「帯」があったという証拠


「帯」は無用である」と題して、先日、このブログに一文を書きました。現行の『礼記』喪服小記に「惡筓以終喪(女性は粗末な髪飾りを着け、そのまま喪を終える)」とありますが、段玉裁は「惡筓以終喪」というのが正しく、現行本は「筓」字の下に「帶」字を脱している、と主張します。

しかし『礼記子本疏義』によると、同書の著者である皇侃(488-545)、鄭灼(514-581)らが見た『礼記』の経文には、もともと「帶」がなかったらしい、というのが、上記の文章の論点です。

読者の藤田吉秋様が、コメントをお寄せくださり、『經義述聞』巻15「齊衰惡笄」によると、王念孫は「惡筓以終喪」とするのが正しいと考えていた、とご教示くださいました(藤田様ご本人は字を足さぬのが適切とお考えである旨、申し添えます)。王氏は、賈公彦『儀礼疏』の引く「喪服小記」二条と、山井鼎『七経孟子考文』の引く「古本」「足利本」を根拠とし、そのように考えました。

そこでは、「古本」「足利本」が重要な根拠とされているのですが、この両者は、古くから日本に伝わっていた系統の本です。少し一般化して言うなら、この部分、日本の伝本は「惡筓以終喪」と作った、というわけです。気になりましたので、これを確認しておきます。

日本に伝わる『礼記』の古写本として、いくつかの本が知られていますが、いま、簡便にそれらの写真を見られないので、古写本に基づいて本文が作られたと考えられる、古活字本に当たりました。

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谷村文庫本『礼記』

京都大学図書館機構では、一部、善本の写真を公開しており、その中に、『礼記』の古活字本(17世紀初か)二種がありますので、それらを見ました。まず第一は、谷村文庫の本です。

  • 書名       礼記 20巻
  • 文庫名等       谷村文庫
  • 画像の有無   画像あり
  • 冊数       10
  • 年   刊(古活字版)
  • 形態事項       26.7×19.5 (cm)*帙入
  • 写刊の別       刊
  • 請求記号       1-64/ラ/2貴
  • 登録番号       RGTN:763738

そしてもう一種は、清家文庫の本です。

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清家文庫本『礼記』
  • 書名       礼記
  • 文庫名等       清家文庫
  • 画像の有無   画像あり
  • 冊数       10
  • 形態事項       刊
  • 写刊の別       刊
  • 請求記号       1-64/ラ/3貴
  • 登録番号       RGTN:87675

写真版をもとに比較してみたところ、少なくとも、「喪服小記」の該当部分を含む葉は、両者、同版の関係にあるようです。確かに王念孫の主張どおり、両者とも、「惡筓以終喪」と作っています。

『礼記』古活字版の本文を系統的に調べてみたわけではありませんが、わが国に古く伝えられた本の中に(おそらくは遣唐使がもたらした本の中に)、王念孫の考えたような「惡筓以終喪」と作る本があり、古活字版はその本文を受け継いでいる、とはいえそうです。

しかしその事実は、現行本同様に「惡筓以終喪」と作る本がもともとなかった、ということを意味せず、かえって南朝に伝えられた本は、現行本と同然であった、となお推測できます。これは「「帯」は無用である」に書いた通りです。

言い換えると、『礼記正義』の編者、孔穎達の見た『礼記』と、その同時代人たる『儀礼疏』の著者、賈公彦の見た『礼記』とでは、おそらく文字が異なっていたであろう、と考えられるのです。

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「「帯」があったという証拠」への2件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                            2012年11月8日
    前略。
    ◎「孔穎達の見た『礼記』」と「賈公彦の見た『礼記』」。
    拙コメントの「王念孫『経義述聞』」を「王引之『経義述聞』」に訂正します。
    さて、厳可均『唐石経校文』(嘉慶9年・1802年刊)も「齊衰惡笄以終喪」に就いて論じていました。

    「笄」下當有「帶」字。鄭注「笄所以卷髮也、帶所以持身也」。疏亦「笄帶」連及。『古補本』・『足利本』作「齊衰帶惡笄」、則誤跳「齊衰」下。

    また、段玉裁は「喪服小記」の他の経文「箭笄終喪、三年」の「箭笄」の下にも「帶」字を補うべきだと言っています。先生の謂われる「伝本を無視して自説を貫き、本文を改める時の決まり文句」はここでも見られます。蓋亦自『唐石經』奪「帶」字以後、淺人倂經疏刪「帶」也。
    段氏(1735~1815)・孫(希旦1736~1784・『礼記集解』)氏・厳氏(1762~1843)・阮氏(1764~1849)は「惡笄帶」、王氏(1744~1832)・朱(彬1753~1834・『礼記訓纂』)氏・『経籍籑詁』(「笄」、「帶」掲出経文)は「帶惡笄」。いずれにせよ清儒は「帶」字を補いたいようです。
    ところで以下の「学退筆談」、「玉函」が「玉翰」に、「1843」が「18439」になっています。
    *5月7日「『七略別録佚文 七略佚文』」・・・馬国翰『玉翰山房輯佚書』
    *6月1日「『七録』佚文」・・・・・・・・・厳可均(1762-18439)
    藤田 吉秋

  2. 藤田様

    コメントをくださいまして、まことにありがとうございます。「いずれにせよ清儒は「帶」字を補いたい」とは、おっしゃるとおりのようです。一度、誤字・脱字が疑われると、それを無視できない精神構造を有しているのかも知れません。

    また、拙文の誤字もあわせてご指摘くださいまして、ありがとうございます。早速訂正させていただきます。

    清儒の「合理」精神には、たいへんな説得力がありますが、しかしながら、一字一句については、もう少し柔軟に、丁寧に取り扱うべきなのではないか、と近ごろ感じております。

    今後とも、よろしくご教示願います。

    学退上

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