易州龍興観『老子』の无と無


龍興観碑の无
龍興観碑の无

六朝時代、儒教経典のうち、『易』のみは(「無」ではなく)「无」の字を用いた、とのこと、すでに紹介いたしました。

『老子』において「無」は核心的な概念ですが、では、その用字法はどのようになっているのでしょうか。

唐代の『老子』の例として、景龍2年(708)、易州(今の河北省保定)の龍興観という道観(道教寺院)に立てられた石のテクスト、「景龍二年易州龍興観道德經碑」を挙げることができます。この碑の本文は無注本ではあるものの、河上公注本に属する本文を持つと言われており、朱謙之『老子校釈』(中華書局、1963)の底本にもなっています。

この碑は「道経」(『老子』の第1章から第37章まで)を石の表(碑陽と呼びます)に刻し、「徳経」(同、第38章から第81章まで)を裏(碑陰と呼びます)に刻しています。

「無」に着目してその拓本を見ると、奇妙なことに、「道経」についてはすべて「无」字を用い、「徳経」については、途中(64章)までは「無」字を用い、69章より後は「无」字を用いてあります。

『説文』によれば、「无」は「虛无の道」であるとのこと。「無」よりもさらに奥深そうな雰囲気です。「道経」は、「徳経」に比してもなお根源的である、とする立場に拠り、特に「无」字を用いたのかも知れません(「徳経」の69章より後の部分になぜ「无」を用いたのかについては、別途、考察が必要ですが)。

「景龍二年易州龍興観道德經碑」が『老子』テクスト中の善本であることは確かでありますが、このような「遊び心」があったり、また、字句も他の本と比べて相当に個性的です。それゆえ、『老子校釈』を利用する際には、他本への配慮が必要でしょう。

朱謙之の『老子校釈』では、「無/无」の使い分けについても、底本である「景龍二年易州龍興観道德經碑」を忠実に再現しています。つまり、第1章から第37章まで、そして第69章から第80章の各章には、「无」が用いられ、第38章から第64章までの各章には「無」が用いられています。同書をお持ちの方は、ご確認ください。

『老子校釈』では、第1章「无名」に注して魏稼孫と言う人の説を引いて、「景龍二年易州龍興観道德經碑」の「道経」部分はすべて「无」に作り、「徳経」部分の前半は「無」に、「行无行」(69章)より後はまた「无」に作る旨、すでに述べています。

【補1】この「景龍二年易州龍興観道德經碑」を含め、多くの石刻資料を、京都大学人文科学研究所のサイトからご覧いただくことができます。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/t_menu.html

もちろん、人文研の所有している拓本に限られますが、どこにいても石刻を確認することができるのは便利なものです。閲覧には、DjVuのプラグインが必要です。

【補2】この一文を書いた当初、魏稼孫の説(魏錫曾「校易州龍興観道德經碑及道德經幢殘」)を見落としており、しかも、第69章以後に「景龍二年易州龍興観道德經碑」が「无」字を用いた事実も見逃しており、読者の皆様にご迷惑をおかけしました。伏してお詫び申し上げます。

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「易州龍興観『老子』の无と無」への6件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                            2011年6月7日
    前略。
    ◎「道経に無字なく徳経に无字なし」。

    銭大昕『潜研堂金石文跋尾』には、もう一つ「道德經景福二年(893)孟秋」が著録されていて、こちらも「分兩面刻之」と記されています。人文研所蔵の拓本(TOU1668X)は、碑陽のみでしょうか?島邦男先生の『老子校正』を見る限りでは、景福碑は景龍碑と違って、「道経無無字、徳経無无字」とはなっていないようです。それから、開元26年(738)の「御注道德經」は「石幡凡八面」となっています。以上3碑、現在の存否如何?

    ◎「道経」は、「徳経」に比してもなお根源的である、とする立場に拠る。

    もし「無」、「无」の使い分けが先生のお説に結び付くならば、前人未発の卓見と拝察申し上げます。果たして、『論語』の上論・下論のような違いがあるのでしょうか?

