書物を写す


張舜徽氏『中国文献学』(中州書画社,1982年)の中に、書物を写すことを述べた一章があります。第6編「前人整理文献的具体工作」第1章「鈔写」。写本文化の簡単な紹介、といってよいかもしれません。

その章では、昔の人々が書物を写した故事が紹介されています。たとえば、南斉の沈驎士。八十歳を過ぎて火事にあい蔵書を失った後、燈火のもと、反故紙に小さな字で書物を書き写し、ついに二三千巻の蔵書を築いたそうです(『南斉書』巻54、高逸伝)。

版本が主流になった宋代以降も、書物を写す行為は衰えませんでした。蘇軾が紹介するある老人は、『史記』『漢書』をみずから写し取り、大切に読んでいたといいいます(「李氏山房蔵書記」)。

張氏はさらに、手控えとしての抜粋が、新たな意味を生んだ例をも挙げています。宋の袁枢(1131- 1205)は、『資治通鑑』を読みにくいと感じたため、事柄ごとに同書の内容を分類しなおし、『通鑑紀事本末』という著作をまとめました。本来の動機は、自分が読みやすいノートを作ることでしたが、これが新たな史書のジャンル、「紀事本末体」を創出する結果となり、創造性あふれる大著作となった、と評しています。

ただただ書物を写す「死鈔」から、創造的な鈔写である「活鈔」へと展開した、というのです。

さらに張氏は、「死鈔」の方でさえも大いに有意義である、と付け加えることを忘れてはいません。銭澧(1740-1795)という人の「一を手写することは、十を唱えることに匹敵する」(「通鑑輯略序」)との語を紹介しています。

たまたま最近、孫徳謙『古書讀法略例』(商務印書館,1936年)を読み、その巻4にも「書用鈔読例」という章があり、そこで、古書を書き写すことの効用が述べられていました。孫先生・張先生という二人の文献学者が口をそろえるからには、必ずや功徳があるのでしょう。

そういえば、近頃は手書きのノートすらとっていません。便利さに流されて、いろいろなことを試してみる気持ちを忘れかけていたのかもしれません。『容斎随筆』を書いた宋の洪邁(1123-1202)も、さまざまな書籍から抜粋したノートを作っていたそうですし、清の凌廷堪(17571809)も群経を手写したといいますから、古人にならい、すこし写してみようかとたくらんでおります。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中