天地の讎敵


劉禹錫(772-842)「天論」は、韓愈・柳宗元の議論を踏まえて執筆されたものです。先日、次のように書きました。

「天論」自体に見える説明によると、この論は、天が人に下す罰を論じた韓愈(768-824)の一文を発端とし、それに答えた柳宗元(773-819)「天説」をさらに展開させるべく、劉禹錫によって書かれました。『劉禹錫集』(卞孝萱校訂,劉禹錫集整理組點校,中華書局,1990年。中國古典文學基本叢書)巻5、所収。

これら一連の議論の発端となったのは、韓愈の一文であったらしく、これは、柳宗元「天説」に引用された文章から内容が知られます(『柳河東集』)。

しかし、この韓愈の議論には、題名もついておらず、また韓愈の文集にも収められていません。柳宗元の引用による以外、何も手がかりがないのです。謎を含んだ一文と言えましょうか。

そこで韓愈は、激しいことを言っています。物が腐敗すると、そこに虫がわく。元気・陰陽の均衡が崩れると、そこに人間が生ずる。人間は、元気・陰陽を損ない、破壊する存在である。自分たちの都合のよいように自然を破壊して、人工物を作り、とどまるところを知らない。天地万物は、こうしてありのままの姿を失う。人間は「天地之讎」である。虫よりもひどいと言えはしまいか。こんなことを行う人間という存在は、天から罰を与えられて当然ではないか。人間による害を取り除く存在を天は称えるであろうし、害を与える人間を天は罰するであろう、と。そのように論じたのでした。

まるで現代の環境主義者の言葉のようにも聞こえます。人間の存在をこのように邪悪なもの、自然の摂理に反するものとしてとらえ、「天」と「人」とを対置する考え方。この考え方の起源を探ると、『荘子』に帰着するように思われます。

孔子曰「丘,天之戮民也。雖然,吾與汝共之。」……。子貢曰「敢問畸人。」曰「畸人者,畸於人而侔於天。故曰:天之小人,人之君子;人之君子,天之小人也。」(『莊子』大宗師)
孔子がいう、「私は天に罰を与えられた人間だ。そうではあるが、私とお前と、その境遇をともに生きよう」。……。子貢がいう、「畸人―人間の仲間でない人、というのは、どのようなものでしょうか」。孔子がいう、「畸人は、人間の仲間ではなく、天にひとしい。だから、「天にとっての小人は、人にとっての君子である。人にとっての君子は、天にとっての小人である」という言葉があるのだ」、と。

子桑戸・孟子反・子琴張という三人の仲間がいました。道を楽しむ莫逆の友です。子桑戸が亡くなり、孔子は子貢を使いに立てて弔わせますが、子貢が赴いてみると、孟子反・子琴張の二人は、楽器を奏で、歌を歌っていたというのです。驚いて帰ってきた子貢は、「いったい彼らは何者なのですか」、と孔子に問います。それに対し、孔子は「彼らは方外、すなわちこの世界の外側に生きる人々だ。我々は方内、すなわちこの世界の内側に生きる者だ」と言います。上記の引用文は、それに続く問答です。「畸人」は子桑戸・孟子反・子琴張らを指しています。

人為が自然を破壊する、というのは、『荘子』においてしばしば表明される見方で、馬蹄篇などにも見えます。しかし、そうして生きて行かざるをえない人間を「天之戮民」と呼び、そして「人にとっての君子は、天にとっての小人である」と、『荘子』は孔子の口を借りていいます。天がよしとするものと、人がよしとするもの、互いに正反対であることを明言したこの問答は、印象的です。これが韓愈の発想のもとになったのでしょう。

もちろん、『荘子』に見える議論と韓愈の議論とは、同内容ではありません。しかし、人間の存在を「天地之讎」とまでいう韓愈は、人間に対する不信の側面を『荘子』から受け継いでいるように思えるのです。

なお柳宗元はこの韓愈の言を評して、「子誠有激而為是耶」、あなたは激することがあってこの言をなしたのか、といっています。韓愈の平常の心から出されたことばではないのかもしれません。この韓愈の言が彼自身の思想全体とどのように整合性を持ちうるのか、それは別の問題として考える必要がありそうです。

【原文】「天說」(『柳宗元集』巻16,中華書局,1979)

韓愈謂柳子曰:「若知天之說乎?吾為子言天之說。今夫人有疾痛、倦辱、饑寒甚者,因仰而呼天曰:『殘民者昌,佑民者殃!』又仰而呼天曰:『何為使至此極戻也?』若是者,舉不能知天。夫果蓏飲、食既壞,蟲生之;人之血氣敗逆壅底,為癰瘍、疣贅、瘻痔,蟲生之;木朽而蝎中,草腐而螢飛,是豈不以壞而後出耶?物壞,蟲由之生;元氣陰陽之壞,人由之生。蟲之生而物益壞,食齧之,攻穴之。蟲之禍物也滋甚。其有能去之者,有功於物者也;繁而息之者,物之讎也。人之壞元氣陰陽也亦滋甚;墾原田,伐山林,鑿泉以井飲,窽墓以送死,而又穴為偃溲,築為牆垣、城郭、臺榭、觀游,疏為川瀆、溝洫、陂池,燧木以燔,革金以鎔,陶甄琢磨,悴然使天地萬物不得其情,倖倖衝衝,攻殘敗撓而未嘗息。其為禍元氣陰陽也,不甚於蟲之所為乎?吾意有能殘斯人使日薄歲削,禍元氣陰陽者滋少,是則有功於天地者也;蕃而息之者,天地之讎也。今夫人舉不能知天,故為是呼且怨也。吾意天聞其呼且怨,則有功者受賞必大矣,其禍焉者受罰亦大矣。子以吾言為何如?」
柳子曰:「子誠有激而為是耶?則信辯且美矣。吾能終其說。彼上而玄者,世謂之天;下而黃者,世謂之地;渾然而中處者,世謂之元氣;寒而暑者,世謂之陰陽。是雖大,無異果蓏、癰痔、草木也。假而有能去其攻穴者,是物也,其能有報乎?繁而息之者,其能有怒乎?天地,大果蓏也;元氣,大癰痔也;陰陽,大草木也,其烏能賞功而罰禍乎?功者自功,禍者自禍,欲望其賞罰者大謬;呼而怨,欲望其哀且仁者,愈大謬矣。子而信子之仁義以遊其內,生而死爾,烏置存亡得喪於果蓏、癰痔、草木耶?」

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