藝文印書館本『十三經注疏』について


「十三経注疏」は、儒家の経典(けいてん)たる「十三経」の本文と、標準的な注釈を示すものとして重んじられています。そして「十三経注疏」と一口に言う場合には、阮元(1764-1849)が嘉慶二十年(1815)に整理、出版した通称「阮元本」(文選本、南昌府学本などとも)をもっぱら念頭に置くことが多いようです。その書誌を掲げておきます。

重栞宋本十三經注疏 坿校勘記

清 阮元 撰校勘記 清 盧宣旬 摘録   嘉慶二十年 南昌府學 據儀徵阮氏文選樓藏宋本重刊  184册

  • 周易兼義九卷 坿音義一卷 坿注疏校勘記九卷 坿釋文校勘記一卷 魏 王弼 注 晉 韓康伯 注 唐 孔穎達 疏 唐 陸德明 撰音義
  • 附釋音尚書注疏二十卷 坿校勘記二十卷 漢 孔安國 傳 唐 陸德明 音義 唐 孔穎達 疏
  • 附釋音毛詩注疏二十卷 坿校勘記二十卷 漢 毛亨 傳 漢 鄭玄 箋 唐 陸德明 音義 唐 孔穎達 疏
  • 附釋音周禮注疏四十二卷 坿校勘記四十二卷 漢 鄭玄 注 唐 陸德明 音義 唐 賈公彥 疏
  • 儀禮疏五十卷 坿校勘記五十卷 漢 鄭玄 注 唐 賈公彥 疏
  • 附釋音禮記註疏六十三卷 坿校勘記六十三卷 漢 鄭玄 注 唐 陸德明 音義 唐 孔穎達 疏
  • 附釋音春秋左傳注疏六十卷 坿校勘記六十卷 晉 杜預 注 唐 陸德明 音義 唐 孔穎達 疏
  • 監本附音春秋公羊注疏二十八卷 坿校勘記二十八卷 漢 何休 學 唐 陸德明 音義 □ 闕名 疏
  • 監本附音春秋穀梁注疏二十卷 坿校勘記二十卷 晉 范甯 集解 唐 陸德明 音義 唐 楊士勛 疏
  • 論語注疏解經二十卷 坿校勘記二十卷 魏 何晏 集解 宋 邢昺 疏
  • 孝經注疏九卷 坿校勘記九卷 唐 玄宗李隆基 注 宋 邢昺 校定
  • 爾雅疏十卷 坿校勘記十卷 晉 郭璞 注 宋 邢昺 校定 □ 闕名 音
  • 孟子注疏解經十四卷 坿校勘記十四卷 漢 趙岐 注 宋 孫奭 疏

しかしながら、阮元本の原刻版本そのものは貴重なものですから、多くの場合、一般の学者や学生は、この版本を影印出版という技法により複製したものを用いています。台湾の藝文印書館本が代表的なものでしょう。1955年に出版されたのち、何度も再版され、さらに2001年、新たに「初版」として出版されました。

  • 『十三經注疏』藝文印書館, 1955年(中華民国44年)
  • 『十三經注疏』藝文印書館, 2001年(中華民国90年) ISBN 957-520-029-2
90年版
90年版
49年版
49年版

最近、『礼記正義』を読んでおり、気になるところがあるので、中華民国44年版の再版である民国49年版と、中華民国90年とを比較してみたのですが、内容が完全に同一ではないことに気がつきました。

『礼記正義』巻32、第6葉表、8行b、2文字目を見ると、前者では「由」、後者では「出」となっているのです。私は「由」が正しいと思っています(原刻本が手元にないので、確認できませんが)。

この間の事情は判然としませんが、影印本といっても、手が加えられていることは確かです。実は、この種の改変については、以前から知ってはいたのですが、「影印本の危うさ」はもっと広く認識されてもよい、と考え、今回ご紹介してみました。

