勅版『錦繍段』


錦繍段
古活字本『錦繍段』

古活字本『錦繡段』は、慶長年間(1596-1615)に出された「勅版」古活字本として、つとに有名です。 奈良時代に『百万塔陀羅尼』が木版印刷されて以来、日本には版木を彫って紙に印刷する「版本」(整版印刷)の伝統が長くありましたが、中世の末になって、活字を用いた組み版・印刷が行われるようになりました。中でも特に名高いのが、後陽成天皇による勅版です。

長澤規矩也氏は、『図解和漢印刷史』(汲古書院、昭和51年)の「解説」にて、次のように述べています。

 後陽成天皇勅版の古活字版の印刷は、文禄二年(1593)閏九月着手の古文孝経に始まる。朝鮮征伐のために秀吉が帰京して約二か月の後に当たり、朝鮮活字版の影響であることは確かである。かくて、二か月未満で出版となった始末は時慶卿記に詳細に記されているが、実物はまだ発見されていない。

 慶長二年(1597)の錦繡段に始まり、慶長八年の五妃曲に終わる慶長勅版は、その間、二年錦繡段・勧学文、四年に日本書紀神代巻・古文孝経・大学・中庸・論語・孟子・職原抄が出来、江戸・大坂方の争乱で中絶し、八年に白氏五妃曲が出来ている。長恨歌・琵琶行は伝本一部、木記が失われ、刊年を明らかにしない。(p.39)

勅版『錦繡段』には識語がついており、つぎのようにあります(わたくしに標点しました)。

『錦繡段』者、東阜天隱之所編、而未有刊行。茲取載籍文字、鏤一字於一梓、棊布諸一版、印一紙、纔改棊布、則渠禄亦莫不適用。此規模頃出朝鮮、傳達天聽、乃依彼様、使工摹寫焉。叡思辱在、擬周詩六義教以化之、家藏人誦、傳之不朽云。

慶長第二歳在〔丁酉〕夷則下澣、臣僧南禪靈三誌焉。

大体の意味を掲げておきましょう。

 『錦繡段』は、東阜の天隱が編集した詩集だが、これまで刊行されていなかった。そこで、典籍の文字を取り上げて、一字を一つの木切れに彫り、それを一つの版面に排列して、一枚の紙に印刷し、(必要な枚数を取り終えると、その)排列を解体する。このようにすれば、石渠閣や天禄閣の書物(、つまり宮中のすべての本)もすべて印刷できるわけだ(つまり、木版のように、厖大な書物の版面をいちいち作る必要がない)。

この方法は、近頃、朝鮮から伝えられ、陛下のお耳に入り、彼の地の様式に依拠して、職人に命じて模写させた。陛下の思し召すところ、お身を屈して下問され、周の『詩経』の六義により教化なさり、家々にこの書が蔵せられ、人々に暗誦されるように、そして永遠に伝えられるように、と欲されたのである。 (下略)

簡単に語釈をつけておくと、「渠禄」は、石渠閣と天禄閣。ともに前漢の宮中にあった蔵書楼(「渠禄」の語は『漢語大詞典』に載っていません)。「叡思辱在」の「辱在」は、『春秋左氏伝』隠公十年に「君與滕君、辱在寡人」とあるのを典故とし、高貴な人が身を低くして慰問すること。ともに、先人の指摘がないようなので、ここに記しておきます。

朝鮮からわたってきた、活版印刷という新技術に対する、昂揚感をはっきりと示す、重要な一文です。

このように、出版史上、きわめて重要な位置を占める慶長勅版『錦繡段』、先日、武田科学振興財団の杏雨書屋にて、伝本のひとつを拝見する機会を得ました。ありがたいことです。

小さな発見をひとつ。22葉の裏、4行の「歌風臺 林寛」の「歌」字は、組み版の時に誤りがあったらしく、刃物で切り取られた後、正しく「歌」字を古活字を用いて刷った小紙片を裏面から貼り付けてあります。靈三の識語にもあったように、古活字は刷ったらすぐに版を解くらしいので、十分な校正ができずに誤字を出し、このような処置を取ったものでしょう。技術史上、注目に値します。ほかの例があれば、知りたいものです。

勅版の古活字は、字の粒が大きくて美しく、また異体字も多く(識語にも多くの異体字があります、ご確認ください)、たいへんに壮麗で印象深く思われました。文字についてはのっとるところがあるはずで、研究もあるのでしょうが、残念ながら存じません。

