東洋文庫蔵古抄本『史記』夏本紀


国宝『史記』
東洋文庫蔵、国宝『史記』

東洋文庫ミュージアムは、2011年10月20日にオープンしたばかりの美術館で、東洋文庫の至宝を観覧者に供しています。「国宝の間」がしつらえられ、国宝の古抄本『史記』が出陳されているというので、参観してきました。

しかし、せっかく実物を拝見するのですから、その前に少し勉強しました。「財団法人東洋文庫所蔵 岩崎文庫善本画像データベース」から大いなる益を受けました。そこから、この抄本の書誌を転載いたします。

【書名】史記一百三十巻 存夏本紀第二、秦本紀第五

【編著者】漢司馬遷撰 劉宋裴駰集解

【書写事項】天養二年(1145)鈔本(二巻別筆)

【巻冊】巻子二軸

【書誌事項】原装表紙、改装縹色唐紙銀二重菱花卉文表紙、紫檀丸軸、本文楮交斐紙 原表紙28.1㎝×12.0㎝(天地截落あり)裏書「史記二 乙九十六箱」、後補表紙書題簽「史記 夏本紀」 1紙28.5×51.0㎝全17紙(全長779㎝)烏糸単辺界高21.9〜22.0㎝ 有界毎紙21行毎行18〜19字内外 〔鎌倉初期〕朱筆ヲコト点(古紀伝点)、〔鎌倉初期〕墨筆返点・片仮名・四声点、〔南北朝〕別墨筆返点 印記「高山寺」

【解題】本書は、『高山寺聖教目録(建長目録)』(鎌倉中期写)の第九十六乙箱に「史記十二巻 史記十巻不具」と記されている何れかの原本である高山寺旧蔵本である。(『岩崎文庫貴重書解題Ⅳ』p.72)]

【請求記号】一〇-999

この「岩崎文庫善本画像データベース」はたいへんにありがたいもので、書誌のみならず、本全体の画像をも公開してくださっています。古抄本『史記』(夏本紀第二、秦本紀第五)については、109枚の画像がありましたので、すべてダウンロードさせてもらいました。

ところが、この画像は少し混乱していました。半日ほどの時間を費やし、自分で整理してみたところ、「夏本紀」の部分に大きな欠落があることに気がつきました。それは、『史記』の正文で言うと、以下の部分です。

田下上,賦下中三錯。貢璆、鐵、銀、鏤、砮、磬,熊、羆、狐、貍、織皮。西傾因桓是來,浮于潛,踰于沔,入于渭,亂于河。黑水西河惟雍州:弱水既西,涇屬渭汭。漆、沮既從,去邠度漆、沮,即此二水。」灃水所同。 荊、岐已旅,終南、敦物至于鳥鼠。原隰厎績,至于都野。三危既度,三苗大序。其土黃壤。田上上,賦中下。貢璆、琳、琅玕。浮于積石,至于龍門西河,會于渭汭。織皮昆侖、析支、渠搜,西戎即序。道九山:汧及岐至于荊山,踰于河;壺口、雷首至于太嶽;砥柱、析城 至于王屋;太行、常山至于碣石,入于海;西傾、朱圉、鳥鼠至于太華;熊 耳、外方、桐柏至于負尾;道嶓冢,至于荊山;內方至于大別;汶山之陽至衡 山,過九江,至于敷淺原。道九川:弱水至於合黎,餘波入于流沙。道黑水,至于三危,入于南海。道河積石,至于龍門,南至華陰,

以上の知識を基に、美術館に赴いて本を参観したところ、写真が欠けていた部分についても、本文は確かに備わっていることを知ることができました。いずれ写真を補っていただければ、完全な資料を電子的に見ることができます。将来の補訂を待ちましょう。

「高山寺」の朱印から知られるように、この『史記』はもと京都栂尾(とがのお)の高山寺に伝わっていたものです。しかしこの東洋文庫本以外に、高山寺には今なお「殷本紀第三」「周本紀第四」の2巻が伝えられています。これは高山寺典籍文書綜合調査團編『高山寺古訓點資料』第1(東京大學出版會,1980年)に影印ならびに翻刻が見えます。

