スタンダート「イエズス会士はコンフューシャニズムを創作しなかった」


ニコラス・スタンダート氏(ルーヴェン・カトリック大学教授)による、ライオネル・ジェンセン氏(ノートルダム大学教授)著『コンフューシャニズムの創作』(デューク大学出版会、1997年)の書評。若い研究者に勧められて読んでみました。原著を読んでいない上に、宣教師関連の資料も言語も皆目分からぬ門外漢ながら、なかなか楽しんで読めました。

「コンフューシャニズム Confucianism」は、しばしば漢語の「儒」「儒教」に対応する英訳語として用いられる語彙ですが、原著は、この語彙がイエズス会士による創作であり、訳語として問題有り、と主張しているようです。「儒」という漢語自体、時代や文脈によってさまざまが意味を持っているのだから、コンフューシャニズムという色づけされた言葉を用いるのはよくない、と。

スタンダート氏は、ジェンセン氏の主張を認めつつも、「コンフューシャニズムという訳語は、17世紀のイエズス会士の創作だ」という彼の説を反駁しています。

スタンダート氏は、17世紀のイエズス会士のテクストに、その語が用いられていないことを指摘します。徐光啓(1562-1633)の「絶佛補儒(キリスト教は仏教を追い払うが、儒教を補う)」という有名な言葉を、宣教師のモンテーロは、どう訳したか。それは、“Idola resecat, Literatorum legem supplet”であって、ここには「儒」に当たる語として“Literatorum legem”、英語で言うなら“law of the literati”(知識人たちの法)が用いられており、ジェンセン氏のいうような“Confucianism”の語は用いられていないではないか。これがスタンダート氏の批判です。またスタンダート氏は、“Confucianism”の語は、19世紀になって用いられるようになった、とも言い添えています。

イエズス会士たちは、「儒」をイタリア語の“la legge de’ letterati”(知識人たちの教え)と呼んだり、ラテン語の“secta”(流派)と呼んだりしていて、固定化した呼び名はなく、「コンフューシャニズムという凝り固まった訳語をイエズス会士が当てた」という事実はまったくなかった、とスタンダート氏はいっています。

また、孔子の英訳はConfuciusで、これはイエズス会士たちのテクストに見え、「孔夫子」の音訳語と考えられていますが、ジェンセン氏は、「当時の中国側の資料では、孔夫子という言い方は一般的でなく、これもイエズス会士の造語」とします。これに対して、スタンダート氏は、イエズス会士たちが当時の中国社会に深く関与して活動を行っていたことを考えると、書面語としてではなく、口語として「孔夫子」の語があったと考えるのが自然、と論じています。

スタンダート氏の議論は、さらに「宣教師たちがどのように儒教をとらえたか」という点に向かいます。当時、イエズス会士は、宗教を「正しい宗教」と「誤った宗教」とに分けたが、儒教については、その二分法の埒外に位置する、文明的、政治的、哲学的なものとしてとらえていた、そのようにいっています。

イエズス会士たちは、コンフューシャニズムという固定観念を創作したのではない。そうではなく、興味深い儒教観を資料にのこしているのだ。この書評を通じて、そのようなことを知りました。
いずれ、ジェンセン氏の原著も、機会を見つけて読んでみたいものです。

  • 書評は、Nicolas Standaert, “The Jesuits Did NOT Manufacture “Confucianism””, East Asian Science, Technology, and Medicine (EASTM), 16, 1999, pp.115-132。
  • 原著は、Lionel Jensen, Manufacturing Confucianism, Durham, NC: Duke Univ. Press, 1997。
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