文字を説解する


許慎『説文解字』には永元12年(100)の自序が見えており、それ以前に完成していたことが分かります。のちに彼の息子、許沖の手により、建光元年(121)9月20日、漢の安帝に献上されました。

もちろん『説文解字』以前にも、漢字学習のための書物はありました。『漢書』芸文志には、「六芸略」の「小学家」として、以下の書物を並べています。

  • 『史籀』十五篇。
  • 『八體六技』。
  • 『蒼頡』一篇。
  • 『凡將』一篇。
  • 『急就』一篇。
  • 『元尚』一篇。
  • 『訓纂』一篇。
  • 『別字』十三篇。
  • 『蒼頡傳』一篇。
  • 揚雄『蒼頡訓纂』一篇。
  • 杜林『蒼頡訓纂』一篇。
  • 杜林『蒼頡故』一篇。

『史籀篇』『蒼頡篇』『急就篇』といったところが、前漢時代の識字書の定番でしょうか。『史籀篇』の冒頭の句は「大史籀書」、『蒼頡篇』の冒頭の句は「蒼頡作書」、『急就篇』の冒頭の句は「急就奇觚與衆異」。何のことはない、どれも、冒頭の2字ほどをつまんで書名としたに過ぎません。非常に簡単なものだったわけです。

それに比べると、『説文解字』というのは、非常に凝った命名です。この4字は、修辞で言う「互文」になっています。よく知られる互文は、「日進月歩」「天長地久」でしょう。「日月」ごとに「進歩」する、「天地」が「長久」である、という、それぞれ一つのことを言っているのですが、わざと分割して「日進/月歩」「天長/地久」と表現するのです。

さて、「説文解字」なる語も、一見、「文を説く」「字を解く」と二つのことを述べているようですが、実は「文字」を「説解」する、という一つのことを述べたものです。なかなか心憎い書名です。後に顔師古が書いた『匡謬正俗』という書の名も、これを意識したものに違いありません。

なお、この『説文解字』なる書名、許慎がみずから命名したもののはずですが、どういうわけか、許慎の序文には見えず、かえって息子、許沖の上奏文に「慎博問通人、考之於逵、作『説文解字』」と見えるのです。「逵」とは、許慎の師であった大学者、賈逵のこと。それはともかく、許沖の上奏文に書名が見えることについて、段玉裁は次のように言っています。

この書物の名は、許沖の上奏文にしか見えない。まず「説文」といったうえで、さらに「解字」というが、それは古いものを「文」といい、今のものを「字」というのだ。「文字」と言えば、古文・籀文・小篆の三体を含む。「説解」と言えば、指事・象形・形声・会意・転注・仮借の六書をすべて含む。字ごとに、まず義を説解し、次に形を説解し、次に音を説解している。「説」とは、釈すること。「解」とは、判ずること。後世では、省略したかたちで、単に『説文』と呼んでいる。

許慎は『説文』ではなく、『説文解字』と名付けたのです。想像力を刺激される、すてきな書名です。「文」とは何か、「字」とは何かについても、さまざまな議論があるようで、理解は一致していません。後世の学者たちは、それぞれ「書名に込められた許慎の意図」に思いをいたし、それを探ろうとしてきたわけです。

【補記】『説文入門』p.4に「(『説文解字』の)内容は、書名が示しているように、文字を説解したものです」とあります。このエントリは、その注釈だと思って読んでいただければ、幸いです。

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