「無」と「无」


「无」というのは、「」の簡体字。「」は画数が多いから、省略したのだろう。中国語を習いたてのころ、そう思っていました。

「无」
「无」

その理解があながち誤りというわけでもないのですが、『説文』を学ぶ以上、知る必要があるのは、「无」字がすでに『説文』(第十二篇下、「亡」部)に「」の「奇字」として載っていることです。

无,奇字也。通於元者,虛无道也。王育説:天屈西北爲无。

「无」とは、奇字の「」である。「元」に通じるもので(「元」の第二画を貫く形)、虚无の道である。王育の説では、天が西北に傾いているのを「无」という、とする。

「亡」部の「」と「无」との関係は、常識的に理解するなら、小篆と奇字の関係であり、形の相違に過ぎないのですが、段玉裁はさらに深読みをしてます。

『玉篇』に「无とは、虚无である」と言う。奇字の「无」と篆文の「」は、意味も少しだけ異なる。許慎は(「虚无の道である」と言って)「无」字の意味を説いているのであり、単に形の違いを言っているのではない。

『説文』では「亡」部の「」は「亡」と訓じられ、「亡」は「逃也」と訓じられますから、人や動物が逃げていなくなること。「虚无」、からっぽの「无」とは、意味が少し違う、と言うのでしょう。

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「「無」と「无」」への8件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                            2011年6月3日
    前略。
    ◎この「無」、意味のみならず、漢字自体にも問題。「無」と「無」。
    ◎単に形の違いを言っているのではない。「無」と「无」。

    お説の「意味」とは、漢字の義、「漢字自体」とは、漢字の形、と考えて宜しいでしょうか?
    さて、段氏は「許説其義、非僅説其形也」と言ったあと、「(王育)亦説其義、非説其形」と述べています。全体の続き具合から考えると、「許はその義を説いて、形については説いていない」、「王もまたその義を説くのみで、その形を説いていない」とはなりませんか?「単に形の違いを言っているのではない」というのならば、「不唯説其形也」とするように思いますが。「非僅」は、「ただ・・・だけではない」としか訓めませんか?
    先生ご推薦の陳鼓應氏『老子註譯及評介』第四十章、【註釋】〔四〕「無」には、

    和一章「『無』名天地之始」的「無」相同(參看一章註〔三〕)。但和二章「有無相生」與十一章「無之以爲用」的「無」不同。

    と書かれていました。「無」の字義には『老子』一書の中にも色々ある、ということでしょうか。「夜も眠ることができ」なくなります。戸川芳郎先生の「『無』とは何か」『漢代の学術と文化』(P.173~P.241)をあらためて見ましたら、『説文』は「撫」の引用のみで「無」、「亡」に就いては引かれていませんでした。
    最近、『老子』第43章「天下之至柔、馳騁天下之至堅」を興味深く読みました。成玄英は、「『至柔』、水也。『至堅』、金也。『馳騁』、是攻擊貫穿之義也。言水至柔能攻金石之堅」と注しています。まるで、津波の力を言っているようです。Wikiに「成玄英。631年(貞觀五年),被召至長安,封爲西華法師。647年參與翻譯《老子》爲梵文之事,過程中與玄奘辯論佛道義理,翻譯之事遂未成功」とありました。玄英と玄奘、火花の散るような議論だったのでしょうね。
    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  2. 藤田吉秋さま

    コメントくださいまして、どうもありがとうございます。先の一文で、「無」の字は「意味のみならず、漢字自体にも問題を抱えています」と申し上げましたが、この「意味」とは「義」と同じか、「漢字自体」とは「形」と同じか、というご確認です。「形/音/義」を広義で用いるとすると、同じになると思います。

    ただ、「形」というと、同字の間の異体関係を言うのが一般的かと思い、使用を避けた次第です。「義」というと、訓詁として提示できるような、あるいは辞書の義項として立てられるようなものを思い浮かべますし、『老子』の「無」のような解釈者や文脈によってどうとでもとることができるような詞に対して用いたくなかったので、曖昧に「意味」と申し上げた次第です。

    「許説其義、非僅説其形也」につきましては、私は自分の解釈で誤りないように思っております。段玉裁は「通於元者」を「形」に関する説明だと理解していた、と考えますので。ご検討ください。

