『説文入門』


『説文入門』(頼惟勤監修、説文会編、大修館書店、1983年)は、『説文解字』および『説文解字注』を読む上での最高の手引きであり、日本はもちろん、中国にもこれに比肩する『説文』の入門書は存在せず、また今後ともこれをしのぐものが、どこからか現れるとも思えません。『説文』を学ぼうとする者が、読んで理解すべき書物です。

この『説文入門』、全体が問答形式で成り立っており、頼氏と学生とのやりとりを眼前に彷彿とさせるもので、楽しく読むことができます。ただ内容が非常に高度なので、さらっと読んでも理解はし難いと思います(特に第2章「段玉裁の『説文解字注』」)。何度もくりかえし読んで、内容を理解することが大切でしょう。その中から、印象的な話を抜いておきたいと思います。

 「形・音・義」の「形」は、見ればそうなっているという性質のものですから、見損なったらそれは自分自身の失態であることがはっきりしています。また「義」は、それをはっきりさせようとしているのですから、誰でも一応は納得の行くところまで追究するに違いありません。これに対して「音」は、常識の線で間に合わせてしまう。またそれでも別に良心にとがめるところがない、というのが大方の傾向だと思います。しかしそれでは困るので、わかる限り、とことん「音」を究明すべきだということを主張するわけです。(p.105)

「形」「義」の研究もそれほど容易でないことは当然ですが、日本漢学の「小学」において、やはり「音」はないがしろにされているように見えます。「音」を疎略にしても「良心にとがめるところがない」というのは、今でも状況はだいたいその通りです。

以前、「音韻学を学んだところで、それで古典が読めるようになるわけではない。だから、古典読みに音韻学は要らない」と言う方に出会ったことがあります。そうおっしゃる方は、きっと、「良心にとがめるところ」があったからこそ、そのような言い方をされたのでは、と憶測します。私も小学家ではありませんが、やはり古典を読むためにも「音」は大切だろう、と思います。

さて私はことあるごとに、本書を若い人に勧めますが、それをわきで聞いている中堅の学者が、「頼先生の『中国古典を読むために』も良いよ」と言葉をつぐことがあります。一方、私は、『中国古典を読むために―中国語学史講義』を面白いと思ったことは一度もありませんし、人様に勧めたこともありません。頼氏自身、「本講義はもともと倉石武四郎先生の「中国小学史」を粉本として、早稲田大学で講述したものである」(本書の序)と言ってはいますが、その内容は、かなり退屈な小学史の概説です。

『説文入門』こそが、頼惟勤氏を通じ、倉石武四郎の遺徳を伝える書物であるように思うのですが、読者諸賢はどのような感想をお持ちでしょうか。

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「『説文入門』」への10件のフィードバック

  1. Xuetui様
    両書ともに私のような中国学を一人で学ぶ初学者にとっては、小学を学べる貴重な本になっています。『説文入門』の面白さをやっと少し分かり始めてきた所です。

    Xuetui様のような専門家にとっては深い考えがあっての評価だと思うのですが、『中国古典を読むために』は、一度も足を踏み入れたことのない世界の前で、右も左も分からず立ちすくむ者に、魅力的な世界を案内してくれる本です。特に戴震の引用で始まる序は、その意味も分からなかったにも関わらず、惹き付けられるものがあり印象的でした。
    『漢書藝文志』から始まる第一章では、一つ一つの文献の紹介をわくわくした気持ちで読みました。第二章も漢字における音韻の性質を様々な文献を通して、紹介してくれるので、とても興味深く読んでいます。

    大学等で中国学に接する学生の方には退屈なものなのかもしれませんが、独学を余儀なくされる者にとってはとても魅力的な本です。このような初学者の拙い感想で、コメント欄を汚すようなことになってしまったら申し訳ありません。他にも初学者に小学を学ぶお薦めの本がありましたら、ご紹介頂けると幸いです。

  2.  Hirshさま、コメントちょうだいいたしまして、ありがとうございます。

     そうですか、両書とも思い入れをお持ちの本なのですね。深い考えがあって、というわけでは決してなく、本書を通読した時、一文が切れ切れになっており、非常に読みづらかった印象が残っています。文体の問題のために、面白くない、無味乾燥と思うのかも知れません。内容が素晴らしいことはもちろん言うまでもないことです。

     それにしても、独学なさって、このような書物を熱心にお読みになること、尊敬いたします。私が『中国古典を読むために』を人に勧めない理由は、「これを読んでも、小学を理解できるようにはならないのではないか」「学力の低い人は圧倒され、学力の高い人はせいぜい知識を詰め込むだけ、そういう結果になりはしないか」と疑っていたからなのですが、Hirshさんが実際に本書で学んでいらっしゃるわけですから、その思い込みはたいへんな誤りであったことになります。気づきを与えてくださいましたことに感謝いたします。

  3. Xuetui様からそのようなお言葉を頂けるなんて、恐れ多いことです。まだ、漢学の世界に足を踏み入れたばかりなので、前のコメントで書いた感想も私の幻想なのかもしれません。そのような事情を差し引いて、評価頂ければと思っております。『説文入門』も魅力ある本と感じており、じっくり味わっていこうと思っています。

  4.  Hirshさま、独学されていること、私は本当に尊敬しております。このエントリーを書いた目的は、『説文解字』を独学なさる方に、まず『説文入門』を読んでおいてもらわないと、『説文』の勉強は始められない、と思ったからです。『説文入門』は、演習にみずから参加しているような感覚が味わえるので、独学にはもってこいでしょう。本書を読んで分かりにくいところは、このブログにご質問をお寄せください。答えられる範囲で、お答えさせていただきます。

  5. Xuetui様
    数々の温かいお言葉、ありがとうございます。とても励みになります。『説文入門』で分からないこと、こちらで質問させて頂きますね。頑張って勉強致します。

  6. Xuetui様、Gravatarの画像を変更されたんですね。とても素敵です。
    ところでこの「學退」の文字について質問があるのですが、どこに書いたらよいのか分からなかったので、こちらで失礼致します。
    『説文』を見ると、「退」は古文に対応する文字のようで、その小篆に対応するのは「𢓴」のようです。「學」は篆文(この場合は狭義で、小篆ということでしょうか?)で、段注を見ると古文に対応するのは「斅」のようですから、単純に考えると「斅退」または「學𢓴」の組み合わせになるような気がします。篆刻では古文と小篆の扱いはどのようになっているのでしょうか?
    未熟者ですから、そもそも『説文』の読み方が間違っているかもしれません。ご教示下されば幸いです。

  7.  Hirshさま、おほめいただき、たいへんに嬉しく存じます。篆刻家の先生に頼んで作っていただいたものなのですが。
     小篆と古文の関係は、おっしゃるとおりで誤りありません。印の文を選ぶ場合、必ずしも『説文』の小篆だけを使うだけではなく、『説文』に載っている字なら、小篆に古文や籀文を組み合わせてもおかしくはないでしょうし、また、『説文』に載っていない字でも、石刻や漢印などに見える形は使えるようです。
     今回、印を作ってくださった方は、画数の多い「學」と調和させるために「止」のある字を選ばれたのかな、と愚考しております。
     これらは印を刻する方々のなさることですが、私も門外漢ながら、分かる範囲でお答えしました。篆刻もなかなか面白いですよね。私などは鑑賞する程度で、実作には及びませんが。

    1. Xuetui様
      解説ありがとうございます。私も篆刻の印がとっても欲しくなりました。その前にhirshというのをなんとかしないといけませんね。

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