三体石経、「無」の古文


三体石経の「無」
三体石経の「無」

三体石経とは、三国時代、魏の正始年間(240-249)に立てられた「石製の儒教経典」です。三字石経・魏石経・正始石経とも呼ばれます。『尚書』『春秋』『左伝』の、三つの経典が刻されました。それぞれの文字を、古文・篆文・隷書の三つの書体により書き分けている点に特徴があります。古文字の史料としてもたいへんに貴重なものです。

もともとは洛陽の太学の前に立てられましたが、後にだんだんと失われてしまいました。現在では、部分的に残石が存在するばかりですが、孫海波編『魏三字石経集録』(台湾藝文印書館、1975)にて、その一部の拓本を見ることができます。

「無」字に関しては、幸いなことに、『尚書』無逸篇の「亂罰罪、殺辜」部分の二か所の「無」字の拓本が残存していました。それによると、「無」の古文・篆文・隷書の関係は、以下のようになっています。

  • 古文は「亡」の篆文と似た形。
  • 篆文は「𣠮」(『説文』亡部の「無」)。
  • 隷書は「無」。

『説文』では、「亡」と「𣠮」とを異なる字としていますが、三体石経では同じ字と考えていた可能性もあります。もしそうであるとすると、石経の本文を定めた学者が、問題の字の発音をどう考えていたのか、気になるところです。「亡」は段玉裁の10部で、「𣠮」は5部。

「亡/𣠮」の関係は、もちろん、「明母(*m-)の双声」、「だから音が近いので通ずる」と理解してすませることはできますが、それを主張するためには、三体石経の残存部分全体に検討を加え、「三体石経における用字の規範意識」を論ずる必要があるでしょう。

あるいは石経の本文を定めた学者は、古文には「𣠮」(『説文』亡部の「無」)に相当する字が存在しないため、やむを得ざる処置として、異なる字であることを知りながら「亡」によって空白を埋めたものかも知れません。

「無」。ますますもって、謎の多い文字です。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中