核心としての「経」


経、といっても、仏教の経典(キョウテン)ではなく、儒教の経典(ケイテン)の話です。

前漢の末期、長安の朝廷において実施された書籍整理は、中国の学問史上、画期的な意義をもっていました。この書籍整理は、中国におけるはじめての全面的な図書事業でした。

その成果である劉歆『七略』において、書物は次の六種に分類されました。

  • 六芸略(儒家の経典とその関連書)
  • 諸子略(先秦諸子の書物)
  • 詩賦略(韻文・散文作品)
  • 兵書略(兵書)
  • 数術略(天文暦数・占いの書物)
  • 方技略(医薬書)

この序列には、意味があります。重要なものを先に置くという原則があるのです。儒家の経典が筆頭にすえられたわけです。

劉向・劉歆父子は、儒教にたいへん造詣の深い学者でしたが、もちろんそれだけで儒家経典の優位が決められたわけではなく、国家の意志もあったことでしょう。いずれにせよ、明白な儒家中心です。しかし同時に確認しておきたいのは、この六分類は、儒家経典を中心にすえつつも、当時存在していた書物の全体を覆う構想を持っていたことです。

後世、中国の図書分類は、六部分類から四部分類へと変化しましたが、その四部分類においても、「経部」には儒家の経典を収めており、経書の優位はまったく揺るぎませんでした。そしてそれは過去の問題であるのみならず、中国の「儒家経典優位」の目録法をどう継承するか、という現代の問題でもあります。先日、銭存訓氏の議論を紹介したとおりです。

目録学において、「儒家経典優位」は時として軋轢を感じさせてしまうほどの重みをもっています。儒家経典は、一貫して目録の核心でした。

では、この目録を作るのは誰なのか。儒者なのか。実はそうではなく、「史」なのです。あるいは、「史」も広い意味では儒者でないか、という議論も成り立ちますが、しかし少なくとも、経学をもっぱら究めようという儒教のエキスパートの立場と、「学術の史」たる目録家の立場は、分けて考えられるべきです。

このことは、書物としての目録書が、四部分類の中の「史部」に収められてきたことに、端的に表れています。

「史」の立場は、目録においても「経」の外に置かれました。四部分類における最大の功績は史部の創出です。それは史家の独立であったと同時に、「学術の史」を担う目録家の独立でもあったというわけです。

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