「無」と「無」


「無」とは何か?考え始めると、夜も眠ることができません。『老子』第40章にいう「天下之物、生於有、有生於無」とは、どういうことなのか?蜂屋邦夫先生の説明では「「有」は四十二章の「一」「二」「三」に相当し、「無」は「道」に相当する。「道」は形容のしようがないから「無」と言ったのであり、「無」は何もないことではない」(岩波文庫『老子』p.194)とします。道家思想のキーワード、「無」。なかなか難解です。

この「無」、意味のみならず、漢字自体にも問題を抱えています。

「亡」部の「無」
「亡」部の「無」

『説文解字』には、もちろん「の字が載っており、第十二篇下の「亡」部に「無」と「亡」を構成要素とする文字を載せ、次のようにいいます(この字は無理に楷書で示せば「𣠮」なのですが、便宜上、「」と色をつけて表記します)。

,亡也。从亡、無聲。
」とは、消えてなくなること。「亡」を要素とし、発音は「無」。

「亡を要素とし、発音は無」であるというのですから、「」以外に「無」がある道理です。はたして、その「無」は、第六上の「林」部に載っているのです。

「林」部の「無」
「林」部の「無」

無,豐也。从林、𡘲。𡘲,或説規模字。从大、𠦜。𠦜,數之積也;林者,木之多也。無與庶同意。『商書』曰:「庶草繁無」。

「無」とは豊かであること。「林」と「𡘲」とを要素とする。「𡘲」は一説によると、「規模」(の「模」と同じ)である、と。(𡘲は)「大」と「𠦜」とを要素とする。「𠦜」は数が多く積み重なっていることで、「林」とは木が多いこと。「無」と「庶」とは、(多いという)意味が同じである。『尚書』商書に「庶草繁無」とある。

段玉裁は、「無という字は、もともと草木が茂るという意味だったが、隸書で書くときに、有をこの(「亡」を含まない)無で代用するようになり、一方、草木が茂る方は、「廡」や「蕪」を用いるようになった」というようなことを言っています。

「無」は植物が多いことで、「」は人が逃げていなくなり、物がなくなること。二つの文字がともに「無」と書かれることに、不思議な感覚を抱きます。

【補】「無」の字を書道字典にて確認したところ、北魏時代(正光四年、523)の隷書に、「亡」部の「無」の篆文に忠実な例を見いだしました。「常季繁墓誌銘」。古文字から楷書にいたるまでの道のりは、決して一本道ではなかったことが分かります。

北魏の「無」字
北魏の「無」字
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「「無」と「無」」への2件のフィードバック

  1. 学退先生

    いつも興味深く拝見しております。Unicodeでの用字は難しい点が多々あると思いますが、形だけを見ると、以下が「無」字の候補になると思われます。

    第十二篇下「亡」部の「無」:𣠮 U+2382E
    第六上篇「林」部の「無」:𣞤 U+237A4

    Unihanでは、前者を「漢語大字典」第一版の補遺のみ、後者を「広韻」(上聲 九麌)のみ、その参照先としています。「康煕字典」「大漢和」等への参照がなく、両方を扱った字書がないようなので、これらを用いる根拠が何処にあるのかというのは難しそうですが。

  2. Hirshさま

    コメント頂戴しましてありがとうございます。Unicodeの転写が難しいことは、いろいろと教えていただいたおかげで、理解できてきましたが、「無」に関しては、(1)『説文』にある二つの異なる字が、慣習的に楷書として「無」と表記されうる。(2)ともに篆文と楷書(隸書)の乖離が大きい、などの理由で、ますます問題を難しくしているようです。

    「漢典」などで引くと、たいへんに混乱しています。また、辞典類などでも同様の混乱が生じているように思われます。

    電子的な検索ということを考えるなら、「無」を検索すると、「𣠮」「𣞤」「無」「无」がすべて表示されるのが望ましいように思われますが、いかがでしょうか。

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