肉と野菜のスープ


2400年前のスープが入っていた鼎
2400年前のスープが入っていた鼎

読者の方からのお求めに応じ、『説文解字』第1篇下、「艸部」の「芼」字、段玉裁注の解釈を試みます。ちょうど、「艸部」の段注を読んでいたところでしたし、また、『周礼』にも関心を持ち始めていたので、もってこいの話題です。

『説文』に「芼,艸覆蔓。从艸,毛聲。《詩》曰:「左右芼之」」と。その段注に集約された、経学上の問題が焦点です。

段玉裁は、次のように言います。師の戴震(1724-1777)の『毛鄭詩考正』をながながと引用するのに目を引かれます。

 《毛鄭詩考正》曰:「芼,菜之烹於肉湇者也。禮:羹、芼、菹、醢,凡四物,肉謂之羹、菜謂之芼、肉謂之醢、菜謂之菹。菹、醢生爲之,是爲醢人豆實。芼則湇烹之,與羹相從,實諸鉶。《儀禮》:「鉶芼,牛藿、羊苦、豕薇」;(《禮記》昏義)「牲用魚,芼之以蘋藻」;「内則」:「雉、兔,皆有芼」,是也。孔沖遠疑四豆之實無荇,不知《詩》明言芼,非菹也」。

玉裁按:芼字本義是艸覆蔓,故從艸毛,會意。因之《爾雅》曰「搴也」,毛公曰「擇也」,皆於從毛得解。搴之而擇之,而以爲菜釀,義實相成。《詩》禮本無不合。

あえて上に引いた段注を訳出することはしませんが(後の文章を読んでいただければ、大体の意味は分かっていただけるはずです)、ただ、この議論を理解するためには、『説文』に引かれた『詩経』周南、「関雎」の詩の「左右芼之」の一句が経学上、熱い関心を集めたことを知る必要があるでしょう。

「參差荇菜、左右芼之」。「高く低くふぞろいに生えたアサザ」、それをいったい、どうするというのでしょうか?戴震の説を核心として、諸家の解釈を意訳します(お手数ですが、原文は皆さんご確認ください)。

【毛公】「芼」というのは、「選び取る」こと。

【鄭玄】天子のキサキは、お供え物に用いるアサザを摘み終えたが、必ずキサキを支える女官がいて助け(「左右」というのは助ける、ということ)、よいアサザを選び取ってくれる、という意味。

【孔穎達】アサザを摘むのはむろん、供え物とするためだが、『周礼』天官の醢人(祭祀に供える発酵食品を掌る)の「4種のタカツキ(四豆)」の供え物の中にはアサザがない。『周礼』のこの箇所には殷の礼を用いているが、一方この「關雎」の詩は周初の事実を書いたから、アサザが見えるのだ。

【戴震】「芼」の意味には、いろいろと説があって、「抜き取る」説(『爾雅』とその注釈)や、「煮てお供え物にする」説(呂祖謙 『讀詩記』引董氏)などがあるが、どれも「芼」の字をながめて訓詁を生み出したにすぎない。

そうではなく、「芼」とは、野菜を動物性のスープで煮ることなのだ。なんとなれば、礼には羹・芼・菹・醢の四つの供え物があるが、このうち、動物性のスープを羹といい、植物を加えたスープを芼という。動物性の発酵食品を醢といい、植物性の発酵食品を菹という。発酵食品(菹・醢)は「豆」と呼ばれる種類のタカツキに盛る。一方、羹・芼はスープなのだから、タカツキなんかには盛らず、「鉶」と呼ばれる蓋付きの鼎に入れて供えるのだ。つまり、「食器から見る視点」が重要なのだ。

ところが、この道理が分からぬ者がいる。孔穎達だ。『周礼』天官の醢人の「4種のタカツキ」に盛る供え物の中にアサザが含まれないからといって、「『周礼』は殷の礼を用いているが、一方この「關雎」の詩は周初の事実を書いたから、アサザが見える」などと言っている。「植物を加えたスープ」という「芼」の字義を見落としたが故に、『詩経』で明瞭に「芼(野菜入りスープ)」と言っており「菹(野菜の発酵食品)」とは言っていない、という点に、孔穎達は気づかなかったのだ。アサザをてっきり発酵食品に加工する食材と思い込み、スープにするとは思い至らなかったわけだ。

『儀礼』公食大夫礼に「鉶に入れる野菜入りスープは、牛肉と豆の葉スープ、羊肉と苦菜スープ、豚肉とカラスノエンドウのスープ」とあり、『礼記』昏義に「供え物には魚を用い、水草と一緒にスープにする」とあり、『礼記』内則に「雉と兔は、いずれも野菜とともにスープにする」などとある(、それらにすべて「芼」と言っている)のは、どれも「芼」が野菜入りスープである証拠だ。

