巻子本『礼記子本疏義』に見える避諱字


zibenshuyi
『礼記子本疏義』の「長字」

鄭灼『礼記子本疏義』は、早稲田大学が所蔵し、早稲田大学学術情報検索システム、WINEでも、全文の画像を見ることができます。また以前には、影印本が羅振玉(1866-1940)の手によって出版され、それが用いられていました。

(陳)鄭灼撰『六朝寫本禮記子本疏義』,羅振玉,1916年。

この影印本には、羅氏の跋文が付けられており、この写本が写された時期について、次のように述べています。

此卷用紙,質鬆而薄色竊黃,與唐代麻紙滑澤堅厚而色褐或深黃者大異。予見西陲所出六朝人書,卷軸皆然。又以書體斷之,出六朝人手無疑。卷中不避陳、隋、唐諸帝諱。灼卒於陳,而在梁已宦西省,其家貧寫書,殆當梁世,必不在宦成之後。則此卷者,或即灼所手書耶。
この巻子に用いられている紙は、質はもろくて薄く、色は薄い黄色であり、唐代の麻紙が滑らかでしっとりとして堅牢で、色は褐色あるいは濃い黄色であるのと、大いに異なる。私は西の辺境から発見された六朝の人の書物を見たが、いずれの巻子も(この『子本疏義』と)同じであった。また、書体から判断しても、六朝の人の手に成ること、疑いない。この巻子においては、陳、隋、唐の皇帝の諱が避けられていない。鄭灼は陳の時代に亡くなりはしたが、梁の時代にすでに西省の役人をしていたのであるから、(その伝記に)「家が貧しく、自分で書物を写した」というのは、おそらく梁の時代のことであり、官が進む前のことであったに違いない。そうであるなら、この巻子は、ことによると鄭灼みずからの自筆かもしれない。

羅氏も触れた避諱について、ひとつ面白いことに気がつきました。『礼記子本疏義』の次の段落です。

劉智、蔡謨皆同王義,而以“弟”為長字

これは、『礼記』喪服小記の「生不及祖父母諸父昆弟」という一句を解釈し、王粛、劉知、蔡謨の解釈を挙げた部分です。『礼記正義』では、同じ内容を次のようにいいます。

劉知、蔡謨等,解“生”義與王同,而以“弟”為衍字(北京大学出版社版、p.972)

劉智(劉知)、蔡謨は、「生不及祖父母諸父昆弟」の「弟」を衍字、すなわち誤って足された字と考えた、というわけです。それを『礼記子本疏義』では「長字」、『礼記正義』では「衍字」と表現しています。『礼記正義』は『礼記子本疏義』の内容を襲ったことが、先行研究により分かっていますから、この部分は「長」から「衍」へと、唐代に書き改められたことになります。

『子本疏義』が「衍」字を用いなかったのは、梁の武帝、蕭衍の諱を避けたために違いありません。この『子本疏義』の内容は、梁代に作られたものであり、陳代に作られたものでないこと、疑いありません。

もちろん、内容が書かれた時代と、写本が写された時代とは、分けて考えるべきであり、『子本疏義』の内容が梁代に作られたからといって、この巻子が梁代の写本である、ということにはなりません。しかし、この写本が確かに古い形を留めており、「陳、隋、唐の時代に変更が加えられた証拠はない」、と認めるべき、一つの証拠にはなるでしょう。

一般には、この写本は唐代のものとみなされているようです。しかし、南朝において写された可能性が十分に考えられるように思います。

先行研究にきちんと当たっていないので、この「長」の字に気づいた先人がいるかどうか、未確認ですが、一応、ここに記しておきます。もし、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示願います。

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