七録序|七録佚文1


『七錄』序    梁處士阮孝緒

日月貞明,匪光景不能垂照;嵩華載育,非風雲無以懸感。大聖挺生,應期命世。所以匡濟風俗,矯正彝倫。非夫丘索墳典,『詩』『書』禮樂,何以成穆穆之功,致蕩蕩之化也哉!故鴻荒道喪,帝昊興其爻畫;結繩義隱,皇頡肇其文字。自斯以往,沿襲異宜。功成治定,各有方冊。

正宗既殄,樂崩禮壞。先聖之法,有若綴旒。故仲尼歎曰:「大道之行也,與三代之英,丘未逮也,而有志焉」。夫有志以為古文猶好也。故自衛反魯,始立素王。於是刪『詩』『書』,定禮樂,列五始於『春秋』,興十翼於『易』道。

夫子既亡,微言殆絕。七十並喪,大義遂乖。逮乎戰國,俗殊政異。百家競起,九流互作。嬴(正)〔政〕疾之,故有坑焚之禍。

至漢惠四年,始除挾書之律。其後外有太常、太史、博士之藏,內有延閣、廣內、祕室之府。開獻書之路,置寫書之官。至孝成之世,頗有亡逸。乃使謁者陳農求遺書於天下。〔命〕光祿大夫劉向及子伋、歆等讎校篇籍,每一篇已,輒錄而奏之。會向亡,哀帝使歆嗣其前業。乃徙溫室中書於天祿閣上,歆遂總括群篇,奏其『七略』。

及後漢蘭臺,猶為書部。又於東觀及仁壽闥,撰集新記。校書郎班固、傅毅並典祕籍。固乃因『七略』之辭,為『漢書』藝文志。其後有著述者,袁山松亦錄在其書。

魏晉之世,文籍逾廣,皆藏在祕書、中、外三閣。魏祕書朗〈當作郎〉鄭默刪定舊文,時之論者謂為朱紫有別。晉領祕書監荀勗,因魏『中經』更著『新薄』,雖分為十有餘卷,而總以四部別之。惠懷之亂,其書略盡。江左草創,十不一存。後雖鳩集,淆亂以甚。及著作佐郎李充,始加刪正,因荀勗舊簿四部之法,而換其乙丙之書,沒略眾篇之名,總以甲乙為次。

自時厥後,世相祖述。宋祕書監謝靈運、丞王儉、齊祕書丞王亮、監謝朏等,並有新進,更撰目錄。〔宋殷淳撰『大四部目』。儉又依『別錄』之體,撰〕為『七志』。其中朝遺書,收集稍廣。然所亡者,猶太半焉。

齊末兵火,延及祕閣。有梁之初,缺亡甚眾。爰命祕書監任昉,躬加部集。又於文德殿內,別藏眾書,使學士劉孝標等,重加搜進。乃分數術之文,更為一部,使奉朝請祖暅,撰其名錄。其尚書閣內,別藏經史雜書。華林園又集釋氏經論。自江左篇章之盛,未有踰於當今者也。

孝緒少愛墳籍,長而弗倦。臥病閑居,傍無塵雜。晨光纔啟,緗囊已散;宵漏既分,綠帙方掩。猶不能窮究流略,探盡祕奧。每披錄內省,多有缺然。其遺〔文〕隱記,頗好搜集。凡自宋齊以來王公搢紳之館,苟〔能〕蓄聚墳籍,必思致其名簿。凡在所遇,若見若聞,校之官目,多所遺漏。遂總集眾家。更為新錄。其方內經(記)〔史〕,至于術技,合為五錄,謂之內篇;方外佛、道,各為一錄,謂之外篇。凡為錄有七,故名『七錄』。

 昔司馬子長記數千年事,先哲愍其勤,雖復稱為良史,猶有捃拾之責。況總括群書四萬餘卷,皆討論研覈,標判宗旨,才愧疏通,學慚博達。靡班嗣之賜書,微黃香之東觀。儻欲尋檢內寡卷軸,如有疑滯,傍無沃啟。其為紕謬,不亦多乎!將恐後之罪(子)〔予〕者,豈不在於斯錄。如有刊正,請俟君子。

 昔劉向校書,輒為一錄,論其指歸,(辯)〔辨〕其訛謬,隨竟奏上,皆載在本書。時又別集眾錄,謂之『別錄』。即今之『別錄』是也。子歆(探)〔撮〕其指要,著為『七略』。其一篇即六篇之總最,故以(撮)〔輯〕略為名。次六藝略,次諸子略,次詩賦略,次兵書略,次數術略,次方技略。

王儉『七志』,改六藝為經典,次諸子,次詩賦為文翰,次兵〔書〕為軍書,次數術為陰陽,次方技為術藝。以向、歆雖云『七略』,實有六條,故〔別〕立圖譜一志,以全七限。其外又條『七略』及〔二〕漢藝文志、『中經簿』所闕之書,并方外之經,佛經、道經各為一錄,雖繼『七志』之後,而不在其數。

 今所撰『七錄』,斟酌王、劉。王以六藝之稱不足標榜經目,改為經典。今則從之,故序經典錄,為內篇第一。

劉、王並以眾史合于『春秋』。劉氏之世,史書甚寡,附見『春秋』,誠得其例。今眾家記傳,倍於經典,猶從此志,實為繁蕪。且『七略』詩賦,不從六藝(諸)〔『詩』〕部。蓋由其書既多,所以別為一略。今依擬斯例分出眾史。序記傳錄,為內篇第二。

