郁達夫の采石磯


田中慶太郎(1880-1951)『羽陵餘蟫』に、郁達夫(1896-1945)の小説が紹介されていました。

郁達夫作の短篇小説『采石磯』は、安徽提督學政朱竹君の幕客として、黄仲則・洪稚存の兩人が竹君の知遇を得て居つた時に、當時考據の大家として盛名隆隆たる戴東原先生が京師から紀曉嵐等諸要人の推薦狀を携へて、長江南岸太平府の學政衙門に朱竹君を訪ね、竹君が大に戴氏を厚遇したのはよかつたが、戴氏が黄仲則の詩を「華而不實」と言つたとか言はぬとかで、黄仲則が大大的犯脾氣して、滿腹の牢騒は發して一篇の名詩となり、それが大江の南北に風誦されるといふ一寸風變りな小説である。

邦文譯もあるから考證考證で肩の凝つた時には讀んで見るのも一興であらう。

但し此小説は戴氏に取つては御迷惑千萬なことであつて、おそらく戴東原先生を胡適博士にたとへ、黄仲則を郁氏自身にたとへたものの樣にも思はれる。 (『羽陵餘蟫』甲部、「禮記正義六十三卷」p.48)

年末から一月いっぱい、苦しんで論文を書いており、先日やっと解放されました。考証、考証で、かなり肩が凝ってしまったので、この『采石磯』を読んでみました。田中氏のいうとおり、まことに「風變りな小説」であり、無理に登場させられた「戴氏に取つては御迷惑千萬なこと」に違いありません。

朱竹君は朱筠(1729-1781)、黄仲則は黄景仁(1749-1783)、洪稚存は洪亮吉(1746-1809)、戴東原は戴震(1724-1777)です。一読して、歴史事実に即したものとはとても思えませんし、戴震が登場するといっても、主人公の黄仲則は戴震に会いもせず、戴氏の言を又聞きして憤っている始末です。何か腑に落ちません。

田中慶太郎と郁達夫。田中氏の方が十数歳、年長ですが、同時代人と言えます。「おそらく戴東原先生を胡適博士にたとへ、黄仲則を郁氏自身にたとへたものの樣にも思はれる」というのも、我々には想像もつかぬことですが、それこそ、おそらく何らかの根拠があることなのでしょう。

なお、小説中で戴震に言わせた「華而不實」という成語は、見ばえはしても中身がない、という意で、『春秋左氏伝』文公五年に基づくもの。甯嬴という人物が陽処父を評して「華而不實,怨之所聚也」と言ったそうです。『国語』晋語五にも似た話が見えています。

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