唐作藩「破読音的処理問題」


最近、唐作藩氏(1927-)の音韻学入門を読んだ勢いで、もっと唐氏の著作を読みたいと思っていたところ、「破读音的处理问题」(『辞书研究』1979年第2期)という論文があるのを知り、さっそく読んでみました。

「破読」とは、「一つの漢字の声調を変えて読み分けることにより、本来の意味や文法機能とは異なる意味や文法機能を表すこと」とご理解下さい。「破読音」を持つのは漢字全体からすると一部ですが、重要な漢字には、しばしばこの「破読」が存在します。

以前、別のサイトで『千字文』を取りあげた際にも、この問題をあつかいましたので、そこから例を引いておきましょう。

  • 005「為」 wei2(平声)/wei4(去声)
  • 007「號」 hao2(平声)/hao4(去声)
  • 007「稱」 cheng1(平声)/cheng4(去声)
  • 011「衣」 yi1(平声)/yi4(去声)
  • 016「王」 wang2(平声)/wang4(去声)
  • 024「難」 nan2(平声)/nan4(去声)
  • 024「量」 liang2(平声)/liang4(去声)
  • 026「行」 xing2(平声)/xing4(去声)
  • 027「正」 zheng1(平声)/zheng4(去声)
  • 028「空」 kong1(平声)/kong4(去声)
  • 032「當」 dang1(平声)/dang4(去声)
  • 033「興」 xing1(平声)/xing4(去声)

その時には、王力の次のような説明も引きました。

名詞・形容詞が動詞に転化した場合には、動詞を去声で読む。動詞が名詞に転化した場合には、名詞を去声で読む。要するに、転化したものは、一般的に去声で読むのである。(『漢語史稿』1996年重排本、第3章「語法的発展」第31節「語法発展的一般叙述」p.248)

今日ご紹介する唐作藩氏の著作では、もとの音を「本音」と呼び、転化した音を「破読音」と呼んでいるので、それに従います。いろいろな例から、「本音」は平声・上声・入声、「破読音」は去声(または上声)であることが多いと分かります。

この「破読」現象について、顧炎武をはじめとする清朝の学者たちは「中古の学者が、無理矢理に区別したもの(強生分別)」と見なしており、その意義を低くしか評価しませんが、それは明確に誤りであり、「破読」が漢語史の展開において、自然に生まれて発達したものであること、すでに王力・周祖謨、そして唐氏の説く通りです。

さて、この論文における唐氏の関心は、「現代の辞書における破読記述を規範化する」ことにあり、『新華字典』『現代漢語詞典』『辞海』といった現代的な辞書について、実地に検討を加え、体例上の一貫性のなさを指摘しています。

たとえば、『新華字典』では、「飾る」意の「文」の去声、”wen4″を”旧读”として挙げるのに、「王として君臨する」意の「王」の去声、”wang4″は”旧读”とも何とも言われていない、と指摘し、両者とも現代音に去声の読みはそもそもなく、”旧读”と書いたり書かなかったりで、不統一ではないか、と批判しています。もっともな話です。

それはともかく、私が興味を持ったのは、唐氏が『群経音辨』『経史正音切韻指南』『馬氏文通』の諸書を駆使して挙げる資料の中で、「いまでは本音が存在しておらず、破読音だけが読音としてあるもの」43字です。

  1. 本音は平声で、破読音が去声だが、いまは去声でのみ読むもの13字:「貫」「怨」「令」「爨」「譽」「治」「忘」「慮」「料」「放」「慶」「任」「縱」。
  2. 本音は上声で、破読音が去声だが、いまは去声でのみ読むもの15字:「上」「下」「右」「柱」「去」「涕」「奉」「後」「近」「夏」「被」「樹」「善」「濫」「造」。
  3. 本音は平声で、破読音が上声だが、いまは上声でのみ読むもの3字:「總」「反」「攘」。
  4. 本音は去声で、破読音が上声だが、いまは上声でのみ読むもの1字:「仰」。
  5. 本音は入声で、破読音が去声だが、いまは去声でのみ読むもの11字:「炙」「*」「借」「貸」「告(誥)」「射」「覆」「刺」「帥」「畫」「易」。ただし、これは現代音では入声がないので、去声しかない、ということ。なお、「*」は唐氏の原文では「師」ですが、「錯」か何かの誤りだと思います。

