「九世紀初頭における天の議論」


先日、当ブログにてその名を挙げた、ラモント氏「九世紀初頭における天の議論―柳宗元「天説」と劉禹錫「天論」」。上編・下編(Part I, II)に分けられ、『アジア・メジャー』誌に載ったものです。今から40年近くも前に書かれたものながら、なお輝きを失っていないように思われます。

上編においては、殷・周から唐代に及ぶ「天」観の変遷と進展が概観され、さらに、「天説」へと至る柳宗元の「天」観の展開が詳述されています。

下編においては、韓愈・柳宗元・劉禹錫により一連の「天」の議論がなされた背景、そして劉禹錫の「天」観の展開と「天論」の分析。さらには、「天説」「天論」と柳宗元「答劉禹錫天論書」(『柳河東集』巻31)の英訳が附されています。

柳宗元に関する議論で注目されるのは、中唐春秋学と柳宗元との関係を述べた部分です。両者の関係については、太田次男氏「長安時代の柳宗元について」(『斯道文庫論集』2輯,1963年)を踏まえ、更に一歩進めて、呂温の「天」観が柳宗元に与えた影響を詳しく追っているところです(Part I, pp.196-199)。それら先行する議論を踏まえつつ、柳宗元は「天」についての議論をさらに大きく進めた、と評しています。

It would seem that Lü was still largely within the bounds of the more conservative type of scepticism, and it is obvious that Liu unlimately went beyond this to a more direct and critical attack not only on Han ideas about the relationship between man and Heaven but on the “spiritual” and purposeful nature of Heaven itself. (Part I, p.200)

また、柳宗元は800年前後、妻や母など、身近な人々を次々に失い、ことごとにつけて「天」に訴えかける文を作っていることも、松村真治「柳宗元の文学作品に見る合理主義的側面と非合理的側面の交錯」(『中国文学報』22輯,1968年)を参照しつつ、分析を加えています(pp.202-203)。

下編においては、林紓(1852-1924)の議論を紹介しつつ(林紓『韓柳文研究法』からか)、韓・柳・劉氏の「天」の議論がなされた背景を探っています(Part II, pp.37-)。林氏は、韓愈が「天」を説いた直接の動機は、失脚した柳宗元を慰めるためであった、と推測します。これを受け、呉文治『古典文學研究資料彙編 柳宗元卷』(中華書局,1964年)及び侯外廬『中国思想通史』(人民出版社,1962,63年)は、814年という年に「天」の議論が行われた、と推測します。一方、ラモント氏は、「805年における、柳・劉両氏の失脚を発端としているのではないか」という別の推測をしています(p.39)。これには、説得力があるように思われます。

また、「天論」に見える劉禹錫の思想について、杜佑の法治主義(Legalism)から影響を受けているのではないか、という推測が、なされています(p.45,59)。これにも注目すべきでしょう。また、劉禹錫が、柳宗元とは違い、一行(683-727)という僧侶が先鞭を付けた『易』の「数」の世界に没入し、それが「天論」に反映しているというのも重要な指摘です(pp.50-54)。

柳宗元「天説」と劉禹錫「天論」とは、もちろん比較の対象となりますが、内容的には「天論」の方がはるかにしっかりとまとまっているので、この一連の議論は、「「天論」に至る道」ととらえることが可能でしょう。ラモント氏のこの論文も、常に柳・劉の両氏が比較しつつ、やはり主眼を「天論」の解明に置いています。「天論」を読む際、今なお参照すべき業績であると思えます。

附録とされている、「天説」「天論」の英訳も、まだ十分に検討していませんが、あらためて精読してみたいものです。

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「劉禹錫の「天論」とその周辺」


このところ劉禹錫(772-842)の「天論」に関心をもっており、島一氏「劉禹錫の「天論」とその周辺」(『学林』第20号,1994年)を読みました。

「天論」自体に見える説明によると、この論は、天が人に下す罰を論じた韓愈(768-824)の一文を発端とし、それに答えた柳宗元(773-819)「天説」をさらに展開させるべく、劉禹錫によって書かれました。『劉禹錫集』(卞孝萱校訂,劉禹錫集整理組點校,中華書局,1990年。中國古典文學基本叢書)巻5、所収。同書には、韓愈の文章をも引く柳宗元「天説」が、附されています。

「天論」が論じているのは、「天と人とはどのような関係にあるのか」という、非常に古くからの問いです。司馬遷の「天道是か非か」の語にも、通じます。唐代において、これはすでに古い問いとなっていたものの、劉禹錫は「天と人とは、代わる代わる相手をしのぐのだ(天與人交相勝耳)」といい、「人が天に勝つものとは、法である(人能勝乎天者,法也)」といって、人間が作り上げた「法」の優位を強調します。これは、たいへんに面白い思想であり、それ以前には聞かれなかったものです。

