阮孝緒の伝記資料


阮孝緒(479-536)、陳留尉氏(現、河南省開封市)の人、あざなは士宗。梁の時代に生きた偉大な目録家であり、普通四年(523)、当時、知りえた書物の網羅的な目録、『七録』を書きました。

その阮孝緒の伝記は、現在、3種あります。

  1. 『梁書』巻51、処士伝、阮孝緒伝。
  2. 『南史』巻76、隠逸伝下、阮孝緒伝。
  3. 『広弘明集』巻3の小伝。

『広弘明集』のものは、先日ご紹介したとおりですが、これはおおむね『南史』の伝に基づいており、それを節略したらしく思われます。

『梁書』の伝と『南史』の伝とを比較してみると、両者には出入があります。『広弘明集』の伝の内容はかなり簡略ですが、『梁書』の伝に含まれない記事があるので、『南史』(あるいはそれよりも詳しい別種の伝記)に依拠したものと推測できます。

しかし、そればかりではありません。『広弘明集』の伝には、『南史』の伝にも見えない記事があるのです。それは、阮孝緒の曾祖が宋中領軍の阮歆之であり、祖が臨賀太守の慧真であることが、『広弘明集』にのみ書かれている、ということです。これによって、阮孝緒の家系をたどることが可能となります。

また、伝の末尾に「編次佛、道,以為方外之篇,起於此矣。」と書き添えられていますが、これは『広弘明集』の編者、道宣の案語でしょう。

ただし『広弘明集』の阮孝緒伝は、つぎはぎが目立って読みにくく、また文字の誤りもあります。以下、少し問題のある部分を列挙してみましょう。

  • 孝緒年十三,略通五經大義。隨父為湘州行事,不書南紙,以成父之清。 「南紙」は、『南史』では「官紙」とします。父が湘州行事となった際、阮孝緒は役所の紙を使わなかった、ということのようです。
  • 常以鹿林為精舍,環以林池,杜絕交好,少得見者。 「鹿林」は、『梁書』『南史』とも「鹿牀」とします(前後の文章は異なります)。「牀」はベッドのこと、「鹿牀」でも意味が通らないので、あるいは「麁牀(粗牀)」の誤りかと推測します。
  • 南平元襄謂履曰 南平元襄王は、蕭偉、あざな文達、『梁書』巻22に伝が立っています(太祖五王伝)。『広弘明集』は「王」字を脱しているようです。
  • 王作『二闇』及『性情義』 「二闇」は、『南史』梁宗室伝下では「著二暗義」。『梁書』太祖五王伝、『冊府元亀』巻293では「著二旨義」。
  • 世祖著『忠臣傳』,集『釋氏碑銘』、『丹陽尹錄』、『妍神記』 「妍神記」は、『南史』では「研神記」。『隋書』経籍志(史部、雑伝)にも「『研神記』十卷,蕭繹撰」と見えるので、「研」が正しいようです。

これまで『梁書』と『南史』の阮孝緒伝の違いを見落としていましたが、この機会に少し調べてみて、いろいろと異同があることが分かり、有益でした。

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「阮孝緒の伝記資料」への9件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                            2012年6月12日
    前略。
    ◎「常以鹿林爲精舍,環以林池,杜絕交好,少得見者」。

    「鹿林」のまま読むならば、『禅学大辞典』に「鹿野苑。鹿園・鹿林・施鹿園・鹿苑とも」と出ています。しかし、「鹿林」は、「忽有鹿在前行,心怪之,至鹿息處,果有人蔘。母疾即愈」の連想からの誤りかと存じます。
    「鹿牀」は、『漢語大詞典』12-P.1284に『梁書』・処士伝・阮孝緒を引いて「指坐卧之具。古人所謂“坐榻”」と説かれています。「精舎」は、岩波『仏教辞典』に「中国での注釈によれば,は立派なすぐれた建物の意ではなく,精練(十分によく自己の智徳を練り鍛える)する者の舎宅の意であるとする」とありますから、粗末な住居でも「精舎」と称すべく、「常以鹿牀爲精舍」ならば意味は通ると思います。
    なお、「麁牀(粗牀)」とするのは、「テクストをなるべく素直にそのまま読む」との原則に反するのではないか、と愚考いたしますが如何でしょう。

