「劉禹錫の「天論」とその周辺」


このところ劉禹錫(772-842)の「天論」に関心をもっており、島一氏「劉禹錫の「天論」とその周辺」(『学林』第20号,1994年)を読みました。

「天論」自体に見える説明によると、この論は、天が人に下す罰を論じた韓愈(768-824)の一文を発端とし、それに答えた柳宗元(773-819)「天説」をさらに展開させるべく、劉禹錫によって書かれました。『劉禹錫集』(卞孝萱校訂,劉禹錫集整理組點校,中華書局,1990年。中國古典文學基本叢書)巻5、所収。同書には、韓愈の文章をも引く柳宗元「天説」が、附されています。

「天論」が論じているのは、「天と人とはどのような関係にあるのか」という、非常に古くからの問いです。司馬遷の「天道是か非か」の語にも、通じます。唐代において、これはすでに古い問いとなっていたものの、劉禹錫は「天と人とは、代わる代わる相手をしのぐのだ(天與人交相勝耳)」といい、「人が天に勝つものとは、法である(人能勝乎天者,法也)」といって、人間が作り上げた「法」の優位を強調します。これは、たいへんに面白い思想であり、それ以前には聞かれなかったものです。

この「天論」については、我が国の学界においても、ある程度の研究蓄積があります。島氏の論文のほかにも、たとえば次のようなものが挙げられます(なお、これにつきましては、ほかにもご存知の論文を補足していただければ幸いです。よろしくお願いいたします)。

  • 重澤俊郎「劉禹錫の哲学―三つの問題点」(『東方学会創立15周年記念 東方学論集』1962年,所収)。
  • 金谷治「劉禹錫の「天論」」(『日本中国学会報』第21号,1969年)
  • 西脇常記「劉禹錫の思想」(『唐代の思想と文化』,創文社,2000年,所収)
  • 馬場英雄「劉禹錫の「天論」と「時」の問題について」(『國學院雜誌』105巻 12号,2004年)。

これらの論考により、「天論」の姿は明らかになっていますが、なかでも、島氏の論文は紙幅も大きく、論述は周到で、その内容はもとより、なぜ劉禹錫がこれを執筆するに至ったかまで、明らかにされています。

ここで、論文の内容を詳しく紹介することはしませんが、興味をひかれた点を列記します。

  • 彼らの間で「天」が問われるようになったのは、柳宗元の個人的な不幸を契機としている。韓愈も柳宗元を力づけるために「天」を論じた。
  • 韓愈・柳宗元・劉禹錫の「天」に対する考え方は、互いに異なるが、いずれも中唐の春秋学の影響を受けている。
  • 劉禹錫の「法」重視の考え方は、杜佑(735-812)の影響を受けている。

いずれもたいへんに面白い論点です。しかし今回気がついたのですが、残念なことに、これらの諸点は、すでにラモント氏による先行研究、「九世紀初頭における天の議論―柳宗元「天説」と劉禹錫「天論」」において論じられていたことがらでした。

日本の諸氏の論文においては、ラモント氏のこの雄篇が参照されていません。先行研究の見落としはありがちなことで、いちいち大げさに騒ぐようなことではありませんが、ラモント氏の論文は、見落とすにはあまりに惜しいものです。

ラモント氏と島氏との説は、関心が互いに重なり合い、共通点も多いのですが、違いもあります。島氏の独自の思考はもちろん重んじられるべきです。しかし、もしも島氏がこの論文にお気づきであれば、さらに議論を深めることができたことでしょう。それが惜しまれてなりません。

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