なお、川瀬一馬氏『古活字版之研究』増補版(1967)によると、この勅版『錦繡段』の「伝本の世に知られてゐるものは、久原文庫、東洋文庫、内藤虎次郎博士、杉浦三郎兵衛氏蔵の諸本である」(上巻、p.179)とのことで、そのうち、内藤虎次郎博士の旧蔵本を拝見したわけです。『岩崎文庫貴重書書誌解題』三(財団法人東洋文庫、平成10年)により、東洋文庫本の写真をお示しておきます(p.51)。

耳を切られて


四部叢刊初印本(左)と注疏叢刊本(右)
四部叢刊初印本(左)と注疏叢刊本(右)

四部叢刊に収める『老子』について言うと、初次印本と重印本の内容が少しばかり異なる、と書きました。そうは言っても、四部叢刊の初次印本も重印本も、貴重な線装本であり、一般の図書館では自由に閲覧できるものではありません。

私も初次印本のコピーを取りたいと思ったのですが、線装本のコピーはさすがに気が引けます。しかし、是非ともコピーする必要があったので、方法を考えました。北京の中華書局が1998年に出した「四部要籍注疏叢刊」というシリーズに収められた『老子』河上公注本が、四部叢刊の初次印本をもとにしたリプリントらしい、と気づき、これをコピーしたのです。

「四部要籍注疏叢刊」。四部叢刊の『老子』の初次印本をリプリントするという、素晴らしい着眼点なのですが、やや残念なのは、匡郭(木版本の上下左右を区切っている枠)内の内容は保全されているものの、それ以外の部分、すなわち「枠の外」が排除されている点です。

たとえば、「本の耳」である耳格が削除されています。耳格(書耳ともいいます)とは、宋版などによく見られるもので、各葉の枠の左上に篇名などを記す、古雅なものです。この宋版『老子』建安虞氏家塾刻本にも見えるのですが、一律に省かれています。

また、枠の外に書き入れた記録や印が抹消されています。巻上の終わりには、正徳11年(1516)と乾隆58年(1793)、二度の修理の記録が記されていますが、これも削除されており、味わいをやや減らした感があります。

なお、原本は現在、北京の国家図書館に蔵されていますが、かつては有名な大蔵書家、黄丕烈(1763-1825)の所持品でした。黄丕烈の蔵書記録、『百宋一廛書録』(嘉慶8年、1803序)にこの本を録して、「惜墨敝紙渝、且俗工装裱、殊不耐觀」と、その紙墨と装丁のまずさを言っています。いつか、原本を見る機会を得られれば、その装丁を拝んでみたいものです。

書物の内容にまったく関わらぬことですが、一人の本好きとして、善本の細部にも愛着がある、という話です。

愚かな「頭」


四部叢刊重印『老子』
四部叢刊重印『老子』
四部叢刊初印『老子』
四部叢刊初印『老子』

山城喜憲氏『河上公章句『老子道德經』の研究』(汲古書院、二〇〇六年)は、きわめて精細な『老子』河上公注の校勘学的研究です。同書の緒論に、四部叢刊本の『老子』を説明して、次のように言っています。

四部叢刊には初次印本と重印本とがあり、重印に際して一部の収載図書は底本を新出の善本と差し替えてある。しかし『老子道德經』の底本は、初次印、重印共に同本であって、影印本であるからにはどちらを使用しても変わりないはずであるが、実際には、僅かであるが字句に異同が存在する。重印時に無用な操作が施されたことが原因のようである。(p.25)

山城氏は、緒論の注(46)においてさらに詳しい説明を加えており、初次印と重印とで字が変えられている例として、第1章の「頑」が「頭」に変えられ、第15章の「米」が「采」に変えられ、第17章の「煩」が「須」に変えられている、と指摘しています(p.602)。

これを読み、急いで四部叢刊の初次印本と重印本を対照してみました。すると、確かに、第1章の「非常名」の河上公注の「外如愚頑」と初次印本にあるのに対し、重印本では、なんと「外如愚頭」に変えられているのです。山城氏がこれを「妄改」と評するのは、もっともなことです。

四部叢刊と言えば、善本の影印版の代表的なものであり、私も日常的に利用して裨益を受けていますが、残念ながら私の所有する台湾版も、重印本をさらにリプリントしたものですから、上記の「妄改」を免れていません。困ったものです。

なお、同じく山城氏の指摘によると、四部叢刊が重印を出した経緯については、商務印書館「印行四部叢刊啓例」(張静廬編『中国現代出版史料』甲編、巻4)に詳しい、とのことです(p.602)。

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