失われてしまった本音は、どこに行ってしまったのでしょうか?とても興味深い問題です。それとともに、去声というものの不思議さに、さらに惹かれてしまいます。

「この程度のことは、『馬氏文通』を読んでいれば当たり前のことだ」とも言えます。私は遅ればせながら、唐作藩氏のこの論文を通して馬建忠『馬氏文通』(1898年刊)の力量を再認識しました。

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“唐作藩「破読音的処理問題」” への 14 件のフィードバック

  1. Xuetui様、いつも興味深いお話しをありがとうございます。「破読」は本当に魅力溢れる話題ですね。唐作藩氏の論文、ましてや『馬氏文通』は未見で、というより読む力もありませんが、いくつか疑問に思ったので質問させて下さい。

    [a] 「いまでは本音が存在しておらず、破読音だけが読音としてあるもの」のパターンを単純に考えると、「本音は入声で、破読音が上声だが、いまは上声でのみ読むもの」の項目がありませんが、これは単にそのような字がないだけなのか、それとも他に理由があるのでしょうか?また、そもそも「本音は入声で、破読音が上声」の字はあるのでしょうか?

    [b] 唐作藩氏の「いまでは本音が存在しておらず、破読音だけが読音としてあるもの」のように、「本音」「破読音」の用語を使用することに違和感があります。例えば、「本音は上声で、破読音が去声だが、いまは去声でのみ読むもの」(この使い方には違和感はないのですが)の例である「下」の字の場合、以下の音があります。

     [1] xia4 上,馬韻,匣;魚部。
     [2] xia4 去,禡韻,匣;魚部。

    これは名詞・形容詞[1]が動詞[2]に転化した例で、現代では本音も破読音も去声になっていて、破読音だけが読音としてあるとは言えないようです。中古音は上声のとき、全濁の匣母は現代音では去声に変遷して、この問題は「下」に関係なく、音韻の変遷の問題のように捉えられる気がするのですが、いかがでしょうか?

    [c] 其々の字について、まだ調べてみた訳ではないのですが、「上」の字を「本音は上声で、破読音が去声だが、いまは去声でのみ読むもの」とするのはどうでしょうか?「上」の字には以下の音があります。

     [1] shang4 去,漾韻,禅;陽部。
     [2] shang4 上,養韻,禅;陽部。

    これも名詞・形容詞[1]が動詞[2]に転化した例で、「上」の字は「本音は去声で、破読音が上声だが、いまは去声でのみ読むもの」ということになりそうです。するとこのような型が他に3つあるようですが、その例字はあるのでしょうか?

    [b][c]の質問に関連して感じるのは、「本音」「破読音」について、現代ではどちらが残っているか、という型で考えるのには違和感があります。単に「本音」「破読音」の四声が現代ではどのように変遷したか、という問題であるように思うのですがいかがでしょうか?

    破読の発生は主に漢代に起こり、魏晋以後になって多く見られるようになったと思うのですが、それを中古音を元に考えたりして良いのかどうか?やはり、『群経音辨』『経史正音切韻指南』『馬氏文通』の諸書にきちんと当たるべきなのかもしれません。とても興味深い話しだったので、つい長文になってしまいました。申し訳ありません。どこか根本的な思い違いをしているかもしれないので、どうぞ適切なご教示をお願い致します。

  2.  コメントいただきまして、ありがとうございます。

     まず、おおざっぱな話から失礼します。段玉裁が言うように、上古には去声がありませんでした。平声・上声・入声の3種だったと考えられます(韻文の押韻状況で確認できます)。それがその後、去声というまとまりが出来て、独立した声調となりました。ですから、いま『広韻』の去声のところに収められている字は、もともとは、すべて「平声か、上声か、入声のいずれか」であった理屈です。

     たとえば、「上」は、『詩経』大雅「大明」では、「明明在下,赫赫在上。天難忱斯,不易維王。天位殷適,使不挾四方」と、「王」「方」と押韻していますから、上古では平声字であったことが分かります。また「下」は、『詩経』では、上声字と押韻していますから、上古の上声字です。

