人名から宗教に及ぶ


六朝時代には、外来の仏教と並び、道教が広く信仰されました。道教の信仰は、庶民ばかりでなく貴族にも広がっていました。

道教は、個人個人の宗教的な選択によって信仰されるというよりも、むしろ家族によって信仰されていた。そして、それぞれの家族が住んでいた地域、特に中国の沿岸部に近い地域が、その信仰を育んだ。陳寅恪氏はそのように考え、次の論文をを書きました。

「天師道與濱海地域之關係」(『金明館叢稿初編』上海古籍出版,1980年。初出は『中央研究院歴史語言研究所集刊』第3本,第4分冊,1933年

論文の中では、道教を信ずる家族の例として、琅邪の王氏、高平の郗氏、呉郡の杜氏、会稽の孔氏、義興の周氏、陳郡の殷氏、丹陽の葛氏、東海の鮑氏、丹陽の許氏、丹陽の陶氏、呉興の沈氏が検討されています。

道教を信奉する家族か否かを判断する際、ひとつの手がかりとして採用されたのが、「名前に「之」字や「道」字を含む」ことでした。

すなわち中国では古くから、君主や親の名(いみな、「諱」)を呼ぶことを避ける「避諱」と呼ばれる習慣があり、親の名を口にすることすらできません。南北朝時代は、その習慣がもっとも厳しく遵守された時期でもありました。ところがその六朝時代、「之」「道」などを名に含む家族が多く見いだされ、これを観察すると、親にも子にもそれらの文字が共通する例がたいへんに多いのです。

有名な王羲「之」の息子に、王献「之」がいます。これは通常の避諱観からすると奇異ですが、道教徒はこれを意に介さなかったらしいのです。こういう理由で、「之」「道」字を名に多く用いる家族は、道教徒の一家である、という仮説が成り立ちます。

この仮説は、陳寅恪の得意の議論であったようで、次の論文にも応用されています。

「魏書司馬叡傳江東民族條釋證及推論」(『金明館叢稿初編』上海古籍出版,1980年。初出は『中央研究院歴史語言研究所集刊』第11本,第1分冊,1943年

この論文は、『魏書』司馬叡傳に見える少数民族を考証したものですが、その中に「谿」と呼ばれる民族があり、陳寅恪は、陶淵明の一家もその民族に属するといい、しかも一族に陶綽之・陶襲之・陶謙之など、名前に「之」字を持つ者が多いので、彼らは谿族、かつ道教徒の家系なのであろう、と言っています。

また同論文の中では、これも同じく谿族に属する胡諧之という人物に触れています。『南史』で彼にまつわる悪口を引き、「胡諧是何谿狗」とありますが、『資治通鑑』では「胡諧之」と、「之」字を補っています。これを陳寅恪は、司馬光の見識不足と見ています。すなわち、「之」は省略可能であって、実際、多くの資料に「之」を書かない例があるから、わざわざ補う必要はない、という主張です。

また、次の論文でも六朝人の「之」字に触れています。

「崔浩與寇謙之」(『金明館叢稿初編』上海古籍出版,1980年。初出は『嶺南學報』第11本,第1分冊,1950年

そこでも、『北史』巻27に寇謙之が「寇謙」と表記されることにつき、「之字非特專之真名,可以不避諱,亦可省略(之の字は、固有の本名ではなく、避諱せずともよいし、省略もできた)」と解釈しています。

以上が、「之」字をめぐる陳寅恪の議論です。「之」字を足すことが見識不足というのは、少々行き過ぎのようにも思いますが、ともかく、名前と宗教との関係を明らかにした大発見でした。

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「人名から宗教に及ぶ」への3件のフィードバック

  1. さっそくの文章を書いていただき、感謝します。前の文章を合わせて読んでいれば、中華文化に潜まれている異色の風景が覗き見れます。
    中国サイトのある文章「关于姓名文化的宗教审视」を読んでいただければ、「天干地支」など条件を十分に考えを入れて名前を付ける習慣が中国文化の重要の一環も分かるでしょうが、どうも専門知識が必要されてすぐに分からないのは私ですが、いつこの分野に亘る文章が出来ればありがたいと思っています。
    (如云 妙法)

  2. 追伸
    さき「关于姓名文化的宗教审视」のサイトを添付忘れですみません。http://www.foyuan.net/article-129396-1.html

    また、別の文章にこういう手がかりが見つかりました。
    正式の発表物ではありませんが、作者がけっこう丹念に出来たことが読んで分かります。
    サイト:http://blog.19lou.com/?uid-15872916-action-viewspace-itemid-5050926 
    除了用“之”以外,还有用“道”、“玄”、“仙”等字。这是道教认为,一个特定的联系。 如:南北朝宋宗室刘道怜,刘道规,齐高帝萧道成,其兄萧道度。梁代有檀道济、刘道产、蔡道恭、范道根、郝道福……今人有王道成,简立道、郑志道等等。 古代有高仙芝、牛仙客、李玄通、李玄道、吴通玄、李敬玄、马仙人等等。

    (如云 妙法)

  3. 如云妙法さま

    コメントくださいまして、ありがとうございます。教えてくださった文章は、ネット上にあるものは、無断転引のようですね。もし、著者のお名前が分かれば、あらためてご教示ください。命名の諸側面に言及があり、たしかに興味深い一文です。

    では、失礼いたします。

    学退上

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