東洋文庫のものと併せて4巻あり、これらが同じ時期に高山寺に蔵されていたものであることは間違いないでしょうが、書写された時期が一致しない可能性もあり、互いにどういう関係にあるのか、興味があります。

それ以外にも、この宝物をじっくりと拝見し、いろいろと問いが湧いてきましたので、いずれ考えがまとまれば、書いてみたいものです。 東洋文庫蔵の国宝、古抄本『史記』夏本紀の全文を拝見することができた幸せは何物にもかえがたく、幸せに思いました。

『漢書』藝文志PDF


私の勤務する人文研の東アジア人文情報学研究センターでは、毎年、秋に、漢籍の整理に当たる図書館職員を対象として、「漢籍担当職員講習会」を開催しています。以下、公式サイトより。

センターでは、東洋学文献センターだった1972年以降、文部科学省(旧文部省)との共催により、漢籍整理に攜わる図書館職員等を対象に漢籍担当職員講習会(期間は1週間)を実施してきた。

当初は毎年1回、漢籍整理実習を含んだ初級、もしくは講義のみの中級をおこなってきたが、1980年代より、漢字・漢籍の電算処理に関する講習会を新設して年2回の開催とした。

さらに、漢字情報研究センターに改組後、2002年からは両者を統合発展させる形で、カード作成にデータ入力を加えた漢籍整理実習をおこなう新しいタイプの初級・中級に衣替えして、毎年10月に初級、11月に中級を開催している。

私も助手のころ以来、何度もこの講習会の講師を担当してきました。図書館職員の方に漢籍についての知識を深めていただくのは、重要なことだと思っています。

漢籍を取り扱う場合、目録学が必要であることは、このブログでも何度も繰り返していますが、私の基本的な立場は、「まず、『漢書』藝文志を理解してください」ということです。これにつきます。もちろん、漢籍講習会でも、必ずこの点を強調しています。

しかし、『漢書』藝文志を簡単に見られない環境にいる人もあります。そこで、『漢書』藝文志に著録されている書物を一覧表にしました。この表は、漢籍を取り扱う図書館職員にかぎらず、漢籍を読む人にも役立つかと思いますので、ここに配布いたします。ご自由にお使いください。以下のリンクをクリックしてダウンロードしてください(漢書藝文志v1.0)。

一応、校正したつもりですが、問題があるかも知れません。その時は、ご一報くださると幸いです。適時、訂正いたします。

なお、以前、嘉瀬達男先生(小樽商科大学)・内山直樹先生(千葉大学)と協力して翻訳した、余嘉錫『古書通例』(平凡社、東洋文庫、2008年)は、『漢書』藝文志を読み解く最高の手引きです。『古書通例』を読む際にも、このPDFがお役に立つのではないでしょうか。

『漢書』藝文志PDF の続きを読む

逆説の書


三島由紀夫(1925-1970)は『葉隠』という書物に、傾倒、依存しました。その理由を率直に語った、『葉隠入門』を久々に読みました。以前、これを読んだのは高校生のころであり、当時、その情熱にこそ圧倒されはしたものの、十分には理解できなかったように思います。近頃読み返してみると、彼の知性に驚きました。書物の読み方など、並の学者以上だと思います。

「葉隠」は前にもいったように、あくまでも逆説的な本である。「葉隠」が黒といっているときには、かならずそのうしろに白があるのだ。「葉隠」が「花が赤い。」というときには、「花は白い。」という世論があるのだ。「葉隠」が「こうしてはならない。」というときには、あえてそうしている世相があるのだ。(『葉隠入門』一「現代に生きる「葉隠」」)

世の読者は、あらゆる書物を「額面通り」に受け取りがちです。もちろん、そのように素直に読むべき書物が多いのですが、しかし、素直に読んでは理解できない書物もまた存在します。たとえば『荘子』がそれです。敬首和尚が「『莊子』の書は、諸事をさかさまに云なり。…。文のままには其義通ぜず」というとおりでしょう。

『荘子』の場合、まず世相や人間そのものに対する強烈な違和感があり、そして世相や人間に対する批判が形成されています。しかし、その批判をそのままぶつけるのではなく、「寓言十九、重言十七、巵言日出、和以天倪」(寓言篇)というように、一見、親しみやすいような文章として表現するのです。