     新しくできたビル「去声」に、いろいろな字がよそから引っ越してきたようなものでしょう。引っ越してきた字には、それぞれ傾向があるようです。第一には、上下関係に関係する字や、「与える、助ける」といった意味の字は、、これらが中古では去声へと移ったと説かれております。「便」「賜」「貢」「奉」「貸」「進」「授」「助」「衛」など。第二に、「破読」の音(平・上・入を本音とし、派生的な品詞を去声に入れる)。

     他にも大規模な移民集団があるはずですが(研究を読んだ記憶があります)、いま思い出せません。金理新氏は、何らかの理由で上古に「後綴*-s」をもっていたものが、去声に入ったと考えているはずです。

     「上」は早い段階で平声から去声に移り、それを本音としたものと考えられますので、Hirshさんのおっしゃるとおり、「去声が本音、上声が破読音」と見なすのがよいと思います(そういう意味では、唐氏の失考です)。

     基本的には、破読に用いる読みは去声が基本で(去声ビルには空き部屋がたくさんあったでしょうから)、まれに上声を用いることがある、ということだと理解します。本音が去声であるなら、破読音は上声を用いるしかないですが(それが「上」の例です)。

     [a]の「本音が入声、破読音が上声、破読音の上声のみが残っているもの」は、例を探せばあるかもしれませんが、少ないはずです。破読音に上声を用いる例は、去声を用いる例に比べると少ないです。
     [b]については、上声の「下」「上」「夏」などは、おっしゃるとおり、声母が全濁なので必然的に現代音では第4声しかなくなったものであり、その意味で、「5.本音は入声、破読音が去声、いまは去声でのみ読むもの」と似たものですが、一方、上声「去」(見母、全清)、上声「涕」(透母、次清)などの例は、声母が清音ですから、上声の音が残っていてもよい理屈です。
     [c]については、すでにご説明したとおりです。

     おっしゃる違和感につきましては、非常によく分かります。確かにその通りです。「本音/破読音」というのは、操作概念に過ぎない面があります。ですから、現代にどちらが残っているか、という問題設定は一面的な見方かもしれません。『群経音辨』以下の書物を直接参照したところで、「本音/破読音」という対概念を用いている以上、やはり違和感が残るかもしれません。ですが、「現代音を通して古代の文章を読む」以上、両者のずれを意識することは有意義だという感想を持ちました。

     中古音(隋唐音)を通してそれ以前の音韻現象を論じてよいか、ということについても、まことにおっしゃるとおり、アナクロニズムを感じてしかるべきなのですが、不思議なことに、「あらゆる漢語の音韻は、中古音を基礎にして考えることができる」らしいのです。私は音韻学の専門家ではありませんが、音韻学の専門家がそうおっしゃっていました。すべての現代方言の漢字音は、『広韻』との比較で理解することができ、上古音も中古音の体系なしにはまったく考察のしようがありません。おまけに日本・朝鮮・ベトナム漢字音も切韻音系と比較できます。なぜに「中古音だけ」がこのような特権を持っているのか。もちろん、切韻系韻書によって全体から細部まで分かるためでもありますが、それにしても、まったく不思議というほかありません。

     『千字文』の時も、「得能莫忘」の「忘」字が平声であったはずなのに、ということを書きましたがhttp://d.hatena.ne.jp/xuetui/20090324/1237913927、いつのまにか消えてしまった音というのは確かにあります。韻文の押韻状況を見てゆけば、いろいろと得心することがあるかもしれません。

  3. Xuetui様、基本的なところから解説頂き、ありがとうございます。
    “「本音/破読音」というのは、操作概念に過ぎない面があります。”というのは、私が今関わっている所が、「操作概念」なのか「主題的概念」なのかを探求するというような面があって、勉強させられるコメントです。
    この辺り、本当に興味が尽きない話題ですね。以前紹介していただいた『漢語変調構詞研究』や『上古漢語形態研究』等、私には難しそうですが、改めてじっくり勉強してみようかと思っています。こちらについても、機会をみて、またご紹介頂ければ嬉しいです。今回も詳しい解説ありがとうございました。

