「史」になる


史官というのは、『周礼』に出てくるような古代の官職です。『隋書』経籍志の正史類の小序には、「夏や殷よりも前には、左史が君主のことばを記録し、右史が出来事を記録し、周では太史・小史・外史・御史がそれぞれ分担して仕事をし、諸侯の国にも史官が置かれた」、といいます。もちろん、古代の官職としての「史」の実態はここからは分かりませんが、唐代の人には、そのように思われていたのでしょう。

古代において史という職分があったのみならず、後世にも、天子の記録である「起居注」や、王朝の歴史たる「国史」を執筆する担当者がいました。

しかし現実問題として、いくら「史」になりたくても、誰もがなれるはずがありません。特に、近世に入って非常に多くの人が科挙を受けて官界を目指すようになれば、自分に「史」の適正と意欲が備わっていると自認する個人がいたところで、とうてい、官僚機構の中でそれにふさわしい地位を占めるのはかなわぬことです。

一八世紀に生を受けた章学誠(1738-1801)は、非常に強い自負を抱き、史書の編纂についての多くのアイディアをもっていました。しかしもちろん、国家の史書を書く立場につくことはありませんでした。もっとも彼自身、唐代以降の史官は堕落していると考えていたため、史官になりさえすればそれで幸せということでもなかったのでしょうが。

最近、ニヴィソン氏の名著、『章学誠の生活と思想』を読んでいて、興味深い記述に出会いました。

David S. Nivison, The life and thought of Chang Hsüeh-ch’eng (1738-1801), Stanford University Press (Stanford studies in the civilizations of Eastern Asia), 1966.

この書物に引かれた章学誠の手紙は、章学誠の若い頃に書かれたものです。そこには、「たとえ史臣となることができずとも、地方志の編纂にたずさわれるではないか」、という章氏の見解が述べられていました。ニヴィソン氏の訳とともに引きます。

丈夫生不為史臣、亦当従名公巨卿執筆充書記、而因得論列当世、以文章見用於時。如纂修志乗、亦其中之一事也。(「答甄秀才論修志第一書」)

If a man of spirit is unable to become an official historian, he may still become a secretary in the retinue of a person of note or a high official, and in this way be able to discuss critically his age and gain significant employment for his literary skill. One possible activity in such a capacity is the compilation of local histories. (Nivison, 1966, p.30)

清朝のころ、地方志の編纂は、不遇の知識人にとってきわめて大きな意味をもっていました。章学誠の父親も、進士にまでなりながら、官界では恵まれず、有力者の庇護のもと、教師や地方志編纂者として生活の糧を得ていました。それは章学誠自身にとっても同じでした。地方志の編纂事業は、彼らにとっての生命線であったのです。そのことは、ニヴィソン氏の書物にも周到に書いてあります。

国の史官になる希望はかなわずとも、男子たる者、地方志を修めることもできる。これが章学誠の率直な思いであったのでしょう。むしろ、そうであって欲しいと願っていた、ともいえましょうか。

昨日、余嘉錫が目録および目録学を「学術の史」と喝破した、と申しました。その「史」はもともと史官の意味をもっていたことも申しました。余嘉錫が夢想していた、生きたものとしての「学術の史」とは、いかなるものであったか。ことによると、目録学史上の偉大な先達、章学誠の生き方、つまり地方志の編纂者に、その一つの典型を見ていたのではないか。そのように想像されるのです。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中