阮裕の信仰


阮略の子孫の名を見ていると、ひとつの事実に気がつきます。阮晞之・阮歆之・阮長之・阮彌之・阮胤之・阮彦之・阮履之と、名前に「之」字をもつ人が多いことです。

陳寅恪氏「天師道與濱海地域之關係」(『金明館叢稿初編』上海古籍出版,1980年)によると、六朝時代、道教徒の間で、名前に「之」をつける習慣があったということですから、阮氏の一家は家族の信仰として、もともと道教を共有していたと、ひとまず推測することができます。陳氏の考証の詳細については、また機会を改めてご紹介します。

その陳留の阮氏の信仰について調べる過程で、『世説新語』尤悔篇に次の一段があることを知りました。

阮思曠奉大法,敬信甚至。大兒年未弱冠,忽被篤疾。兒既是偏所愛重,為之祈請三寶,晝夜不懈。謂至誠有感者,必當蒙祐.而兒遂不濟。於是結恨釋氏,宿命都除。
阮思曠(阮裕)は仏法を信奉し、完全に帰依していた。その長男は成人前、急に重い病にかかってしまった。阮裕はこの子をとりわけ愛しており、そのために三宝を祈り、昼夜を分かたず勤行した。「真心をもって仏の感応を得られたならば、きっとおたすけいただけるにちがいない」と思ったのであるが、子はそのまま助からなかった。そこで仏教をうらむようになり、宿命の教え(仏教)をまったく辞めてしまった。

阮裕の懸命な祈祷もむなしく、長男の阮牖(阮傭とも)が若死にしてしまい、それで阮裕は仏教から離れた、というわけです。

阮裕の三男、阮普は、『建康実録』では阮普之と呼ばれています。「之」字を名前に含む道教徒の名を資料に書く場合陳寅恪氏も指摘するとおり、「之」字を省く例は、たいへんに多いのです。それゆえ、阮裕の三男の名は阮普之であり、時には阮普とも呼ばれた、と考えてよさそうです。

そうであるとすると、長男を失ったことを転換点として、阮裕は仏教から道教へと信仰を変えた、このように推測できます。そこから、家族の信仰も変化したのでしょう。子孫の名に「之」字を含む者が多いことも、これによって説明できるように思われます。

その一方で、陳留の阮氏からは熱心な仏教徒も多く出ており、阮孝緒もその一人です。道教を信仰する家から仏教徒が出たことについては、次の問題として考えなければなりません。

また、阮氏の道教信仰の実態は、今のところ、まったく明らかでありませんので、その方面も解明が必要でしょう。

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「阮裕の信仰」への9件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                            2012年6月16日
    前略。
    ◎「急に思い病にかかってしまった」。「忽被篤疾」。

    訳文「思い病」は「重い病」の変換ミスでは?
    今ためしに、ATOK9にて「omoiyamai」と入力しましたら、「重い病」となりました。

    ◎「『之』字を省く例」。

    『広弘明集』の原文「睨鹿林,謂其兄履曰」は、「『之』字を省」いた例でしょうか?「陳氏の考証の詳細について」の「機会を改めて」の「紹介」を楽しみにしております。

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  2. 藤田さま

    誤字のご指摘、ありがとうございます。うっかりと間違ってしまいました。誤字の多い文章は見苦しいので、注意しているのですが、いけませんね。反省いたします。非常に古いマイクロソフトの入力法を使って書き、校正を怠っておりました。

    『広弘明集』では、阮孝緒の父を「彦」、兄を「履」としますが、これらはいずれも「之」字を省いた例に当たると判断しました。この問題をめぐる陳寅恪の議論は、複数の論文に散らばっており、簡単に紹介できなかったので、機会を改めさせていただきます。

    重ねてお礼申し上げます。

    学退上

  3. 古勝 隆一先生
                            2012年6月16日
    拝復。
    「反省しいたます」と誤打されています。詰まらぬ指摘ばかりで申し訳ありません。

