『説文』540部の序列


『説文』540部を憶える!」という計画を立ててましたが、一朝一夕に憶えられるものでもありません。方針は、2つです。

  1. 順番を音読し、暗誦する。
  2. 順番を頭で理解する。

1については、お二人の読者の協力を得て、まず540部の現代音を確かめ、一覧にするところまで終わりました。こうしてネット上に載せておけば、憶えたい人は誰でも知識を得ることができるので、まんざら無駄でもないでしょう。

2については、よい方法があります。それは、段玉裁の力を借りることです。『説文』第15篇の上は、許慎の序文と目録から成っていますが、その目録は、第1部「一」から第540部「亥」までを列記しています。この目録はもともと『説文』についていたものでしょうが、それに段玉裁が注をつけており、その序列の意味を説いているのです。これを読めば、どんな基準で部首が並べられているのか、分かる仕組みです。

こじつけめいたところも多々あるので、素直でない人は、受け入れられないかも知れませんが、記憶のためには、「こじつけ」がかなり重要なのです。眉につばをつけずに、段玉裁の意見を聞きましょう。

第1篇を例に取ります。まず第1部「一」から。段玉裁は何とも言っていませんが、『説文』の本文に「道立於一」とありますから、ここからすべてが始まるのです。それを承けて第2部「丄」、楷書では「上」と書きますが、古文の形は短い横線と長い横線を上下に重ねたものなので、「一」を承けて登場します。段玉裁は「蒙」という言葉でそれを表現しています。第3部「示」は、古文の「上」に従う形。第4部「三」は、「示」の下の部分を横にしたもの。第5部「王」は「三」を承けたもので、第6部「玉」も同じ(「玉」の篆文には点がありません)。第7部「玨」は、「玉」を二つ並べた形(段玉裁は「並之重之」と表現)。第8部「气」は、第4部の「三」を変形した形(小篆の「气」は三本線で書く)。第9部「士」は、「王」(「一」で「三」を貫く形)を承け、十と一を合わせた形(『説文』に「十一に従う」とあります)。第10部「丨」は、「王」「玉」の縦線。第11部「屮」は、「丨」を承ける。第12部「艸」は「屮」を並べた形。第13部「蓐」は「艸」を承ける。第14部「茻」は「艸」を重ねた形。

以上で、第1篇に収める14の部首の序列が説明されました。「丨」は、「一」や「三」や「王」と同じく、第1篇にあるんだな、そして「丨」から派生した「屮」や「艸」も同じ第1篇だな、と、このように思い出すことができたら、しめたものです。索引なしでも、クサカンムリにたどり着けるのです。

ただ全ての部首の配列をこのように説明できるわけではなく、第2篇に見える第25部「哭」と第26部「走」の間を形の観点から説明することはできません。段玉裁は、「有形不相蒙者」と言っています。このあたりは、あきらめるしかないようです。一度、540部にわたって、この部分を通読なさると、大体の脈絡がつかめると思います。

今年の更新は、これにて終わりとさせていただきます。今年も、読者の皆様のご愛顧を賜りまして、ここまで続けることができました。来年もよろしくお願いいたします。これをもって、年末年始の挨拶とさせていただきます。

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“『説文』540部の序列” への 11 件のフィードバック

  1.  あけましておめでとうございます。

     私もゆっくり、1年かけて覚えていきたいと思います。たった1年で覚えられるのだろうか、という不安もありますが、大事にコツコツとやっていくつもりでございます。積読・読書に明け暮れるのも良いのですが、こうして本気で学べる機会をいただけると、生活に張りが出てきます。明確な指針を示してくださったので、挫折を恐れずに学び続けていけます。結果的に、さらに読書生活が楽しくなるものと信じております。

     本年もどうぞよろしくお願い致します。

  2.  まっつんさま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

     このエントリに書いた、「段玉裁の説明による『説文』の序列」は、とりあえず第1篇のみ紹介しましたが、第2篇以下も、同じ調子で紹介してみましょうか?もしご要望があれば、の話ですが、如何でしょうか?