同書をお持ちの読者におかれましては、当該部分、お手元の藝文本がどのように作っているか、ご教示くだされば幸いです。また、原刻の阮元本に当たって確かめてくだされば、なお助かります。

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「藝文印書館本『十三經注疏』について」への10件のフィードバック

  1. やっとある方法を使って、こちらのHPが閲覧できるようになりました。
    御指摘の点は、上海古籍の縮印本では「由」になっています。縮印本は道光の再刊本に依っています。ただ、これも実際には、再刊本を縮印した世界書局本を影印して嘉慶の原刻で一部改めたとのことで、やはり原貌を保存しているわけではないようです。
    嘉慶刻本の実物は見られるはずですが、しばらくお待ち下さい。当地ではちょっと手間がかかります。

  2. whitestonegさま、
    お元気そうで何よりです。Wordpressは、なぜか中国からは見られないのですよね。
    北京の書店にも、最近は台湾版の十三經注疏が並んでいるのを見かけました。そちらの若い学生さんたちは、どのような本をお使いなのでしょうか。事情を教えていただければ幸いです。
    いまのところ、「出」は妄改であろうと思っております。嘉慶本をご覧になりましたら、あらためてご教示ください。
    では、お元気でおすごしください。
    学退上

  3. お待たせして申し訳ありませんでした。調べてきました。
    最近の文章を拝見していると、甲骨文の勉強を始めたらしく、学退先生の向上心に敬服します。

    こちらで十三經注疏をいくつか探しましたが、どうやら嘉慶の印刷の物はないらしく、みな道光の後印本でした。そこで『礼記注疏』の該当箇所を見ると、「由」字になっていました。
    そうするとどこから「出」字になったのか気になりますね。勿論逆に,嘉慶のものが「出」で、明白な間違いだと思ったので、道光の時に改めたのかもしれませんが。

    阮元本十三經注疏は大陸でも影印本が最近出ましたが、本があまりにも大きい上に、忠実な影印でもないようで、使いづらいのが現状です。

    こちらでは学生は大部な本はPDFで持っていることが多く、漢語大詞典もPDFで使っているとのことです。十三經注疏もそうなのかもしれません。或いは検索環境が整っているので、そちらを使っているのかもしれません。
    こうしてみると本の環境は悪いようですが、読書量はすごいので、驚くべきものがあります

  4. Whitestonegさま、

    お調べくださいまして、まことにありがとうございます。おそらく嘉慶本も「由」と作っていると推測しますが、これは、帰国後に自分で当たってみます。

    中国の学生さんたち、実によく勉強していますよね。日本では、「本を買うことが勉強」と教えられ、買うだけで読まない人も少なくありませんが、買うよりも読む方が重要である、という、当たり前のことを思い知らされます。

    実りあるご留学となりますよう、お祈りしております。

    学退上

  5. 古勝 隆一先生
                            2012年11月17日
    ◎「おそらく嘉慶本も『由』と作っている」。

    *東京都立中央図書館蔵「青淵論語文庫」
    『重栞宋本十三經注疏』坿挍勘記
    清 阮元 編 清 盧宣旬 校 清嘉慶二十年 刊 184册
    二十四帙 半

    以上の『礼記注疏』にて確認した所、ご推測の通り、「由」となっていました。
    この本は「男子婦人、皆吉屨無絇」を「男子婦人、皆去屨無絇」に作っています。道光の本に基づく影印本が「吉屨」に作るのならば、古い形を存していると思われます。なお、付載の校勘記には校異はありませんが、単行の校勘記には、

    [皆吉屨無絇]。惠棟挍宋本作「吉」。衞氏集説同。此本「吉」誤「去」。閩・監・毛本同。

    と記されています。藤田 吉秋

  6. 藤田様

    わざわざ東京都立中央図書館までお出かけいただいたのでしょうか。感謝にたえません。くだんの「由」は、やはりそのようでありましたか。それは安心いたしました。

    しかし、「皆吉屨無絇」は「去」ですか。これはよほど難しい問題であり、じっくり、考えてみたいと思います。

    お調べくださいまして、まことにありがとうございます。

    学退上

  7. 古勝 隆一先生
                            2012年11月19日
    ◎「阮元本の原刻版本そのものは貴重なもの」。
    先生ご教示の論文-汪紹楹「阮氏重刻宋本十三經注疏考」(『文史』第3輯、1963年)-に「道光本」の李華臨「重校宋本十三經注疏跋」が引かれ、そこには、「嘉慶本」に就いて、