    ◎「陳寅恪の議論」。
    白楽天の「和夢遊春詩一百韻」(『白氏文集』巻14)の最終の聯「法句與心王、期君日三復」に関して、陳寅恪氏は、『法句』・『心王』に考証を加えた上で、二書を浅俗偽造の書と評し、「夫元白二公自許禪梵之學、叮嚀反復於此二經。今日得見此二書、其淺陋鄙俚如此。則二公之佛學造詣、可以推知矣」(『元白詩箋証稿』巻4)と断じました。これに対して朱金城氏は、「陳氏考釋兩書極精確」と陳氏の考証を評価する一方、「而謂元白佛學造詣淺陋之論則殊偏頗、蓋不能僅微之樂天詩中引用此二經即輕下斷語也」(『白居易集箋考』巻14)と元白二公のために反論しています。朱氏の議論は、良く公平を持(たも)っていると思います。「侯景には『雅謔』は言えない、と考える陳氏の思考法」にも、偏頗の傾向があるのでしょうか。

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  4. 藤田さま

    これまたお見苦しいところをお目にかけてしまいました。訂正いたしました。

    おっしゃるように、陳寅恪の議論には、確かにある種の偏りがあるようにも思われます。特に評価に関する部分に、その傾向が著しいようです。しかし、その弱点を補って余りある独創性があるのではないでしょうか。私などは陳氏の論文を読むたびに、感動してしまいます。ただ、その感動の正体をうまく言い当てられずにおるところです。ともかく、私にはよく理解できない、常人とは違った本の読み方をした学者なのではないか、と感じております。

    これにつきましては、また折に触れてご教示くだされば幸いです。よろしくお願いいたします。

    学退上

  5. 古勝 隆一先生
                            2012年6月17日
    拝復。

    前信、朱金城氏(1921~2011)の『白居易集箋校』を『箋考』と誤打していました。
    ところで、朱氏は昨年(2011)亡くなられたようです。ネットを探りましたら、『古今人物談薈』という書物の中で、

    近代著名的歴史学家中,以史学名世而又対唐代文学研究作出巨大貢献的,応首推陳寅恪、岑仲勉二先生,其間岑仲勉先生在考据方面的成就尤為卓越。
    http://dszb.whdszb.com/whdszb/html/2011-11/25/content_115776.htm

    と陳寅恪氏(1890~1969)を称揚されていました。

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  6. 古勝 隆一先生
                            2012年6月17日
    追伸。

    朱金城氏の著書は、『古今人物談薈』ではなく『近代人物談薈』でした。

    藤田 吉秋・Eメール・toubokuji@nifty.com

  7. 藤田さま

    朱金城氏の紹介記事、お示しくださいまして、まことにありがとうございます。さっそく興味深く読ませていただきました。『李白集校注』の出版事情なども、面白く読みました。『近代人物談薈』、注目しておりませんでしたが、近く読んでみたいものです。

    重ねてお礼申し上げます。

    学退上

  8. 普通、名前に「之」の字がつけられるだけで、その人は何の信仰か判定できないでしょう。胡適は適之という字ですが、かならず道教徒ではないし、毛沢東は潤之という字で、それほど道教信仰の痕跡も見られません。
    でも、ご高文を見て初めて名前に潜められた秘密を知らされました。同じように、世界有名な『蘭亭集序』というきれいな毛筆書法珍品を後世に残した王羲之もその子供の王献之も名前の中に「之」がつけられたのも天師道を敬虔に信奉していた王羲之の父親の影響を受けていたそうです。今後、引き続き趣味深くこの辺の知識を深めたいと思います。(如云 妙法)

  9. 如云妙法さま、コメントくださいまして、ありがとうございます。

    陳寅恪が指摘したのは、「六朝の道教徒に特有の命名習慣」ですから、他の時代については、もちろん当てはまりません。「六朝時代の道教徒」に気づいたのは、陳氏の洞察でありました。

    我が師、吉川忠夫先生の『書と道教の周辺』(平凡社,1987年)もお読みいただければ、幸いです。

    では、失礼いたします。

    学退上

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