「大」と「大」


籀文「大」
籀文「大」
古文「大」
古文「大」

『説文解字』には540の部首ありますが、その中には、同じ字の違う形を重複して収めているものがあります。

『説文』第十下に収める、第398部と第402部は、ともに「大」の字です。第398部は古文、第402部は籀文とのこと。『説文』に収める字は、基本が小篆で、これに古文・籀文を交えています。「大」の字の小篆について、『説文』の著者、許慎は何とも言っていませんが、段玉裁は古文の方の「大」に注して、次のように言います。

 (古文と籀文の「大」は)ただ一字なのだが、形がすこし異なる。後に、小篆の偏旁は、古文に従うものもあり、籀文に従うものもある。だから、(許慎は、第398部と第402部の)二部に分けざるを得なかった。ちょうど(「人」の字も、第287部の)「人」に従うものと(第311部の)「儿」に従うものがあって、分けて二部とする必要があったのと似ている。では、小篆の「大」は、どういう字だったのか?小篆は古文の形であったのだ。  

段玉裁の説に従うなら、「大」の古文と小篆は同形、となります。まあ、穏当なところでしょう。

また、籀文の方の「大」に注して、段玉裁は次のように言います。

古文の「大」は人間をかたどったもので、この籀文の「大」もまた人間をかたどったもの。両方、字が同じなのだから、音も同じである。それなのに、大徐は、古文の方は「徒蓋の切」だといい、籀文の方は「他達の切」だという。この区別は、まったく誤っている。

現代音では「徒蓋の切(去声)」ならdàもしくはdài、「他達の切(入声)」ならtà、となります。そういうわけで、段玉裁に従うなら、同一字である「大」の古文・籀文は、同音とすべきです。両方とも、現代通用のdàの音で読んでおけば、よいでしょう。

興味深いのは、上記の引用文に続けて、段玉裁が次のように言うことです。

古代において、去声と入声とは分かれていなかった。一般に言って、今の去声の字は、古代はみな入声であった。「大」を入声に読むのは、いま、会稽に大末(タツマツ)県があるくらいだが、これは古語がわずかに伝わった例だろう。本当は、「大」はみな入声とみることができ、古文の方が去声で、籀文の方が入声、などというわけではない。

王力の説によると、上古音には、「長入(長くのばして発音する入声)」と「短入(短く発音する入声)」が存在し、中古においては、前者が去声に、後者が入声になった、といいます。段玉裁も、中古音の去声の先祖が入声であった、と考えていたわけですね。

広告

「「大」と「大」」への2件のフィードバック

  1.   Xuetui様が行なってくださった作業のおかげで、非常に学習効率があがりました。そして「大」と「大」の違いを段玉裁の立場からのご解説、ありがとうございます。私も未熟といえばかなりの未熟者で、最初にxuetui様の成果を参考にしながら後を追っていたところ、ここの部分で非常に疑問を持ちましたが、実際に段注を読んでもいまいち理解できませんでした。正直いいまして、読めませんでした…。今非常にすっきりした気分でおります。今後もこのような形でご解説いただけると非常に助かります。暗記をすることも難しいですが、暗記をするに至るまでも楽な道ではないのだと強く実感しております。ただ、向き合うべきところをしっかり向き合えば、、何とかやっていけるのでは、という思いもあります。
     …すみません、ただの感想になってしまいました。

  2.  まっつんさま、コメントちょうだいしましてありがとうございます。実はこの「大」の文字、私も段注を読んで、面白く思っておりまして、書くつもりでいましたので、「續・積讀日記」で触れていただいたのは、よい機会でした。ほかにも、いろいろ気づいたところがありましたので、おいおいご紹介します。

     『説文』と段注は、やっぱりいいな、とあらためて感じました。Hirshさんから「説文専用サイト」のお話がありましたが、今後、その可能性も考えてみたいと思っております。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中