読者は、その親しみやすい文章を親しみつつ読むわけです。そうすると、あるとき、「おや?」と疑問を持つ瞬間が訪れる。その疑問は、すなわち「逆説」「さかさま」が引き起こすものでしょう。それをかみ砕いていくと、まず、どうやら「文のまま」に受け取ってはならないのだな、と気づき、さらに進んで、「『荘子』による批判」の正体、そして「『荘子』の抱いていた違和感」へと行き着く、という算段です。

『荘子』がすべてそのように書かれているわけではありませんが、『荘子』という書物を貫く基本的なトーンはそのようなものであろうと思います。

それを応用したのが、私の敬愛する韓愈であり、これまた敬首和尚が「韓文は源(みなも)と『莊子』を祖として悟入す」と言ったのは、炯眼を具備した人ならでは、というところです。多くの人がこのような韓愈の読み方を知らないようなので、以前、「韓愈の排仏論と師道論」(麥谷邦夫編『三教交渉論叢』京都大学人文科学研究所、二〇〇五年)という論文を書いたこともあります。

三島が紹介した『葉隠』は、対談の記録という性質もあり、もちろん、『荘子』や韓文のように練りに練られた表現とは異質です。しかし、同様に世相や人間に対する強い批判の眼が存在しており、「常識やそれに基づく推論と、『葉隠』が説くことが矛盾する」「それに対する気づきを読者に促している」という点において、確かに『葉隠』は逆説の書と言えそうです。

これ以外にも、三島の読書力、すなわち書物を通じた洞察力には驚くことが多々ありました。いずれ、ご紹介したいものです。

四庫提要のこと


今から十年ほど前のこと、「訪問學者」として、台湾の中央研究院の歴史語言研究所のお世話になりました。十ヶ月ほどの滞在でしたが、とにかく何もかもが新鮮で、多くの収穫を得ました。毎日、先学や友人たちを訪れ、200枚持参した名刺を早々に配り終えたほどです。日本では不活潑な自分が、どうしてあれほど外向的であったのか、今もって不思議な気がします。

さて、台湾を旅行なさる方は、皆さん故宮博物院に行かれますが、私も滞在中はよく故宮博物院を訪れたものです。ほぼ毎週、中央研究院のある南港から内湖を通るバスに揺られて通いました。もちろん、有名な清の宮廷由来の宝物も参観しましたが、私の真の目当ては、その敷地内にある図書館、故宮博物院圖書文獻館でした。この図書館は、文淵閣四庫全書をはじめとする大陸からわたってきた貴重書を蔵しています。宝物も書物も蔣介石の国民政府が台湾に移ったときにもたらしたものです。

当時、故宮博物院図書文献処の処長を務められていた呉哲夫先生のおかげで、楊守敬の蔵書「観海堂」の善本をかなりの点数見ることが出来たのは、幸せなことでした。「庫房(書庫のこと)」に招き入れていただき、文淵閣四庫全書を拝見した感動は今もはっきりと覚えています。

さてその頃、呉先生から「有名な目録学者、昌彼得先生が故宮博物院図書館の一室を使って目録学の講義をする」とうかがい、無理に頼み込んで、昌彼得先生の授業を聴講させてもらうことになりました。これは願ってもない幸せでした。昌先生は呉先生の師でもあるとのことで、呉先生が仲介の労をとってくださったのです。

故宮博物院にほど近い東呉大学という大学が学生のために開講する講義ということでしたが、学生は10名弱。もちろん、外国人は私だけです。落ち着いた故宮博物院の会議室にてゆったりと受講しました。教科書は、昌先生と潘美月先生の共著である『中国目録学』(文史哲出版社、1986年)。昌先生はそのころすでに80歳に近かったと思いますが、大家にふさわしい堂々たる風貌でした。最初こそ、先生の腔調に戸惑いましたが、教科書に沿って説明していただいたので、二度三度と受講するうちに、やがて耳が慣れてきたのは愉快でした。非常に得るものが大きかった授業です。半年の習得の後、打ち上げのビア・パーティが開かれた際には、厚かましくも参席させていただきました。今こうして書いていても懐かしく思い出されます。