    陳鼓応氏の訳注につきましては、確かに推薦しておりますが、内容が素晴らしいというよりは、現代中国語として読む時、通読に便利だろうと考えてのことです。『老子』のような性質のとらえどころのない書物は、これで十分と思えるような注なり訳なりは、永遠に現れないのではないでしょうか。懐疑的すぎるかもしれませんが。

    陳氏の第1章「無,名天地之始。有,名萬物之母」の句読は王安石に従うものですが、私自身としては「無名,天地(あるいは萬物)之始。有名,萬物之母」であろうと思っております。陳氏は、第1章と第40章の「無」を根源としてとらえ、第2章と第11章の「無」を存在の欠如としてとらえているようです。説としては一家を成していますが、これで一件落着とならないのが、『老子』の難しさ。「有生於無」は、いくら考えても分かりません。

    成玄英の解釈は、河上公注の「至柔者,水。至堅者,金石。水能貫堅入剛,无所不通」に似ていませんか。おっしゃるとおり、水のおそろしさも感じさせる一章です。成玄英の『老子』梵訳の件は、私も興味を持ちました。砂山稔氏は、「三論の学に長じそれを『道徳経』解釈に援用しようとしたこと、更に、玄奘のもたらした仏教の新知識には拒否的であったこと」を言っています(「成玄英の思想について」)。

  3. 古勝 隆一先生
                            2011年6月3日
    拝復。
    ◎段玉裁は「通於元者」を「形」に関する説明だと理解。

    段氏の「(蓋其義謂上通元始。)故其字形亦用元篆、上毌於一」というのは、許氏の「形」に関する説明ではなく、段氏が許氏の不足を補って説明したもの、と考えました。
    王育の説は他に、「禿」第8篇下、「女」第12篇下、「醫」第14篇下に有りました。この方、他に著作はあるんでしょうか?

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  4. 藤田吉秋さま

    コメントありがとうございます。王育の説は、そのくらいのようです。許慎の叙に「博采通人」とあるのに従って、説文学者が「通人」と読んでいる30人弱の一人のようです。馬叙倫『説文解字研究法』には「『説文』引通人説」の一章が立っており、「通人」の説が羅列してありますが、そのなかに王育の説も引かれていますが、詳しいことは分かりません。

    「非僅」についてのお考えは承りました。段注を読みつつ、考えてゆきたいと思います。

  5. 古勝 隆一先生
                            2011年6月3日
    拝復。
    ◎博采通人。

    『説文』第15巻上「博采通人」の段注、確認いたしました。ご教示に対し、深謝申し上げます。

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  6. 藤田吉秋さま

    ご連絡ありがとうございます。個人的な思い出としましては、学生時代、戸川先生にはじめて教えていただいた文章が、『説文』の叙でした。先日、戸川先生にお目にかかった際、そのことを申し上げましたら、すっかりお忘れのご様子でしたが、私にとっては思い出深く、後々まで影響のある読書体験となっております。 古勝隆一

  7. 古勝 隆一先生
                            2011年6月4日
    ◎段玉裁は「通於元者」を「形」に関する説明だと理解していた。「許説其義、非僅説其形也」。

    「非僅」を全部否定とするのは無理ですね。失礼しました。

    『説文』第1篇上「元」の段注。
    凡文字有義有形有音。『爾雅』已下、義書也。『聲類』已下、音書也。
    『説文』、形書也。凡篆一字、先訓其義。若始也、顚也是。次釋其形。若从某、某聲是。次釋其音。若某聲及讀若某是。合三者以完一篆。故曰形書也。

    『説文』は、形書である、と。先生のお説、納得いたしました。

    ◎学生時代、戸川先生にはじめて教えていただいた文章が、『説文』の叙。

    倉石先生、頼先生・戸川先生という学統を継承されていることに羨望の念を禁じ得ません。

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  8. 藤田吉秋さま

    ありがとうございます。倉石先生にさかのぼる流れを絶やさないよう、がんばります。院生のころは、高橋均先生に一篇下、くさかんむりのところを教わっていた時、先生が「倉石先生の授業のノート」を取り出されていたことを思い出しました。

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