『礼記』鄭玄注の佚文


昨日、『礼記』に見える入浴法を紹介しました。『礼記』の玉藻篇に「櫛用樿櫛,髮晞用象櫛」という一文があり、「洗髪の際にはツゲの櫛を使い、髪を乾した後には象牙の櫛を使う」というのです。

一般に『礼記』の本文は難解であり、後漢の鄭玄による注がなくては、なかなか読めるものではありません。ところがこの部分、現行の『礼記』鄭玄注は「櫛用樿櫛」について何も語っていません。『礼記』の本文並びに鄭注を疏解した孔穎達『礼記正義』は、こう言っています。

櫛用樿櫛者,樿,白理木也。櫛,梳也。沐髮為除垢膩,故用白理澁木以為梳。

「櫛用樿櫛」とあるが、「樿」とは、白理木のこと。「櫛」とは、櫛のこと。洗髪は頭髪の垢や皮脂を取り除くためのものだから、白理の摩擦のある木を用いて櫛とする。

白理木とは何の木なのか、博物学に疎く分かりません(上記の翻訳では仮にツゲとしておきました)。ともかく『礼記正義』によると、「樿」は白理木という樹木で、「櫛」は櫛、ということです。

その参考になりそうな記載が、『儀礼』喪服伝の賈公彦疏にありました。

鄭云「櫛笄者,以櫛之木為笄」者,此櫛亦非木名。案「玉藻」云:「沐櫛用樿櫛,髮晞用象櫛」,鄭云:「樿,白理木,為櫛。櫛即梳也。以白理木為梳櫛也」。彼樿木與象櫛相對,此櫛笄與象笄相對,故鄭云「櫛笄者,以櫛之木為笄」。(『儀礼』喪服「傳曰:笄有首者,惡笄之有首也。惡笄者,櫛笄也」鄭注「櫛笄者,以櫛之木為笄」疏)

賈公彦によると、「樿,白理木,為櫛」とは、『礼記』玉藻篇の「沐櫛用樿櫛」につけられた鄭玄の注である、ということになります。少なくとも賈氏の見た『礼記』鄭注ではそうなっていたはずです。

鄭注の引用がどこまで続くのかは明瞭でなく、「樿,白理木為櫛」だけなのか、「櫛即梳也」までか、はたまた「以白理木為梳櫛也」までなのか、それは一つの問題ですが、ともかく賈氏が「樿,白理木,為櫛」を『礼記』玉藻篇の鄭注として引用したことに疑いはありません。

『礼記』玉藻篇の「沐櫛用樿櫛」について鄭玄が何も言っていないのに、孔穎達『正義』が「樿,白理木也。櫛,梳也」と解釈した、というのも、やや妙なことです。現行の『礼記』玉藻篇の鄭注には脱文があると考えた方が、より分かりやすいと思います。

【補1】
なお、『礼記』礼器篇に「樿杓」なるものが見え、鄭玄はそれに「樿,木,白理也」と注をつけ、正義は「樿杓者,樿,白理木也。貴素,故用白理木為杓」と解釈しています。

【補2】
「樿」「白理木」についてある程度、調べたのですが、よく分かりませんでした。一応、ツゲと理解しておきましたが違うかもしれません。

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「『礼記』鄭玄注の佚文」への6件のフィードバック

  1. Xuetui先生、いつも拝見させて戴いております。

    「ツゲの櫛」について少し気になったので質問させて下さい。
    ツゲの櫛については、日本では水分は厳禁で、洗髪の前に椿油などとともに髪を梳くのが一般的のようです。そこで「洗髪の際に」という状況が、洗髪をするときに使用するのか、洗髪の前に使用するのかが疑問になりました。日本で言う「ツゲの櫛」でしたら「洗髪の前に」ということかもしれませんし、洗髪をしているときに使用するのでしたら、日本で言っている「ツゲ」ではなく、他の素材ということが考えられると思います。

    「樿」「白理木」について改めてご教示頂けるということでしたので、その点も含めてお教え頂ければ幸いです。hirsh

    1. Hirshさま、コメントくださいまして、まことにありがとうございます。

      おっしゃるとおり、木製の櫛に水は禁物でしょうから、洗髪の前に櫛を使って汚れを落としてから、水で洗い流すのかもしれません(正義を読むと、どうもそういうふうには読めないのですが)。これはよいヒントをいただきました。ありがとうございます。

      「樿」「白理木」については、ひと通り調べてみたのですが、『説文解字』に「樿,木也。可以爲櫛。从木單聲」とあることと、鄭玄と郭璞(「『山海経』中山経の注)が「樿」を「白理」と説明していることくらいしか分かりませんでした。ツゲとは確定できないのですが、対案もないのでしばらくこのままにしておきます。

