阮孝緒小伝|七録佚文の附録1


孝緒,陳留人。宋中領軍歆之曾孫。祖慧真,臨賀太守。父彥,太尉從事中郎。

孝緒年十三,略通五經大義。隨父為湘州行事,不書南紙,以成父之清。

年十六,丁艱,終喪,不服綿纊。雖蔬食有味,即吐之。

在鍾山聽講,母王氏忽有疾。孝緒於講座心驚而反。合藥須生人蔘,自採於鍾山高嶺,經日不值。忽有鹿在前行,心怪之,至鹿息處,果有人蔘。母疾即愈。

齊尚書令王晏,通家權貴,來候之,傳呼甚寵,孝緒惡之,穿籬而遁。晏有所遺,拒而不納。嘗食醬而美,問之,乃王家所送,遂命覆醢。及晏被誅,以非黨獲免。

常以鹿林為精舍,環以林池,杜絕交好,少得見者。御史中丞任昉欲造之,而不敢進,睨鹿林,謂其兄履曰:「其室則邇,其人甚遠」。太中大夫殷芸贈以詩,任昉止之曰:「趣舍苟異,何用相干」。於是朝貴絕於造請,惟與裴貞子為交【貞子即子野之諡】。

天監十二年,祕書監傅昭薦焉,並不到。天子以為苟立虛名,以要顯譽,自是不復徵聘。故何胤、孝緒,並得遂其高志。

南平元襄謂履曰:「昔君大父,舉不以來遊取累。賢弟獨執其志,何也?」孝緒曰:「若麇麚盡可驂馭,何以異夫騄驥哉?」

王作『二闇』及『性情義』,並以示之,請為潤色。世祖著『忠臣傳』,集『釋氏碑銘』、『丹陽尹錄』、『妍神記』,並先簡居士,然後施行。

鄱陽忠烈王,孝緒姊夫也。王及諸子,歲時致饋,一無所受。

嘗自筮死期云:「與劉著作同年」。是秋劉杳卒。孝緒睨曰:「吾其幾何?」數旬果亡,年五十八。皇太子遣使弔祭,賵贈甚渥。子恕追述先志,固辭不受。門人諡曰文貞處士。

孝緒博極群書,無一不善。精力強記,學者所宗。著『七錄』、『削繁』等諸書一百八十一卷,並行於世。編次佛、道,以為方外之篇,起於此矣。

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