【段玉裁】「芼」の本義は草が地面を覆って生えている、ということだから、クサカンムリと「毛」との会意だ。『爾雅』の「引き抜く」や毛公の「選び取る」などの説は、いずれも「毛」から生じた解釈だろう。たくさん生えている草を引き抜いて選び取り、その野菜で和えるというわけで、この「芼」字の字義が完成するのだ。どの解釈を欠いても「芼」の全体像は結ばれない。『詩経』と礼は、そもそも義が合しないわけがないのだ。

戴震は、礼学に基づいて、『詩経』解釈史から生まれた「選び取る」などといった「芼」字の理解をはっきりと否定します。歴代の詩経学との対立はきわめて明確です。『爾雅』さえも否定するのです。

一方、戴震の弟子である段玉裁は、『詩経』の解釈史と、「過激派」戴震の説とを、なんと調和させてしまっています。「『詩経』と礼学とは、そもそも矛盾はしない(《詩》禮本無不合)」とは、実は、「『詩経』の解釈学と礼学とは矛盾しない」という主張であり、苦し紛れともいうべき着地点です。師匠の説と歴代の学説を折衷する必要があったのでしょう。段氏は『説文解字注』において『爾雅』をおおむね否定しない立場を取っており、戴氏の態度とはおのずから異なるのです。

さて、戴震が孔沖遠、すなわち孔穎達を否定したこと、上述の通りですが、それではなぜ孔穎達『毛詩正義』は「『周礼』天官の醢人」にこだわったのか?それにはわけがあります。

『詩経』関雎の「參差荇菜、左右流之」に対する鄭玄の「箋」に「言后妃將共荇菜之葅、必有助而求之者」とあるのです。鄭玄がすでに「參差荇菜」は「葅」に用いるものだと言っている以上、「葅(菹)」、発酵食品、は『周礼』醢人の管轄です。つまり孔穎達は、鄭玄の示した方向に従ったにすぎません。そうだとすると、戴震の孔穎達批判とは、その実、鄭玄に向けられたものであること、疑いを容れません。それをことさら孔穎達のせいにするのは、中正を失したものというべきでしょう。

今回は、経学上、相当に入り組んだ話題を取り上げましたが、それにしても、「学退筆談」のような零細ブログであっても、楽しみにしてくださる読者、期待してくださる読者がいらっしゃる、というのは、大変な励みになります。今後とも、大いにご意見をお寄せください。

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出土文字資料と歴史


8年ほど前に出版された書物を読みました。福田哲之氏『文字の発見が歴史をゆるがす』(二玄社、2003年)。

  • 古代“殷”王朝は実在した―甲骨文
  • 殷周革命の証人―西周金文・利𣪘
  • 孔子が予言したお家騒動の顚末―侯馬盟書
  • 修正を迫られる儒教史の通説―郭店楚簡・上海博物館蔵戦国楚竹書
  • 始皇帝時代の法律マニュアル―睡虎地秦墓竹簡
  • よみがえる漢代学術の世界―馬王堆漢墓帛書
  • 失われた『孫子』の発見―銀雀山漢墓竹簡
  • 三国志の時代に芽生えた楷書の肉声―走馬楼三国呉簡
  • 書聖“王羲之”の書の真相をもとめて―楼蘭出土文書
  • 唐代人が手習いした王羲之の実態―吐魯番出土文書

20世紀初頭以来、中国ではおびただしい資料が地下から出土し、「伝世資料」の対立概念として「出土資料」と呼ばれ、一貫して学界の関心をあつめてきました。本書では「出土資料」のなかの文字資料である、「出土文字資料」が、特に20世紀の発見について紹介されています。殷の甲骨文から唐代の手習いまでが網羅されており、一通り、中国の出土文字資料についての知識を得ることができるよう、配慮されています。

周到にまとめられており、図版も豊富で、しかもコラムまで用意されていて、たいへんに充実しています。お一人で執筆なさっていることにも驚かされます。中国から発見された唐代以前の出土文字資料の手引きとして、どなたにもお薦めできる内容です。私も多くのことを学びました。

ただし本書のタイトルについて、違和感を覚えました。「文字の発見が歴史をゆるがす」というのですが、読後感として「文字の発見は、本当に歴史を揺るがすのだろうか?」という疑問が浮かんだのです。

本書で挙げられている例で言えば、呉大澂(1835-1902)という学者は、「”文”字説」という考証文を書いて、『尚書』大誥の「寧王」とは、実は「文」の古文字を後世の学者が「寧」と読み間違えたものであった、と、非伝世文献をもとに証明しています。偉大な発見であり、その結論は疑い得ないでしょう。