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  2. 藤田さま

    ご連絡くださいまして、まことにありがとうございます。「鹿牀」は、私も『漢語大詞典』を確認したつもりになっていたのですが、見落としていたようです。ご指摘、ありがとうございます。

    おっしゃるように、文字を変更して読むのは「テクストをなるべく素直にそのまま読む」原則に反しますので、よくないかもしれません。それでもやはり『漢語大詞典』は「鹿」を説明しておらず、文字を変えずに読むとしても、シカの意ではないようにも思われますので、もう少し、調べてみたいと思います。

    重ねてお礼申し上げます。

    学退上

  3. 古勝 隆一先生
                            2012年6月12日
    前略。
    ◎「『鹿』を説明しておらず、シカの意ではないよう」。

    「鹿牀」は、シカの皮で作った敷きものではないでしょうか。「虎皮」を『漢語大詞典』8-P.802は、「②講席之代稱。『宋史』道學傳。〔張載〕嘗坐虎皮講『易』京師、聽從者甚衆」と説明しています。
    なお、『広弘明集』の「睨鹿林」を『慧琳音義』97は「睨鹿牀」として引いています。

    ◎岩波『仏教辞典』に「中国での注釈によれば,〈精舎〉は立派な・・・」。

    『慧琳音義』22に、

    『藝文類聚』云、「精舍者非以舍之精妙。名爲精舍、由有精練行者之所居。故謂之精舍也」。

    とあるのを『仏教辞典』は、「中国での注釈」としたようです。また、『釈氏要覧』・『翻訳名義集』にそれぞれ、

    『藝文類集』云、非由其舍精妙。良由精練行者所居也。
    『藝文類』云、非由其舍精妙。良由精練行者所居也。

    とあるものの、『芸文類聚』には「精舎」に関する文章はありません。『一切経音義』の誤りか、或いは『芸文類聚』の佚文でしょうか。
    今まで、「精舎」は「精妙の舎宅」とばかり思っていました。「非麁暴者所居、故云精舍」、「良由精練行者所居也」(『翻訳名義集』)だったとは、勉強になりました。
    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  4. 藤田さま

    慧琳『一切経音義』を調べ忘れておりました。これまた、ご教示、ありがとうございます。

    さて、「精舎」についてですが、かつて我が師、吉川忠夫先生が、「静室考」という論文を書かれました。主に道教の「静室」を論じたものですが、そのなかで、「精廬」「精舎」など、後漢時代以来の修行の場にも言及があります。よろしければ、ご一読ください。 http://hdl.handle.net/2433/66670

    阮孝緒は仏教徒ですから(少なくともある年齢以降は)、鹿の皮は如何でしょうか?すこし考えさせてください。

    では、失礼いたします。

    学退上

  5. Xuetui先生
    いつも興味深い話題を有難うございます。今回は阮孝緒の伝記についての質問させて下さい。

    少し調べていたら、『梁書』『南史』『広弘明集』からは大分後代のものになりますが、祖琇撰『隆興佛教編年通論』、念常撰『仏祖歴代通載』に阮孝緒の記述がありました。両者ともに『広弘明集』の記述によく似ていて、例えば「鹿林」を含む「阮孝緒小伝」第6パラグラフに対応する『隆興佛教編年通論』の部分は以下のようになっています。

     甞以鹿林為精舍。環以林池杜絕交游。世罕得而見之。御史中丞任眆欲訪焉而不敢進。乃指鹿林謂其兄曰。其室則邇。其人甚遠。繇是朝貴絕於造請。唯與裴子野交好。
    (テクストは[2]。「眆」を[4]では「昉」に作る)

    字句の異同は別として、阮孝緒に関しては『広弘明集』に拠っているようにも見えますが、両者の『広弘明集』との関係は明らかになっているのでしょうか?因みに陳垣『中国佛教史籍概論』には、「今《通載》前數巻,二十八祖悉抄《景徳傳燈録》,自漢明帝至五代十餘巻,悉抄《隆興通論》,其所自纂者,僅宋、元二代耳。」とありましたが、『広弘明集』との関係には触れてなかったようです。 hirsh