     重ねて、新年のお祝いを申し上げます。学退

  3.  第1篇のご説明で、大体『説文』第15巻の段注の読み方は分かりましたが、きっとまだまだ分からない所が多く出てくると思いますし、このような形で手引きをして頂けると、とても分かりやすいですし、モチベーションも高まりますので、ご面倒をおかけしてしまいますが、是非今後も同じような形で第2篇以降もご紹介頂けると大変助かります。
     只今同時並行で『説文入門』も読んでいきます。…そんなレベルでこのような要望を申し上げるのもおこがましいのですが…。どうかよろしくお願いします。

  4. まっつんさま、了解いたしました。第二篇以降も、同様に解説させていただきます。これは、私にとっても勉強になりますので。

  5. Xuetui様、旧年中は色々お世話になりました。私の未熟な質問に丁寧にお答え下さり、本当に感謝しております。今年も「学退筆談」を楽しみにしています。これからも少しでも学んでいけるよう頑張りたいと思います。本年も宜しくお願い致します。

     私も遅ればせながら『説文』部首の暗誦を始めたところですが、第2部「丄」の字のところで引っ掛ってしまいました。新年早々の質問で申し訳ないですが、ご教示願えれば幸いです。この字、『説文』と『段注』で異なっているようで、『説文』では「丄」ですが(大徐本・小徐本ともに、「丄」になっているようです)、『段注』では「𠄞」(この字はUnicodeにあって、コードポイントはU+2011Eです)になっています。この部分は変例のようで、重文の方が小篆になっていますが、『段注』ではその重文を「丄」としています。

     また「丄」に从う字についてですが、『段注』には篆文は「𠄞」に从い、古文は「一」に从うとあります(例えば、「帝」の項)。段玉裁は「然則古文以一爲二。六書之假借也。」としていますが、篆文が古文の「𠄞」に関係あって、古文の方が仮借というのは不思議なような気がしています。

     部首の暗誦が目的なのに、どうも『段注』の内容にかかわり過ぎたようで申し訳ありません。第3部「示」等との関係もあって、部首の配列においてとても興味深い事柄だと感じました。これらの「丄」の用字、及び「丄」に从う字について、現状での『段注』の評価、及び定説はどのようなものになっているのでしょうか?

  6.  Hirshさま、新年あけましておめでとうございます。

     さて、『説文』に限らず、古書は長い伝承を経ており、誤りはつきものです。そこで「校勘学」の出番となりますが、きわめて大ざっぱに言うと、二つの方法があります。

     一つは、常識的判断を用いるもので、たとえば、その書物自体の体例を見いだし、あるいは、自然科学的な知識や歴史事実などに基づいて、本文を変更するのです。これを「常識的校勘」と呼びましょう。

     もう一つは、同一書の異本(写本・版本・石刻・他の書物などに引用された断片)を調べて、比較検討を加えるものです。これを「異本的校勘」と呼びましょう。

     さて、『説文』の「上」部にもどります。異本的校勘の方法によれば、異本間の違いがないのですから、校勘のしようがありません。ですから、多くの学者は、『説文』の大徐本・小徐本の本文を改めません。

     一方、段玉裁は、異本的校勘よりも、常識的校勘を重んじます。それゆえ、段玉裁の校勘には、異本的な根拠の無いものが非常に多いのです。それを「独断」として退ける学者が多いのは事実です。

     しかし、この「上」部についていうと、他の人はどうか知りませんが、私は段玉裁の判断が正しいと思います。(1)許慎の時代には、すでに「小篆の字形が何であるか」は秦の始皇帝により決められており、許慎の個人的な判断で形を決めたわけではありません。(2)『説文』の部首配列には、許慎の何らかの意図がこめられているはずです。

