開封の鉄塔にて


開封鉄塔
開封鉄塔

河南省の東部に位置する開封市。この都市は、前近代において、数度にわたり国都となった、中原地域の古都です。まずは戦国時代の魏の都、大梁(BC364-BC225)。その後、しばらく国都とはなりませんでしたが、五代の時、後梁の都となり、続いて、後晋、後漢、後周が都を置き、そして、続いて北宋の首都となったのです。この都の繁栄は、「清明上河図」として、今にその記憶を伝えています。それ以降も、河南の中心として、長くその地位を保ちました。1954年に河南の省都が鄭州に遷るまで、この地は政治都市として機能し続けてきたのです。

ところがこの開封、黄砂の堆積がひどく、古い街並みがどんどん砂の下に消えてゆくと聞きました。北宋の建築は、ほとんど現存せず、地下8メートルに眠っているとのこと。ちなみに、地下25メートルに至るまで、各時代の遺物が累々と積み重なっているそうです。現在でも高層ビルを建てず、極力、地下には手をつけていません。

そんな中、鉄塔と繁塔という、二つの塔のみが、今もそびえ、北宋の面影を伝えています。高い建物のない開封の市内からは、塔がよく見えます。鉄塔は、河南大学のすぐ北に位置しているので、この大学で簡単な講義をしたついでに、見学してきました。

もともと、皇祐元年(1049)、開宝寺の塔として建てられたもので、八角の十三層、高さは55.88メートルあります。鉄塔といっても、鉄製ではありません。見るところ、鉄のような鈍い光を放つので、鉄塔というのだそうです。磚に瑠璃の釉薬をかけて金属のような質感を出し、それを積み上げて作った磚塔です。一つ一つの磚は、きわめて美しく、塔の姿も優雅。これまで、いくつか中国の古塔を見てきましたが、最も印象に残る塔です。

鉄塔から望む
鉄塔から望む

内部には非常に狭くて暗い階段が設けられており、観光客がおっかなびっくり登り降りしています。私も登って見ましたが、狭い窓から中原を見おろし、愉快でした。

朝鮮半島ほどの面積を持ち、1億の人口を擁する河南省、その中心であった開封。鉄塔から、その開封の下に埋まっているであろう歴史に思いを馳せました。

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“開封の鉄塔にて” への 2 件のフィードバック

  1.  おかえりなさいませ。そしてお疲れ様でした。xuetui様のご活躍、中国のある大学関係のサイトで拝見致しました。
     鉄塔の画像、物凄い彫刻ですね。実際にこれを目にするとどれだけ圧倒されるのか、想像もつきません。また、地下25メートルにまで昔の都市が埋まっているかと思うと、感慨深いものがあります。私はこれから『清明上河図』を開いて、部屋の中で開封へ思いを馳せようかと思います。
     xuetui様の中国でのお話、楽しみにしております。

  2.  まっつんさま、どうもコメントありがとうございます。河南省は、なかなか旅行しにくいところで、私も今回、初めて旅行しました。なかなか面白い経験もしましたので、おいおいお話しします。

     「清明上河図」、お持ちですか!開封は今でも趣のある都市です。絵をながめながら、宋代を旅してください。では。

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