  4.  Hirshさま、わざわざ、ありがとうございます。漢字の義について、「本義/派生義(引伸義)」という対がよく用いられますが、わざわざ本義などと大上段に構えずとも、「複数の義がある」とゆるく済ませた方がよいのでは、と思っておりまして、音についても「声調による読み分けがある」程度にしておくことはできないものか、などと暢気に考えておりました。不用意に操作概念などといってしまうと、議論を曖昧にするかも知れませんね。まさしく、探究してみる余地のあるところだと思いました。反省かたがた。

  5. いつもたのしく勉強しております。ひとつ質問があり、コメントさせていただきました。冒頭にある「音韻学入門」についてなのですが、具体的にはなんという書名か、ご紹介をお願いできませんでしょうか。音韻学の概説書は少し読んでみたことがあるのですが、とても難しく感じられ、つい疎かになってしまいました。よろしくお願いします。

    1.  コメント下さいまして、ありがとうございます。お訊ねの唐作藩の本ですが、そのうち紹介しようと思いつつ、放置しておりました。『音韻学教程』(北京大学出版社)というものです。教科書です。私の読んだのは、第3版(2002年)ですが、第2版(1991年)と初版(1987年)もあります。内容の違いについては知りません。

       音声学をしっかりと説明し、国際音声記号(国際音標)を基準にしている点が、私にとっては分かりやすく感じられました。音声の問題を抜きにして、音韻学上の諸概念を理詰めで理解できる人もきっといるのでしょうが、その方法では私には理解できませんでした。他にも読者に分からせる工夫が豊かです。

       いずれ(ちょっと先になりそうですが)、あらためてご紹介しますが、ご関心をお持ちなら、一冊手もとにおいてお読みになるとよいかも知れません(日本の大学図書館には少ないようですので)。私は卓越amazonから購入しました。

  6. 質問にお答えくださった上に解説までしていただき、ますます読んでみたくなりました。また、あらためてご紹介いただけるとのこと、本を手元に置いて、たのしみに待たせていただこうと思います。どうもありがとうございました。

    1.  学生時代、音韻学の授業を受けたのですが、韻図、等韻学が理解できず、単位をもらった後も、各種の本を自分なりに読んでみたのですが、どうしても理解することが出来ませんでした。
       この唐氏の書物を読み、ようやく光が見えてきた、と感じたので、皆様に紹介させていただいた次第です。

  7. 『音韻学教程』(第三版)を入手しました。さっそく中身をのぞいてみたところ、「練習」付きということで、しっかり読めば本当に力がつきそうだと感じました。
    唐作藩氏の講義も視聴してみました。思いの外、聞き取りやすい口調で話されていて、内容も興味深く拝見しました。ご紹介いただき感謝いたします。(前回の書き込みから日が開いてしまいすみませんでした。)

    1.  わざわざ、ご連絡くださいまして、ありがとうございます。もう入手なさいましたか。附録についている「遊音韻山記」という一文は、ある学生さんが書かれたものですが、諧謔に富んでいるだけでなく、「中国の学生さんたちも、なかなか苦労しているのだな」と分かって、面白かったです。
       本文は、通読しておしまい、というより、半年か1年くらいかけて全体をだんだんと理解するのがよいかも知れません。
       youtubeにそっくりのyouku(酷はcoolの音写)は、通信がスムーズに出来ないのが難点ですね。良質の講義をこうして伝えてゆくところは、素晴らしいことだと思います。

  8. 「『音韻学教程』」、「二つの封面」のエントリとあわせて拝見いたしました。
    読みかけの本(同じく中国語です)があるため、なかなか本文に入る余裕がないのですが、アドバイスをいただいたとおり、焦らずゆっくり取り組むことにいたします。とはいえ、恥ずかしながら、中国語で書かれた本は読み終えるのにはどうしても時間がかかってしまうのですが。
    さて、ここに「クイズ」の回答もあわせて書いてしまいますことをお許しください。本文にあわせ、題字も繁体字にしたことが原因ではないかと推測いたします。

    1.  ご覧下さいまして、ありがとうございました。私の場合、読みかけの本が、常時、100以上あり、どれもなかなか読み終わらないので、ご参考にはならないと思いますが、いずれにせよ、この教科書は、特に急いで読むようなものでもありませんので、ゆっくりお読みください。何か具体的な問題などありましたら、またコメント欄にでもご連絡ください。
       クイズの解答もありがとうございました。

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