この「天論」については、我が国の学界においても、ある程度の研究蓄積があります。島氏の論文のほかにも、たとえば次のようなものが挙げられます(なお、これにつきましては、ほかにもご存知の論文を補足していただければ幸いです。よろしくお願いいたします)。

  • 重澤俊郎「劉禹錫の哲学―三つの問題点」(『東方学会創立15周年記念 東方学論集』1962年,所収)。
  • 金谷治「劉禹錫の「天論」」(『日本中国学会報』第21号,1969年)
  • 西脇常記「劉禹錫の思想」(『唐代の思想と文化』,創文社,2000年,所収)
  • 馬場英雄「劉禹錫の「天論」と「時」の問題について」(『國學院雜誌』105巻 12号,2004年)。

これらの論考により、「天論」の姿は明らかになっていますが、なかでも、島氏の論文は紙幅も大きく、論述は周到で、その内容はもとより、なぜ劉禹錫がこれを執筆するに至ったかまで、明らかにされています。

ここで、論文の内容を詳しく紹介することはしませんが、興味をひかれた点を列記します。

  • 彼らの間で「天」が問われるようになったのは、柳宗元の個人的な不幸を契機としている。韓愈も柳宗元を力づけるために「天」を論じた。
  • 韓愈・柳宗元・劉禹錫の「天」に対する考え方は、互いに異なるが、いずれも中唐の春秋学の影響を受けている。
  • 劉禹錫の「法」重視の考え方は、杜佑(735-812)の影響を受けている。

いずれもたいへんに面白い論点です。しかし今回気がついたのですが、残念なことに、これらの諸点は、すでにラモント氏による先行研究、「九世紀初頭における天の議論―柳宗元「天説」と劉禹錫「天論」」において論じられていたことがらでした。

日本の諸氏の論文においては、ラモント氏のこの雄篇が参照されていません。先行研究の見落としはありがちなことで、いちいち大げさに騒ぐようなことではありませんが、ラモント氏の論文は、見落とすにはあまりに惜しいものです。

ラモント氏と島氏との説は、関心が互いに重なり合い、共通点も多いのですが、違いもあります。島氏の独自の思考はもちろん重んじられるべきです。しかし、もしも島氏がこの論文にお気づきであれば、さらに議論を深めることができたことでしょう。それが惜しまれてなりません。

許慎の「各」理解


許慎は「各」を、「口」と「夂(zhǐ、漢音はチ)」とを合したものと考えます。「口」はものを言う口のことで、「夂」とは両足の足並みがそろわずに、前に進まない様子。そのようにとらえます。

各,異䛐也。䛐者,意內而言外。从口夂。夂者,有行而止之,不相聽意。
各とは、「詞」を異にすること。「詞」とは、意が内にあり言が外に現れること。口と夂とに従う。「夂」とは、進もうというのを引きとめ、互いの思いを聞かない、ということ。(『説文解字』二篇上。『説文解字注』2篇上、26葉右)

足と口とを一緒に示されても、なかなか一つの状景を思い浮かべられませんが、「思うこと、言うことに関して、足がもつれるように、食い違うこと」、そのような解釈を許慎は与えました。

「各,異䛐也。䛐者,意內而言外」は分かりやすくありませんが、段玉裁は「人が別々に「意」をもち、それぞれ「言」を口にする、ということ」と釈しています。

「夂者,有行而止之,不相聽意」というのが問題です。『説文解字』夂部の、「夂」字の説解と矛盾があるからです。これについて、段玉裁は次のように説きます。

夂部曰:「從後至也。象人㒳脛後有致之者」。致之止之,義相反而相成也。
夂部には「(夂は)後ろからやって来る形に従う。人の両足のはぎで、後ろ足が前足に追いつく様子を表す」とある。「追いつく(致)」と「引きとめる(止)」)とは、義が反対でありながら、補いあって意味をなす。

「夂」は「後ろ足が前足に追いつく様子」も示すし、同時に「両足の足並みがそろわない様子」も示す。両者をあわせて、「夂」の意味が完成する、というわけです。「義が反対でありながら、補いあって意味をなす」とは、一見すると思いつきの説明のようですが、実は訓詁学でいう「反訓」の考え方を用いたもので、いかがわしい説ではありません。もちろん、「夂」字、「各」字についてそれが当たっているかどうかは、別問題ですが。

前回お話しした通り、「各」の下部を口そのものととらえる古文字学者は、すでにほとんどないようです。そういう意味で、この場合、許慎の説を信じることは危険であるかもしれませんし、私もそこに固執するつもりはさらさらありません。

しかしながら、「夂」が両足の足並みのそろわないさまを表す、という一点は、正しいように思われます。「単語家族」説を唱えた藤堂明保氏は、「各」は「「ひっかかる」さまを表わす」といいました。これは決して偶然ではありません。「右文説」の考え方をもとに、「各」を声符に持つ字を集めてみても、それが決定的に誤っているとは思われないのです。

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