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  2. 藤田吉秋さま

    どうもありがとうございます。

    人文研の景福碑拓本についていうと、TOU1668X「道徳經碑」が景福碑の碑陽、TOU1667A「易州龍興観景福碑(一)」、TOU1667B「易州龍興観景福碑(二)」が碑陰、そしてTOU1667C「易州龍興観景福碑(三)」が碑側という関係です。

    おっしゃるとおり、景福碑では、「無」「无」を混用しているようです。

    朱謙之によると、1954年時点においては、開元26年の御注本も含め、三つの碑とも河北省易県に立っていたということです。いつか出向いて確認したいものです。

    さて、「景龍二年易州龍興観道德經碑」における「无」と「無」の使い分けについては、すでに魏稼孫という人が指摘されており、朱謙之もそれを引いていました。確認が不十分で申し訳ございません。しかも、記事も訂正いたします。

    「无/無」の使い分けの意図に関しましても、立論が怪しくなってきました。もし証拠立てることが可能のようでしたら、また、こちらに書かせていただきます。

    いろいろとご迷惑をおかけしました。夜中に書いているとだめです。

  3. 古勝 隆一先生
                            2011年6月7日
    拝復。
    ◎「易州龍興観景福碑」。

    これが『老子』ですか。よく分かりました。
    なお、「TOU1655X・老子徳經(河上光三章)三娘等建」とありますが、「河上光」は「河上公」では?
    それから、「TOU0001X・武徳6年(623)6月5日(葬)」の「(葬)」とは何でしょうか?こんなことお尋ねして申し訳ありません。

    ◎朱謙之著『老子校釈』所拠版本書目(一)石本

    「今在河北易県」。確認しました。

    ◎魏稼孫。

    『魏稼孫全集』・『績語堂碑録不分卷』。人文研には何でも有るのですね。

    ◎銭氏も、この碑における「无」と「無」の使い分けについては言っていない。

    先生に申し上げるのは釈尊に説法ですがお許し下さい。
    銭氏(1728~1804)に「老子新解序」という文章があり(『文集』巻25)、「今讀未齋先生『新解』、何其先得我心也」と記されています。この「未齋先生」は、戴祖啓(1725~1783)という人だそうで、同じく銭氏の「國子監學正戴先生墓誌銘」には(『文集』巻46)、

    乾隆四十有八年三月十四日、國子監學正上元戴先生卒。春秋五十有九。嗚呼先生、今之經師也。往歲壬午與族人東原同擧于郷。一時有二戴之目。予與東原交最久。東原歿後、始得交先生。而意氣相投、猶東原也。

    と記されていました。戴震(1723~1777)と並んで「二戴」とは相当な方でしょうが、『老子新解』なる書物は、「全國漢籍データベース」には有りません。既に佚してしまったのでしょうか?また、「墓誌銘」には「未齋」が「未堂」になっていました。

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  4. 藤田吉秋さま

    戴祖啓『老子新解』をご教示くださいまして、まことにありがとうございます。試みに嚴靈峯『周秦漢魏諸子知見書目』(巻1)を確認してみたところ、「未斎」を周済という人の号と取り違えていました。

    『老子新解』につきましては、手持ちの『尚書協異』の影印本を見たところ、戴祖啓の『戴未堂経説』という叢書に朱珪がつけた序が載っており、それに「越四年、癸卯(1783)厭世。其子衍善録君所著経子四種、命其弟衍士持来皖、以示予」とあり、その四種のうちの一つとして『老子新解』の名が見えています。朱珪が『経説』として出版した時には、経ならざる『老子』は落とされたのでしょうか。

    『越縵堂読書記』巻11にも『戴氏経説』として見えますが(同治辛未9月29日の記事)、李慈銘の見た『経説』にも『老子新解』はなかったそうです。

    ちなみに、朱珪は『戴氏経説』に対し、「蓋老書生穿穴衆説而自標其所得以成一家言、不必競是非於前賢、而自有不可没者也」と言っておりまして、かなり低い評価であり、銭大昕の評とはかなりの隔たりがあるように思われます。

    写本などで伝わっているかも知れませんので、また調べておきたいと思います。

  5. 古勝 隆一先生
                            2011年6月7日
    拝復。
     ご丁寧にお教え頂き恐縮いたします。

    ◎「所著経子四種」。

    人文研ご所蔵の『上元戴氏所著書』は、

    尚書協異二卷
    尚書涉傳四卷
    春秋五測三卷
    師華山房文集五卷 末一卷

    となっていました。「墓誌銘」には、

    尚書協異
    尚書涉傳
    春秋四測
    老子新解各若于卷・文集又若干卷

    となっています。「四」は「五」の誤り。『上元戴氏所著書』と『戴未堂経説』とは同じですか。『老子新解』が落とされたとしたら残念です。それにしても、銭氏に序まで書いて貰って落とすでしょうか。

    ◎「かなり低い評価」。

    「二戴之目」は褒め過ぎかも知れませんが、「自有不可没者也」とあるので救われます。

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  6. 藤田吉秋さま

    人文研にあるのに、気づかず、お恥ずかしい限りです。しっかり見ておきまず。特に、『師華山房文集』に面白い内容がありましたら、お知らせします。

    全国漢籍データベースも、「戴祖啓」が「戴祖敬」と誤っていますね。さっそく、訂正しておきます。ご教示、ありがとうございました。

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