その講義で、よく覚えていることがあります。漢籍目録の粋である『四庫全書総目提要』(『四庫提要』『四庫総目』などとも略します)の価値を説く中で、「『四庫提要』と『本草綱目』、この二部の書物だけはどの家庭にも備えておかねばならない」、と先生がおっしゃったのです。まことにその通り、と思い、帰国後、家父にこの話をしたところ、「『四庫提要』はともかく、『本草綱目』は用いてあやまつことがあるのではないか」と言っていました。そうであったとしても、漢籍を読むほどの人は、一家に一部『四庫提要』を備えるべきこと、昌先生のおっしゃる通りであると思うのです。

以後、もちろん昌先生の言に順い、身辺に『四庫提要』を置いて参照しています。『四庫提要』を手にすると、台湾において経験した夢のような思い出が浮かんでくるのです。

『荘子』を見る眼


江戸時代に生きた読書の先達、敬首和尚(1683-1748)。内藤湖南「敬首和尚の典籍概見」をもとに昨日、紹介しました。『内藤湖南全集』第12巻(筑摩書房、1970年)。

敬首和尚が目録学を体得していた点を湖南は高く評価しました。それはきわめて得難いことだからです。しかしその点以外にも、『典籍概見』からは敬首和尚の深い学識をうかがうことができます。

たとえば、『易』『老子』『荘子』の読み方のコツを次のように言っています。

『易』の書は、その義ははんじもの也。『老子』の書は、なぞなり。『莊子』の書は、諸事をさかさまに云なり。此の三書は各々文のままには其義通ぜず。皆共にこくびを傾げ思案して、能くはんじ、能くなぞを解き、能く口上の裏表を合點せねばならぬ也。故に此の三書を三玄と云ふ。玄とは幽玄なる義どもなればなり。

『易』『老子』『荘子』をさらりと通読しても、ほとんど何も得るものはありません。それらの書物の難解さに苦しんだ人にとって、それは分かりきったことですが、では、どうすればよいのか?和尚は、それぞれの書物を「『易』=はんじもの」、「『老子』=なぞ」、「『荘子』=さかさまに云う」と、あざやかに言い当ててみせ、その上で、「こくびを傾げ思案して、能くはんじ、能くなぞを解き、能く口上の裏表を合點せねばならぬ也」と読み方のコツを披露しています。ちょうど、詰め将棋の本を見る感じですね。これは出色です。

これほど面白くてためになる「三玄の読み方」は、見たためしがありません。和尚はさぞかしユーモアあふれる人だったのでしょう。

韓愈と柳宗元の散文を比較した、次の一段も痛快です。

韓文は源と『莊子』を祖として悟入す、故に其の筆、自在なり。柳文は源と『春秋』を祖として悟入す、故に其の筆、自在ならず。『莊子』はまめぞう口なり。『春秋』は公家の口上の如し。

韓愈の文体のもとは『荘子』、柳宗元の文体のもとは『春秋』。この「探源」自体、目録学的であり、玩味するに足るものですが、ことに楽しんだのは、「『莊子』はまめぞう口なり」の一文です。「まめぞう」とは何か?『日本国語大辞典』で「まめぞう(豆蔵)」を引くと、その第1項に次のようにあります。

(江戸時代、延宝〔1673-81〕の頃、大阪にいた力持の乞食の名から)手品や曲芸をし、滑稽な身振りや口上で人を笑わせて銭を乞うた大道芸人。豆蔵坊主。
*随筆『斉諧俗談』(1758)三、「豆蔵(マメゾフ)貞享、元禄のころ、摂津国に一人の乞食あり。名を豆蔵(マメゾウ)といふ。市町に出て、常に重き物をささげて銭を乞」。
*滑稽本『東海道中膝栗毛』(1802-09)七・下「見せもの、まめぞう、よみうり、こうしゃく」。…。

「まめぞう口」とは、大道芸人のように面白おかしく人を惹きつける話しぶり、ということになるでしょう。

「荘子は(『史記』でいえば)滑稽列伝中の人だ」という説を聞いたことがありますが(残念ながら、誰の説なのか失念してしまいました。ご存じの方はご教示ください)、まさにそれに通じます。

ひるがえってみれば、敬首和尚は、滑稽な大道芸を眺めつつ「荘子みたいな芸だな」とニヤリとしたに違いありません。それこそ、読書の達人でなければ、やりおおせぬ芸当なのです。