日々の勉強


 我々、日本人にとって、中国学とは、どこまで行っても外国である中国のことを学ぶことです。わざわざこのように言うのは、「漢字漢文はすでに我が国の伝統であり、外国研究と呼べない」と思いこみ、中国文化を自文化と混同している人がいるために、あえて釘を刺すのです。 

 外国人である我々は、高度な研究をする前段階として、まず基礎的な訓練を積み続ける必要が、どうしてもあります。「中国人の幼児にさえ及ばない部分がある」という当たり前のことを忘れるべきではありません。たとえば、母親に中国語で子守唄を歌ってもらった経験がないのは、かなりのハンディキャップです。現代中国語の学習、文言の学習はもちろん、欠かすことができません。そういう意味では、一生かけて、基礎固めをするようなものです。それが困難であるからこそ、やりがいもまたあります。

 そのためには、童謡を聞いたり歌ってみたり、ニュースやドラマを見たり、中国人と直接つきあったり、いろいろな努力が必要ですが、「読書の学」に限ると、私が自分自身に課している学習方法は次のようなものです。「読書の学」と言っても、「読書」はその中の一部に過ぎませんが。

  1. 「誦書」。古典を読み上げる。
  2. 「読書」。古典、並びに研究書・概説書をたくさん読む。
  3. 「鈔書」。気に入った文章を書き写す。
  4. 「差書」。辞書や参考文献を用いて、調べ物をする。
  5. 「著書」。論を立て、ものを書く。

 この順番通りにするのが肝要です。時間配分についても、たとえば「差書」に時間を割きすぎるのは考えものです。「著書」に熱中しすぎるのも、見苦しいものです。見るところ、多くの人は、「誦書」と「鈔書」を軽視しているようですが、あまり賢い方法とは思えません。五感を刺激しつつ学んでこそ、効果的な学習が期待できるのです。

 この学習法をもう少し具体的に説明すると、次のようなことです。

  1. 「誦書」。毎日、『千字文』や気に入った韻文を口ずさみ、また、初見の文章を声に出して読み上げます。朗読のCDをよく聴いて、参考にします。
  2. 「読書」。毎日、古典を読み、毎日、清朝・民国の学者が書いたものを読み、毎日、現代人の書いた中国文を読みます。
  3. 「鈔書」。気に入った文章、自分にとって必要な文章を書き写します。一文を暗記してから、ノートに写します。
  4. 「差書」。工具書や注釈書を用いて、自由自在に調べます。
  5. 「著書」。大げさなものを書こうというわけではありません。身の丈にあったブログや論文を書きます。

 これでは、「学」ぶばかりで、「思」うところがないではないか、と反論があるかもしれません。「思」うことは、もちろん大切です。すべての段階において、常に「思」いながら、書物と接してゆけたら、とても幸せな読書人生が送れるのではないでしょうか。

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“日々の勉強” への 2 件のフィードバック

    1.  ようこそ、いらっしゃいました。そうですね、勉強はバランスですから、自分の足りないところ、強化したいところを重点的にするのがよいかも知れませんね。
       「いついつまでに、ものを書かなければならない」という外的な要求がある場合、バランスを保つのは、なかなか難しいかも知れませんが、楽しく学習ができますよう、お祈りいたします。

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