嵩山の如し


 小林新兵衛は、享保年間(1716-1735)の出版界に重きをなした出版者です。しかしながら、小林新兵衛の子孫のうち、その当主は代々、小林新兵衛を名のりましたので、小林新兵衛がどの小林新兵衛なのかを確定させるのは、なかなか難しい話でしょう。それはともかく、江戸の学者たちの得面目躍如たる逸話集、原念斎『先哲叢談』(平凡社、東洋文庫、1994年)から、享保年間に活躍した小林新兵衛の逸話をすこし。

 かの小林新兵衛は、荻生徂徠(1666-1728)と深い付き合いがありました。次のエピソードはたいへんに有名なものです。

書商小林新兵衛、徂徠に請ひて曰く、「小子家号無し。願はくは先生命ぜよ」と。徂徠笑ひて曰く、「書賈、吾が門に出入する者五人あり。而して爾が鬻(ひさ)ぐ所、価最も高し。猶ほ嵩山の五嶽に於けるが如し。宜しく嵩山房と名づくべし」と。(『先哲叢談』巻6、荻生徂徠、第13条、p.287)

  中国の五名山のうち最も高いという嵩山になぞらえるという、徂徠らしい皮肉によって家号が付いたわけです。東洋文庫本の注に「江戸日本橋通二丁目。徂徠の『学則』(享保十二年刊)、『中庸解』(宝暦三年刊)を出版し、また春台をはじめとする蘐園諸子の書を刊行した」(p.287)と言うように、徂徠門下との関わりの深い出版者でした。

  嵩山房と太宰春台(1680-1747)の関係も、もちろん『先哲叢談』に見えます。吉宗の側近が春台『経済録』を嵩山房から入手して吉宗に進呈しようとしたところ、いろいろ理由をつけて春台が写本の供与を拒んだ、というものです(『先哲叢談』巻6、太宰春台、第5条、p.321)。

  そして享保十六年、太宰春台は、中国大陸で伝を絶っていた『古文孝経』孔安国伝を逆輸出する意図をもって、同書の校刻を行い、翌年、出版しました。当初は、商業出版ではなかったはずですが、小林新兵衛に目を付けられたのでしょう、結局、嵩山房から何度も版を重ねて売られる仕儀となりました。

 最も信頼できる和刻本漢籍の目録、長澤規矩也『和刻本漢籍分類目録』(汲古書院、1976年)にも嵩山房の太宰純点『古文孝経』として、延享元年、天明3年、寛政4年、文化9年、文政2年、嘉永2年、嘉永4年、万延元年、慶応2年版を載せていますが、これらは、江戸時代を通じて出版された嵩山房の太宰点『古文孝経』のごくごく一部です。『和刻本漢籍分類目録』の「凡例」に「孝経については薄冊なので、比較は楽である一方、無刊記の刊本が多く、それらの版種の異同の区別が難しい。最近斯道文庫の大沼君が全国の所蔵家を歴訪して伝存目を編修中なので、この目を基礎にして完成を同君に求める」とあります。嵩山房の『孝経』に限って言っても、徹底的な目録を作るのはなかなか難しい作業だと想像します。かの長澤氏ですら、そう言われたのでした。

  私も十数年ほど前、いろいろと嵩山房の『古文孝経』を古書肆で買いましたが、版面を比較してみると、一つとして重複するものがありませんでした。和刻本のなかには、刊記から見ると、違う出版者が出した異版のように思えるが、実は同一の版木を使用した同版である、というものもありますが、嵩山房の『古文孝経』の場合は、見事にそれぞれ違う、という印象でした。

 徹底的に調べたわけではないので、確定的ではありませんが、これは、「版が磨滅するほど多くの部数を刷り、しかも版木が古くなるたびに版木を新調して刷って売り続けた」ということを意味するはずです。「猶ほ嵩山の五嶽に於けるが如し」と評されるほど、本の値段を高く付けた嵩山房のことですから、この薄い薄い『古文孝経』の版権を独占し、巨万の富を築いたのは、想像に難くありません。「漢籍を売って富を得る」時代、それが江戸時代の一面であったのです。

【補】五嶽は、東嶽泰山(山東省)、西嶽華山(陝西省)、中嶽嵩山(河南省)、北嶽恒山(山西省)、南嶽衡山(湖南省)。このうち、最も高いのは華山、次いで恒山。残念ながら、嵩山は最も高いわけではないそうです。この点については、すでに東洋文庫の注にも書かれています。徂徠の記憶が正確だったなら、小林新兵衛の屋号は「華山房」になっていたのかも知れません。

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「嵩山の如し」への6件のフィードバック

  1.  大変面白い記事、ありがとうございます。私も最近嵩山房の『孝経』を入手しました。何という偶然でしょうか!
     江戸時代の(安い)和刻本を買うのが好きな割には、その辺の事情に関して無知蒙昧でありましたので、非常に勉強になりました。薄い本なのにとても奥が深いのですね。
     嵩山房の『古文孝経』のように、同じ版元なのに版面が重複しない、というのは珍しいことなのでしょうか?他にこのような書物はあるのでしょうか。
     「漢籍を売って富を得る」、今の時代から見るととてもスゴイ時代ですね。夢のような時代だと思いました。

  2.  勉強させていただきました。

     「漢学をやっている人には、「知ったかぶり」が多い」は身につまされる言葉です。またしっかり勉強しなおします。
     

     

  3.  まっつんさん、コメント下さいまして、ありがとうございます。
     『古文孝経』は、江戸時代における、ベストセラーかつロングセラーの代表ではないかと思っております。おそらく、初等教育に用いられたためではないでしょうか?根拠なしですが。今でも、教科書がビッグビジネスであることを考え合わせると、そのように想像します。
     もう一つ、江戸時代に売れた漢籍は、「薄い本」が多かったような印象も持っています。
     そういうわけですから、同じようにベストセラーかつロングセラーで、さらに出版者が同じであるような本は、ちょっと思いつきません。
     「奥が深い」というより、端的に「泥沼」ですから、十分ご注意下さい。

  4.  狂夢堂さま、初めてコメントを頂戴いたしまして、まことにありがとうございます。
     さて、「知ったかぶり」の話は、自分に対して言ったものです。私は、「知ったかぶり」はプラス、マイナス、両面あると思っております。このブログなども、何とか読者の皆さんの期待にこたえたいと、「知ったかぶり」をして、そしてたくさん調べて記事を書くことが多いものですから、むしろ、プラス面があることを信じていなければ、とても続けられません。
     今後とも、よろしくお付き合いくださいますよう、お願いいたします。

  5.  ご返信ありがとうございます。
     
     どうか敬称に「さま」など使用なさらないで下さい。
     先生の汲古の著書や、選書の翻訳書をなかなか読み切れない、出来の悪い人間ですので。
     
     これからも興味深い記事を拝読させていただきます。
     なにとぞ、宜しくお願いします。

    1.  コメントを頂戴できるのは、実に励みになります。今後とも、よろしくお願いいたします。

       私の文章は、読みにくい悪文であるのかも知れません。このブログも、到らないところが多いと思いますので、ご批正のほど、お願いいたします。ただ、このブログは筆名で続けるつもりですので、その他のことは、なにとぞご容赦下さい。

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