その上であえて問います。「この発見により、歴史は揺らいだのだろうか?」確かに、『尚書』大誥を西周時代の史実を伝える「歴史資料」としてあつかうならば、西周の歴史は修正を受けるはずです。

しかしそれとは別に、『尚書』解釈の歴史はどうなるのでしょうか。歴代の多くの学者が、事実誤認ではありながら、「寧王」だと信じて解釈をしてきたこと、これもまた歴史上の事実です。この歴史事実が揺らぐことはないでしょう。

たとえて言うなら、ある宗教における信仰が何らかの誤謬にもとづくものであったことが証明されたとしても、「その宗教が信仰された」という事実、あるいは「その宗教ではかくかくしかじかの文化が醸成された」というような歴史上の事実はいささかも変わらないのと同じです。

ある出土文字資料が発見されたとして、その出土文字資料が書かれた時代の前後の歴史には修正が加えられるかも知れません。しかしそれよりも後の時代の歴史は、まったく揺るがないのではないか。私はそのように考えます。

「歴史をゆるがす」という言葉が、私にとって少し刺激的すぎただけかもしれませんが、「歴史はなかなか揺るがない」という私の感覚は落ち着いたものであるようです。中国の伝世文献には、どっしりとした安定感があります。

その一方で、今後とも多くの文物が出土することを大いに期待しています。優れた文物に触れることは、その文化に対する感覚を最もよく涵養する、とも信じているからです。本書は、日本の読者の眼をそのような出土資料に向けさせる、優れた手引きであると思います。

周公と泰西


孫詒譲(1848-1908)、あざなは仲容、号は籀廎、浙江省瑞安の人。『周礼正義』86巻という著作により大いなる名声を誇る学者であり、あえて紹介するまでもないかもしれません。

その『周礼正義』は、『周礼』を読むには不可欠の注釈とされており、王文錦・陳玉霞両氏の点校を経て、中華書局の「十三経清人注疏」にも収録され(中華書局、1987年)、今なお多くの学者の敬意を集めています。

ただ、標点本で14冊という分量の問題もあり、本書を読んでみようという気にはこれまでなかなかならず、必要になるたびにその一部を拾い読みするだけですませてきました。先日も必要があって、「春官」の一部を読んだのですが、いつもと違って何故か、さらに読んでみたくなり、引き込まれるように序・凡例・天官の序官(巻1)を読みました。

孫詒譲はなぜ『周礼正義』を書いたのか?これまで考えたこともありませんでした。しかし、孫氏の自序を読み、『周礼』という経典に寄せるその思いを知りました。周公が作ったという「周の礼」たる『周礼』、この書物には、「政」(政治)と「教」(教え)の二つが備わっている、と孫氏は言います。上古の聖人に対する並々ならぬ尊崇が本書執筆の動機になったのはもちろん、中国(序文が書かれたのは1894年)が再び『周礼』の精神を取り戻して輝くこと、そのような期待が本書には込められているのです。

「政」と「教」とが完備した世こそが、栄える。そのように考える孫氏の眼は、周公の治世のみに固定されているのではありません。19世紀のヨーロッパの繁栄も、『周礼』に反映されたのと同様の「政教」の充実によるものだ、孫氏はそのように考えました。

今泰西之強國,其為治,非嘗稽覈於周公、成王之典法也,而其所為政教者,務博議而廣學,以臮通道路,嚴追胥,化土物卝之屬,咸與此經冥符而遙契。蓋政教修明,則以致富強,若操左契,固寰宇之通理,放之四海而皆準者,此又古政教必可行於今者之明效大驗也。
現在、ヨーロッパの強国が政治を行う際、周公と成王の定めを考究したわけではないが、かの国々が行っている「政」「教」は、十分に議論して広く学ぶことに務めており、さらに、交通を発達させ(『周礼』の春官司險、夏官合方氏、秋官野廬氏に相当、以下同じ)、盗賊を厳しく取り締まり(秋官士師、脩閭氏)、土壌改良したり(地官草人)金属の特性を吟味したりする(地官卝人)など、みなこの『周礼』と冥合して地を隔てて合致しているのである。考えるに、「政」「教」が修められて明らかになれば、それによって富強を実現できる。割り符の片方を手に取っておれば、そもそも全世界に通じる道理なのであって、世界中に通用させてみなが従うわけであり、このことも、いにしえの「政」「教」が必ず現在にも行いうることの、明らかで大いなる証拠である。(「周礼正義序」より)

後ろ向きで固陋、しかも卑屈な学者たちは、昔も今も、中国にも日本にもたくさんいますが、私はそういう態度を好みません。孫氏が眼を向ける方向は、彼らとはまさに反対です。経典にもとづく未来を信じる孫氏の姿勢は、少なくとも、大いに私を励ましたのです。