    ネットで参照した文献のリンク
    [1] 花園大学 HUMICデジタル書庫 『隆興仏教編年通論』 第3冊 8巻4葉裏
      http://www.hanazono.ac.jp/DArchives/e-shoko/html/0706menu.html
    [2] CBETA漢文大藏經 卍續藏 (X) 第 75 冊 » No.1512 » 『隆興仏教編年通論』第 8 卷 [0147a16]
      http://tripitaka.cbeta.org/X75n1512_008
    [3] 東京大学東洋文化研究所 漢籍善本影像資料庫 『佛祖歷代通載』 9巻27葉
      http://shanben.ioc.u-tokyo.ac.jp/main_p.php?nu=C6553700&order=ti_no&no=01338
    [4] CBETA漢文大藏經 大正藏 (T) 第 49 冊 » No.2036 » 『佛祖歷代通載』第 9 卷 [0551b10]
      http://tripitaka.cbeta.org/T49n2036_009

  6. Hirshさま、コメントくださいまして、まことにありがとうございます。

    私は主に唐代以前のことを調べておりますが、調べ物のなかで『仏祖歴代通載』に行き当たった時は、ほとんどの場合、『通載』の説は先行の資料によっているように思われました。きちんと資料的に検討してみたことはないのですが、経験上、何となくそのように思ってきました。成書時期も「新しい」ですしい、それゆえ、今回も無視しました。

    そして『隆興仏教編年通論』も、同様に軽く考えていたのですが、今回、お示しになった花園の画像を拝見したところ、阮孝緒の伝記ばかりか、その後には目録書を列記した部分もあることに気がつき、認識を改めました。阮孝緒の伝記の部分は、やはり『広弘明集』をもとに編輯したものらしく思われますが、これも校勘の一助にはなりそうです。

    これを機に、すこし同書について調べてみたいと思います。ご教示、どうもありがとうございました。

    学退上

    1. Xuetui先生
       いつも丁寧にお答え下さり、有難うございます。質問ばかりで申し訳なく思っていたのですが、リンク等、思わぬ情報が提供できたようで、それだけでも嬉しい限りです。 hirsh

  7. 古勝 隆一先生
                            2012年6月13日
    前略。
    ◎「阮孝緒は仏教徒ですから(少なくともある年齢以降は)、鹿の皮は如何でしょうか?」。

    これは私もそう考えました。しかし、口にしなければいいかな、と。法鼓などは牛の皮で作ります。鹿の皮も紐に加工して使います。

    ◎『隆興仏教編年通論』。

    阮孝緒とは無関係ですが、この書物には、山谷居士・黄庭堅(1045~1105)の「これから10年、読書作文に努力すれば、陶淵明には成れるかもしれません。しかし、寒山子には生まれ変わっても成れません」(巻第20「寒山子」)という語が出ています。項楚先生の『寒山詩注』P.1007に引かれています。陶淵明・寒山・杜甫・黄庭堅と大物ばかり出て来る話なので、以下にお知らせしておきます。

    論曰。昔寶覺心禪師嘗命太史山谷道人和寒山子詩。山谷諾之。及淹旬不得一辭。後見寶覺。因謂「更讀書作詩十年、或可比陶淵明。若寒山子者、雖再世亦莫能及」。寶覺以謂知言。
    山谷、吾宋少陵也。所言如此。大凡聖賢造意深妙玄遠、自非達識洞照亦莫能辨。嘗深味其句語、正如天漿甘露自然淳至。决(決)非世閒濟以鹽梅者所能髣髴(彷彿)也。近世妄庸輩或增其數而穢雜之。嗚呼惜哉。
    『隆興仏教編年通論』巻第20「寒山子」

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  8. 藤田さま

    「鹿牀」についての御説、確かに承りました。梁の時代、在家の仏教信仰がどのようであったのか、少し知りたくなっており、鹿についてももう少し注目してみたいと思います。

    『隆興仏教編年通論』、ご教示いただいた一段を拝見しても、特に宋代の部分は面白そうですね。一度、ざっとでも目を通してみたいものです。読書の契機をお与えくださいましたこと、心より感謝申し上げます。

    学退上

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