      「櫛沐」という語があり、頭髪を洗うことなのですが、「櫛」と「沐」とは、違う行為を指しているのかもしれません。これは、あらためて考えてみます。

      あらためて感謝いたします。よいお年をお迎えください。

      学退上

  2. 古勝 隆一先生
                            2012年12月28日
    ◎「櫛、梳也」。
    『説文解字』第6篇上・「木」部・「梳、所以理髮也」に、段氏は、「『所以』二字今補。器曰梳。用之理髮、因亦曰梳。凡字之體用、同稱如此」と注を付けています。「櫛、梳也」の先生の翻訳は「『櫛』とは、櫛のこと」(体言)とされていますが、これは、「櫛用樿櫛」の一字目の「櫛」を「くしけずる」(用言)と訓め、という注記ではないでしょうか。藤田吉秋

    1. 藤田さま

      コメントくださいまして、まことにありがとうございます。ご指摘の件ですが、確かに『礼記』の経文には、「櫛用樿櫛」と「櫛」が二度出てきており、読み方はおっしゃるように「櫛けずるときには樿のクシを用いる」ということになると思います。

      これを正義が解いて「樿,白理木也。櫛,梳也。沐髮為除垢膩,故用白理澁木以為梳。」と言っているので、まず「樿」と釈して次に「櫛」を釈しているので、順序を重んじると、正義「櫛,梳也」は「樿櫛」の方の「櫛」を解いた、と考えました。いかがでしょうか。

      またお気づきの点がありましたら、ご教示ください。

      よいお年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。

      学退上

  3. 漢代のスカルプケアについて
    昨日のツイートの続きです。古代人の習慣については現代人、および日本人の常識をまずリセットしてから考えたいと思います。ヒントになる馬王堆漢墓出土の櫛ですが、画像で確認できる「木目」はツゲの木目とは異なるようです。しかし、これについては木製品に関する詳細な報告書を確認すべきでしょう。

    とりあえず、ここで「ツゲの櫛」という、日本人の翻訳から目を離してみます。
    楚は漆文化ですから、出土の櫛は木目が見える程度にうすく漆を塗っている可能性があります。模様も描きやすくなり、水分に関する疑問もクリアできることになります。ここで、見逃せないのが孔穎達の意見です。彼は「洗髪は頭髪の垢や皮脂を取り除くためのものだから、白理の摩擦のある木を用いて櫛とする」と言っています。あくまでも彼の生きた初唐の感覚です。今度は唐代の習慣も調べなくてはなりませんが。

    歯と歯の間に漆を塗ったかどうかはわかりませんが、木の「摩擦」は残しておきたい。象牙製のツルツルした櫛ではこの目的を果たせません。その上、象牙製ではかたく、濡れた皮膚にはコツンと刺激があります。

    昨日ツイートしましたように、櫛は歯の密度により名称が変わり、梳は1センチあたり3本程度、つまり、かなり隙間のあいたクシです。これは現代の美容院でも常識なのですが、濡れたときには歯の荒い櫛を使います。目の細かいものでは濡れた髪がからまり切れやすいからです。孔穎達が「櫛,梳也」と記しているのは、クシは荒い歯のタイプ、と但し書きしているのだと、私は考察しています。

    ここまで考えてくると、現代の「スカルプケア」に近いではありませんか。荒い歯のブラシで頭皮をマッサージするとともに髪の汚れも取るのです。昔は泡立つシャンプーではなく、稗のとぎ汁で洗うらしいですし。

    馬王堆漢墓出土をそのまま、『礼記』記載に当てはめるのは危険です。南北の材質、習慣は分けて考えたほうがよいでしょう。ただ、漢代の宮殿には楚の女性も相当数いたようですから、櫛とその使い方等、情報は行交っていたと思います。白理木に関しては、唐代に至るまで出土した櫛の材質を調べれば、樹木の学名が確定できるかもしれません。

    というわけで、木製の櫛と象牙の櫛の使い方が逆ではないか?記載が逆では?という仮定は取り下げたいと思います。

  4. kareziaさま、

    お説を投稿くださいまして、まことにありがとうございます。

    目の粗いクシを「梳」といい、目の細かいクシを「篦」といい、区別することがあったのは、おっしゃるとおりであり、孔穎達の「櫛,梳也」につきましては、お考えもたいへん魅力的です。思いつきませんでした。ただ私は、クシという意味での「櫛」の語は先秦時代に主に用いられ、後世はむしろ「梳」を用いるので、鄭玄がそのように言いかえた、と理解しました。

    私はむしろ、考古遺物を文献と付き合わせることにかなり慎重な立場を取っており、『礼記』に見えるクシの材質については、あまり突き詰めては考えられないのではないかと思っております。再三釈明しておりますとおり、ツゲであると主張するつもりは毛頭ありません。もちろん、古代の実物を考証なさる方がいらっしゃるのはたいへん心強く、関心をもって見守ってもおります。お考えを文章におまとめになる日をお待ちしております。

    ご投稿、ありがとうございました。

    学退上

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