     この2つの条件を考慮したうえで、異本的校勘を絶対とみなさずに、「上」部の問題を考えると、どうなるでしょうか?私は、段玉裁の答え以外の答えはないように思います。また、これは個人的な印象ですが、段玉裁は、『説文』の体例を見いだしてそれに従おうとしているだけであり、妄想的に作り上げた自説に固執しているわけではありません。確かにこの問題についての異本的な根拠はありませんが、そう不当な結論だとも思えません。

     また、古文字との比較しても、金文では「上」を多く「𠄞」に作っていますから、段玉裁が「上」の古文を「𠄞」と判断したのは、異常なことであるとはいえません。

     これ以上のことは、それぞれの方の判断となるのではないでしょうか。一方に、異本的な根拠のないものはすべて排除する学者もいますので、それは、それぞれの立場、というほかなさそうです。この点は、特に「音」に関する問題として、先鋭化してきます。

     このように、大小徐本の『説文』と、『説文解字注』の『説文』の間には、相当に大きな懸隔がありますが、私としては、『説文』の本文の一般につき、(『説文』のよい古本の全本が存在しない今となっては、)「段玉裁の正した本文に従うのが最善である」と思っております(よい古本がそれこそ「発掘」でもされた日には、もちろん、一から考え直します)。

     末筆ながら、Hirshさまのご文安とご多幸をお祈りしております。今年もどうぞお付き合いください。

    1. Xuetui様
       とても分かりやすい解説、ありがとうございます。丁寧に説明して下さり、お手間を取らせたようで申し訳ありません。独学ですと、なかなかこのような大局を見る目が養えないのですが、このように解説して下さると、自分でも色々と勉強していけるような心持ちがします。また体例の重要さも認識致しました。とても感謝しております。

      1. Hirshさま
         いえいえ、『説文』、及び中国古典学の普及に微力を尽くす所存ですので、説明不足の点について、お気軽に指摘ください。分かる範囲でお答えいたします。

  7. あらためまして新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくおねがいいたします。
    説文も頑張ってます。
    体例というものに含まれるものは、序文と本文、正文と注文などになるのだと思うのですが、網羅的に何が該当するかを把握できないでおります。自分で分析すれば分かるのかもしれないのですが、説文の体例、が具体的に何になるかも教えていただけませんでしょうか。すでに他のエントリーでお話があったらすいません。

     常識的校勘というのは理校と対校の区分で言うと理校にあたるのだと思います。『校勘雑志』でも理校は憶断的なものである、と批判をしているのを読みました。
     ある先生(道教の小林先生)が実証性というのもには段階があり、完全な証明といえるものでなくても、より実証性が高いのを目指せばいいというのをおっしゃっているのを聞いたことがあります。そういう観点で、校勘も証明できなくても常識的判断により文献上のここには問題があるかもしれない、というのを指摘するだけでも意味があり、そういう点でも理校というものはやる意味を認めていいのかなと『校勘雑志』などの批判に対して感じます。これも一つの立場になるのかもしれませんが、こういう理解もできますでしょうか。

    また「音」に関する問題、というのは押韻箇所で押韻する字に改めるというようなことになるのでしょうか。校勘学史をしっかり勉強できていないのですが、誰がどういう批判をしているというのがありましたら教えていただけますでしょうか。

  8. 昭夫さま
     あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
     『説文』の体例については、『説文入門』の第三章に書いてあります。特に、p.151の「凡」の説明に注意してください。p.181にも、関連の記述があります。
     「理校」というのは、校勘学でよく使われる術語ですが、これはむしろ分かりづらくなると考え、あえてここでは、独自の説明をしたものです。「常識的校勘」は、「理校」よりもずっと広い意味で用いています。校勘学については、機会を改めて説明いたします。
     段玉裁による音の変更については、『説文入門』p.154の「段氏はときどき大徐の反切を改めていますね」の答えや、それに続く部分を熟読してください。
     段玉裁についての批判は、同時代の顧千里との論争(ご自分で出所をお探しください)以来、こと欠かないと思います。

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