に礼の諸相を語りかけます。本書のいたるところに見えるのは、「今日の中国人が如何に伝統的な礼と断絶しているか」という反省であり、決して「中国は今でも礼儀の大国である」という自大ではありません。

 中国の一般読者にとっても、礼はなじみの薄い内容で、本書を読み通すのは容易でないとのことです。ましてや、外国人である我々にとって、やさしくないこと、言うまでもありません。しかし、「礼」という地盤の上で、伝統中国と現代中国、この二つを見据える彭林氏の言論は、私の眼にはとても新鮮なものと映ります。

*彭林『中国古代礼儀文明』中華書局(文史知識文庫), 2004年。 Webcat所蔵館は、11館(本日付け)。

礼学の復興なるか


 中華人民共和国の国力が日に日に高まっている今、「では中国とは何か、中国人とは何か、中国文明とは何か」という問いが、外からのみならず、内からも、つまり中華人民共和国の国民たちからも湧きあがっていることは、実に自然の勢いというべきでしょう。「自分たちの文明の核心をつかみたい」という希求は、前に一歩を踏み出している時にこそ、高揚するものです。  

 「中国文明の核心とは何か」、この問いに対する答えは一様であるはずがありませんが、「礼こそが中国文明の核心である」という答えに首肯する人は、少くないと想像されます。

  では、その礼とは何なのか?この問いは少なくとも孔子のころ以来、中国においてずっと問われてきたものであり、巨大な蓄積を有するのですが、ところが、現在の中国において、自信をもってこれに答えることができる人は、わずか数人程度、ということになりそうです。礼を研究する学問、「礼学」は絶学、礼を掌握している人は何億人に一人、そういう状況なのです。

  文化大革命は、中国の伝統文化を大きく損傷しました。その傷が、「礼の絶学」として顕在化しているのです。

 しかし考えを変えるなら、絶学であるはずの状況の中で、少数ではあっても自信をもって礼を説くことのできる人が現にいることは、大きな救いである、そう思い至ります。清華大学の教授である彭林氏は、まさにそのような「現代における礼の語り手」なのです。

  • 『周礼主体思想与成書年代研究』中国社会科学出版社,1991年。増訂版,中国人民大学出版社, 2009年。
  • 『儀礼全訳』貴州人民出版社,1997年。
  • 『中国古代礼儀文明』中華書局(文史知識文庫),2004年。
  • 『中華伝統礼儀概要』高等教育出版社,2006年。

  そのほかにも、経学研究の再興を告げる雑誌、『中國經學』(第1-5輯. 広西師範大学出版社)の主編を務め、多くの礼学著作の整理を行うなど、精力的な活動をしていらっしゃいます。

 いったん衰亡した礼学は、果たして復興を遂げるのか否か。復興の旗手たる彭林氏の学術活動に大いなる関心をもち、事の帰趨を見守っているところです。