    局中襄事者未及細校、故書一出、頗有淮風別雨之訛。P.28

    とあり、また、『揅経室三集』巻二「江西校刻宋本十三經注疏書後」の末尾には、

    福謹案:此書尙未刻校完竣、家大人卽奉命移撫河南。校書之人不能如家大人在江西時細心。其中錯字甚多。有『監本』・『毛本』不錯而今反錯者。要在善讀書人、參觀而得益矣。校勘記去取亦不盡善。故家大人頗不以此刻本爲善也。

    と注記されていました。阮氏は「嘉慶本」の出来に満足していなかったようです。
    それにしても汪氏は「好學深思、實事求是之士」を自認する清儒に対して厳しいですね。

    夫板本之學、若積薪。後生者宜爲力。是是非非、曷足爲害。而當時學人、黨同伐異、競逐聲利、遂致無所底止。且從而爲之辭、致來黠賈之幻。然則清儒是非之辨、豈僅一『水經注』哉。P.45
    甚矣!乾・嘉之士、噉名之甚也。夫清儒於説經之書、標名古學、以自尊異於講章帖括之業。呉門三惠、皖南江・戴、實爲魁桀。然於校勘、實衍義門昆仲之緒餘。P.53
    何氏之説、前人譏爲紙尾之學、而惠・戴之學、亦何以異於是。P.54
    以詁訓校勘之學、曳裾於顯貴。P.54
    蓋當時學人、奔走於聲利之途、不依恃於達官貴人、如紀・朱・畢・阮諸人者、卽締歡於大賈巨室。P.54

    限りがありませんが、論文の本旨からはだいぶ逸れているように思いました。
    藤田 吉秋

  8. 藤田さま

    貴重なご指摘、ありがとうございます。嘉慶版に誤字があることは、当初から認識されていたようですね。やはりそうではあっても、台湾の藝文が出しているのは、嘉慶版の影印本ということですから、あまり手を加えずに出版してくれれば、混乱が少なかったように思います。厳密に言おうとすると、どのように手が加えられているのか、検証したりする手間がかかります。

    ご指摘の通り、汪氏は清朝の考証学者に対し、ことさらに異を唱えて人に抜きんでようとする悪い癖を見いだしているようです。やや、行き過ぎのようにも感じられます。私も違和感を持ちました。しかし一方で、高名な学者たちにも、そういう欲もあったのかもしれないとも思いました。

    200年後、日本の地において、彼らのしていたことをこうして振り返ってみるのも、なかなか楽しいことであるように思います。

    学退上

  9. 古勝 隆一先生
                            2012年11月21日
    いつも丁寧にお答え下さり、心より感謝申し上げます。
    前信の「福謹案」は、既に常盤井賢十氏が引かれ(『宋本礼記疏校記』・1937年)、「阮元自身已に意に滿たざるもので、其の後道光・同治等の重校本は誤謬を訂正する所も多いが、今は標準を明らかにする爲特に原刻本に據ることとする。尤も普通に阮元原刻本と稱する者にも、剜改の程度によつて數種の異本があるが、ここでは其の中にて最初の刻本と思はるるものを採る」と言われていました。
    また前信、「自任」を「自認」と誤打していました。訂正します。藤田 吉秋

  10. 藤田さま

    ご連絡が遅れまして、申し訳ございません。常盤井氏の著作、時間をかけて検討してみたいものです。「原刻本」といっても、内容が完全に同一ではないとのこと、なかなか難しいものですね。

    ご教示、ありがとうございます。

    学退上

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