楊守敬、宋版『尚書注疏』を買う


『日本訪書志』は楊守敬(1839-1915)の手になる目録。清国の駐日公使の随員として日本に滞在中(1880-1884)、みずから購入した書物を書き留めたものです。

その巻一に、昨日紹介した『尚書注疏』が「『尚書注疏』二十巻〔宋槧本〕」として載っています。話が面白いので、紹介しておきます。直訳ではなく、意を補ってあります。訳文中に出てくる「八行本」というのが、くだんの宋版のことです。

『尚書注疏』の「十行本」は、明代になってもまだ版木が伝えられており、世に伝本が多かったが、この「八行本」は中国ではなくなっていた。ただ日本の山井鼎『七経孟子考文』がこの「八行本」を見て明刊本を校勘しており、その誤りをいろいろ正している。しかし、「八行本」の原書は海外にあるので、学者たちが「八行本」の異文を(山井に依拠して)引証する時は、半信半疑といったところであった。

私は日本に赴き、この本の探索に力を尽くし、しばらくして西京、大阪あたりの蔵書家のもとにあると聞いた。私が書店に仲介してもらい手紙を送って購入を申し出たところ、四度にわたる交渉の結果にも関わらず、値段の面で折り合わなかった。

駐日の外交官の任期も終わって帰国することとなり、神戸に立ち寄ったが、みずから車に乗って大阪まで出向いてその本を物色してきた。所蔵者はまだ「奇貨、おくべし」と思って売ろうとしなかったが、私も日本の古籍は眼にした以上、かならずや買い取ろうという気構えだ。ましてやこの宋版の経書は海内の孤本であり、すんでのところで逃そうものなら、この残念な気持ちをずっと持ち続けることになる。運のよいことに、帰りの旅費がまだ余っていたので、ちょっと無理をして金を払い、書物を抱えて神戸に戻った。

そのとき同行していた人たちは、私が勝手に一人で大阪に行ったのが怪しからんといって怒っていた。しかし、私が書物を抱えて舟に戻り、それを手にとり喜びに浸っているのを見ると、「趣味が昂じて馬鹿のようだ」といってみなで失笑するのだが、私はそんなことは気にしなかった。

書物好きなら誰しも覚えのある話、のようでもありますが、さすが、楊守敬ともなると、獲物は国宝クラスの宋版。さぞや気分がよかったことでしょう。

ただ、この本と足利学校本(すなわち山井鼎が異文を紹介した本)と、二つの宋版『尚書注疏』八行本が当時の日本に存していたことを楊守敬が認識していたか否か、多少、気にかかるところではあります。

【原文】

十行本板至明猶存,世多傳本,此則中土久已亡。唯日本山井鼎『七經孟子考文』得見之以校明刊本,多所是正。顧其原書在海外,經師徴引,疑信參半。余至日本,竭力搜訪,久之,乃聞在西京大板收藏家。余囑書估信致求之,往返數四,議價不成。及差滿歸國,道出神戸,廼親乘輪車至大板物色之,其人仍居奇不肯售。余以為日本古籍,有所見,志在必得,況此宋槧經書為海内孤本,交臂失之,留此遺憾。幸歸裝尚有餘金,廼破慳得之,攜書歸。時同行者,方詫余獨自入大板,及攜書歸舟,把玩不置,莫不竊笑癖而且癡,而余不顧也。

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「楊守敬、宋版『尚書注疏』を買う」への4件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                            2011年11月18日
    前略。
    ◎「楊守敬、宋版『尚書注疏』を買う」。

    【原文】3カ所、「大坂(大阪)」が「大板」になっています。

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  2. 藤田さま

    コメントありがとうございます。私の見た光緒23年楊氏家刻本刊本が、3カ所とも「大板」としており、そのまま表記いたしました。中国語ではあまり「阪」の字を使わないので、敢えて「板」の字にとりかえたか、と推測しましたが、いかがでしょうか?

    「在西京大板收藏家」とは、これいかに、と悩みましたが、よいお考えがあればお聞かせください。 学退上

  3. 古勝 隆一先生
                            2011年11月18日
    拝復。
    ◎敢えて「板」の字にとりかえたか。
    楊氏の【原文】が「大板」となっているのだろう、と推測はしておりました。今、私の手許にある陳耀東著『寒山詩集版本研究』P.183,184には、「朝比奈宗原(正しくは『源』)」、「何(正しくは『河』)田羆」、「築(正しくは『筑』)摩書房」、「津曰(正しくは『田』)左右吉」などとなっていて、これらは、「わざととりかえたか」、と疑いたくなります。「ママ」とするか、断って訂正するか、黙って直すか。「とりかえた」理由が「敢えて」ならば、「ママ」でしょうか。藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  4. 藤田さま

    コメントくださいまして、ありがとうございます。ご紹介の『寒山詩集版本研究』、日本人の人名の誤字が多いのですね。そこまで多いとかえって気になります。私も一冊購入してみたくなりました。

    校訂本文を出版したり学術論文を公刊する時、あるいは文字の弁別自体が意味を持つ場合などは、厳密な用字法が必要であると思いますが、このサイトの方針としては、旧字、新字の区別、音通などについては、緩やかに取り扱いたく存じますので、ご理解いただければ幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。 学退上

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