諸子之稱,劉、王並同。又劉有兵書略,王以兵字淺薄,軍言深廣,故改兵為軍。竊謂古有兵革、兵戎、治兵、用兵之言,斯則武事之總名也。所以還改軍從兵。兵書既少,不足別錄,今附于子〔末〕,總以子兵為稱。故序子兵錄,為內篇第三。

王以詩賦之名,不兼餘制,故改為文翰。竊以(傾)〔頃〕世文詞,總謂之集。變翰為集,於名尤顯。故序文集錄,為內篇第四。

王以數術之稱,有繁雜之嫌,〔故〕改為陰陽;方技之言,事無典據,又改為藝術。竊以陰陽偏有所繫,不如數術之該通。術藝則濫,六藝與數術,不逮方技之要顯。故還依劉氏,各守本名。但房中、神仙,既入仙道;醫經、經方,不足別創。故合術技之稱,以名一錄,為內篇第五。

王氏圖譜一志,劉略所無。劉,數術中雖有歷譜,而與今譜有異。竊以圖畫之篇,宜從所圖為部。故隨其名題,各附本錄。譜既注記之類,宜與史體相參。故載于記傳之末。自斯以上,皆內篇也。

釋氏之教,實被中土。講說諷味,方軌孔籍。王氏雖載于篇,而不在志限。即理求事,未是所安。故序佛法錄,為外篇第一。

仙道之書,由來尚矣。劉氏神仙,陳於方技之末;王氏道經,書於七志之外。今合序仙道錄,為外篇第二。

王既先道而後佛,今則先佛而後道,蓋所宗有不同,亦由其教有淺深也。凡內外二篇,合為『七錄』。天下之遺書祕記,庶幾窮於是矣。有梁普通四年歲惟單閼仲春十有七日,於建康禁中里宅,始述此書。通人平原劉杳從余遊,因說其事。杳有志積久,未獲操筆。聞余已先著鞭,欣然會意,凡所抄集,盡以相與。廣其聞見,實有力焉。斯亦康成之於傳釋,盡歸子(順)〔慎〕之書也。

  • 『広弘明集』巻3より。
  • 底本は、大正新修大蔵経、第52巻に収める『広弘明集』(No.2103)。ただし、その句読には従わず、新たに標点した。CBETA(http://www.cbeta.org/)の電子版を利用させていただいた。
  • 大正藏の校勘記に引く「三本(宋本・元本・明本)」によって底本の誤りを校正できる場合、底本の字を括弧の中に入れ、三本の字を亀甲括弧の中に入れて示す。底本に脱字のある時は、三本の字を亀甲括弧の中に入れて示す。底本の明らかな誤脱以外に、校勘は行わない。
  • 誤字が疑われる場合には、山括弧の中に注記する。
  • 誤りを見いだされた方は、コメント欄にてご指摘ください。よろしくお願いいたします。
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「七録序|七録佚文1」への5件のフィードバック

  1. Xuetui先生、ご無沙汰しております。いつも学ばせて頂いております。
    『大正新脩大藏經』と対照して、気付いた所をあげてみました。CBETAの電子版には、転写にある種の癖があるようですね。

    1. 矯正彝倫(第1段落):彝 ⇒ 彜
    2. 沿襲異宜(第1段落):沿 ⇒ 㳂
    3. 正宗既殄(第2段落):既 ⇒ 旣、以下同じ。
    4. 夫有志以為古文猶好也(第2段落):為 ⇒ 爲、以下同じ。
    5. 故自衛反魯(第2段落):衛 ⇒ 衞
    6. 魏晉之世(第6段落):晉 ⇒ 晋、以下同じ。
    7. 沒略眾篇之名(第6段落):眾 ⇒ 衆、以下同じ。
    8. 重加搜進(第8段落):搜 ⇒ 𢯱(U+22BF1)
    9. 晨光纔啟(第9段落):啟 ⇒ 啓、以下同じ。
    10. 凡自宋齊以來王公搢紳之館(第9段落):搢 ⇒ U+2F8BF(旁が晋、但し互換漢字補助)
    11. 并方外之經(第12段落):并 ⇒ 幷
    12. 釋氏之教(第19段落):教 ⇒ 敎、以下同じ。
    13. 盡歸子(順)〔慎〕之書也(第21段落):慎 ⇒ 愼

    以上の点は余り本質的な問題ではないので、ご迷惑になってはとは思いましたが、何かの役に立てば幸いです。 hirsh

  2. Hirshさま、こちらこそ、ご無沙汰しております。おかわりありませんか。

    さて、文字遣いを細かく見てくださいまして、ありがとうございます。ご存知のとおり、元にしたCBETAは、大正新修大蔵経を底本として、台湾にて制作されています。ご指摘の文字については、いずれも台湾の標準的な表記を基準にしているように思われます。必ずしも、大正蔵に一致させようという意識はないようです。

    今回は、この台湾式の表記にならうつもりです。いずれにせよ、注意深く対照してくださいまして、感謝いたしております。事実、大正蔵とCBETAの文字は、厳密には一致していません。しかし、そのことを指摘する意見をこれまで聞いたことがなかったので、新鮮に思われました。

    学退上

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